皇室の名宝展(1期)@東京国立博物館

2009/10/06
「皇室の名宝展」は天皇陛下の即位20年と結婚50年を祝して開かれています。1期と2期で展示物がそっくり入れ替わります。お目当ては、1期に展示される伊藤若冲「動植栽絵」30幅。動植栽絵は相国寺の承天閣美術館でお目にかかって以来ですが、当時の人気ぶり、それに展示期間(1ヶ月弱)の短さを考えると、混雑は必至。都合がつく序盤の平日に行くのが一番いいと思いました。台風が近づく中、初日に行きました。

皇室の名宝展@東京国立博物館


午後2時30分ごろ、上野の国立博物館平成館に行ってみると、長蛇の列ができているわけでもなく、かと言ってガラガラというわけでもなく、という混み具合でした。中に入って、まず最初の展示が海北友松や狩野永徳のダイナミックな屏風。唐獅子図屏風は狩野永徳展以来です。

次の部屋に、伊藤若冲の「動植栽絵」30幅がずらっと並んでいました。広い空間に壮観です。ディテールまで細かく描かれ、色彩は鮮やか。動物や鳥、虫の目の表現がコミカル。どの作品も魅力的でした。

さらに、円山応挙「旭日猛虎図」や酒井抱一「花鳥十二ヶ月図」、葛飾北斎の「西瓜図」も素晴らしい! さすが皇室コレクション。江戸時代の名画がインデックスのように出てきます。これだけの絵が、大きく2か所に分けられた展示スペースの前半に集中しています。前半を観ただけでヘトヘト。

後半は、横山大観などの近代の名画。明治以降は帝室技芸員に選ばれた画家が、天皇陛下のために描いた作品が多くなります。七宝焼のコレクションが印象に残りました。

さすがに皇室の名宝なので、世相を皮肉ったような作品はひとつもありませんが、展覧会は江戸中期から昭和初期までの、日本美術のダイジェストのようです。会期が短いのが実に残念!おそらく会期末には大混雑となるでしょう。

ちなみに、午後4時、若冲の「動植栽絵」30幅を再度見に行ったところ、ガラガラでした。天気の悪い平日の閉館1時間前、オススメです!
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「銘木」のディープな世界@京都・松文商店

2009/06/20
茶室や数寄屋建築、書院などに使われる美しい木材=「銘木」だけを扱う木材店が京都にはあります(「材木」ではありません)。一見、なんとニッチな商売なんだろうと思われますが、京都には茶室を始めとした美しい木造建築に対するニーズがあることの現れです。この日、伝統未来塾の授業に参加して、そのディープな銘木の世界を覗いてきました。

松文商店外観


そのお店「松文商店」は、京都北西部の、千本上立売にあります。江戸時代末期に創業して以来、北山杉を始めとする銘木を扱っています。お店に入ると、ズラーッと銘木が並んでいます。自然でできたものとは思えないほど、整然としていました。

松文商店:北山杉1


材木とは住宅を構成する骨組みを指し、銘木は室内に見える木材のことをいうのだそうです。銘木は、樹齢の古さや、木そのものの珍しさ・美しさで決まるのではなく、その部屋に使われる材料や寸法のバランスで、その良し悪しが決まってくるのだそうです。野球のチーム構成に例えるなら、長距離砲のスター選手ばかりを揃えるのは「野暮」で、足の速い選手から長距離砲、チャンスに強い選手、左投手に強いなどなど、選手の役割のバランスが取れているのが良いという考え方です。

そうなると、何をもって「バランスが良い」となるのか...ですが、そこで施主・棟梁の「知識」「眼力」「センス」が問われてくるわけです。

松文商店:銘木1


知識のない自分としては、こういう見学の機会や、良い建築・茶室を廻ることで勉強していくしかありません。ということで、この松文商店で拝見した銘木と、その特徴をざっくりとメモしてみました。

北山杉は床柱に使われることが多いのですが、その特徴として、まっすぐであること、元末(もとすえ:根と先の太さの差)がないこと、成長が遅いために年輪が詰まっていることなどが挙げられます。つまり、見映えが良いのです。この北山杉には「絞り」と呼ばれる「しわ」がついていることが多いのですが、天然ものと人工ものがあります。見分け方は、人工ものはしわの長さがほぼ均一なのだそうです。木肌が美しいと、それに目が奪われて、天然か人工かはどうでもよくなってしまいそうです...

松文商店:北山杉2


吉野杉は大きな構造に使われます。

檜の「さび丸太」は、錆びた表情を出すために、樹液から生じるカビを1ヶ月間放置するのだそうです。床柱に使われることはありますが、木目が出にくいことなどから、あまり好まれないのだそうです。

栗は堅くて水に強いため、塀の裏や玄関の敷板などに使われます。

アカマツは天然の皮付き丸太に見えますが、実は火であぶって表皮をとるのだそうです。

という具合に、木の性質によって、銘木になるまでの加工・乾燥の方法から、実際の使われ方まで、いろいろと異なってきます。そのうえに、どの銘木をどういう配置にするかという「センス」が問われてきます。

松文商店:銘木2


最近は、銘木に少し傷がついているからといって、すべてやり直しにする施主が多いそうです。でも、その傷を、棟梁のアイディア(アドリブ)によって、「景色」に変えることもできるのだそうです。「景色」かどうかは、解釈の問題であり、その背後に「教養」や「センス」が問われるわけですが、施主−設計士−棟梁というコミュニケーションの流れにおいて、棟梁のアイディアが通らないことが多いのだそうです。設計士の存在も良し悪しかもしれません。

松文商店:茶室の床の間の框(溜塗)


ある棟梁は、茶室を建てる際に、施主がもっている掛け軸や茶道具が何かを訊ねるのだそうです。それらが引き立つような茶室をつくる、というわけです。それぞれの要素が独立して目立つことなく、調和するのがよい建築である...つまり、伝統建築の世界でも、和を重んじる考え方が良しとされることがわかります。ディープな銘木の世界から紐解かれたことが、「和」の精神であることがとても面白いと感じる授業でした。
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超プラチナ!第25回こんぴら歌舞伎を観た!

2009/04/18
香川県琴平市、金毘羅宮のふもとに、日本最古の本格的芝居小屋が残されています。日本最古と言っても1835年に建てられたものですが、江戸時代の芝居小屋をそのままに伝えるつくりで、国の重要文化財に指定されています。この芝居小屋(金毘羅大芝居=金丸座)では、1985年以来、「四国こんぴら歌舞伎大芝居」として、毎年、歌舞伎界を代表する役者による公演が行われてきました。今年は25回目の節目の年とあって、初回の公演の実現に尽力したという、中村勘三郎が出演します。

そのため、チケットの人気はなんと例年の5倍、1枚に対して、およそ40倍の希望が殺到するというプラチナチケットになりました。その貴重なチケットを手に入れることができたため、大阪から日帰りで行くことにしました。一日2公演の、午後の部。開演時間は午後3時40分でした。

金丸座は、金毘羅宮の石段を少し上り始めたあと、左手に進む道を登って行った先にあります。会場前には、このような大きな看板というか、横断幕というか...

金毘羅大芝居の横断幕


坂を上り、会場に入ると、役者の幟がはためいていました。背景の緑が、とてもいいですね。
金毘羅大芝居:役者の幟


金丸座の正面。東京の歌舞伎座や京都の南座に比べると、かなり小さいのですが、この木造建築がいい味を出しています。
金毘羅大芝居:金丸座正面


役者の看板。「村」の字がユニークです。
金毘羅大芝居:金丸座正面の役者看板


入口の前には、お土産や、飲食、それに記念切手販売のテントが並んでいました。劇場内には売店やトイレがないので、休憩時間には皆、劇場から出てきました。

さて、いよいよ金丸座の中へ入りました。靴を脱いで、渡されたビニール袋に入れます。気になる金丸座の内側は、こうなっています。まずは舞台と花道。
金毘羅大芝居:金丸座舞台


天井。
金毘羅大芝居:金丸座天井


上手(かみて)側の側面。
金毘羅大芝居:金丸座側面


午後の部の演目は、2つでした。
1)沼津:「伊賀越道中双六」全十段のうちの第六段。東海道を旅する呉服屋十兵衛が、荷物運びの老人・平作と出会うが、実は二人が親子で、しかも運命の巡り合わせで、仇討ちの敵味方に分かれているという、韓流ドラマ並みのダイナミックな偶然盛りだくさんの設定でした。先代勘三郎が、第三回金毘羅大芝居で演じた演目です。
金毘羅大芝居:沼津


2)闇梅(やみのうめ)百物語:百種の怪談を集まって物語る「百物語」の会を題材とした舞踊。のっぺらぼうが出て来たり、一本足の踊りや、暗闇に浮かぶ骸骨が踊り出すなど、ビジュアルに訴えて、しかもバリエーション豊かでコミカル。舞台装置も活かした演出で、見た目に楽しい演目でした。
金毘羅大芝居:闇梅百物語


休憩は一回、およそ30分。午後7時に終了しました。あっという間に終わってしまいましたが、面白く堪能させていただきました。

演劇に詳しい訳ではありませんが、勘三郎の実力を実感した舞台でした。会場の注目を一身に集めて、ひとつのアクションで笑わせたり泣かせたり驚かせたりできる。しかも、それが実に無理がないのです。前半はそれが際立っていました。

金丸座の印象ですが、とにかく役者と客の距離がものすごく近いです。花道では、役者の衣装が客に触れそうになっていました。役者の息づかいが目の前に伝わってきます。逆に客席も緊張して観るようになります。でも、枡席で、背中がよりかかれない客には、辛い姿勢で見続けなければいけないので、確かに正味3時間が限界なのかもしれません。自分は寄りかかる場所があって、比較的楽ちんでしたが、それでも少し足が痛くなりました。

でも、こういう江戸時代の古い芝居小屋を再生して、そこで一流の役者が必ず来て年に一度公演をする、というのはとても素晴らしいプロジェクトだと思いました。スペースは狭いので、経済効率としては良くないかもしれませんが、文化事業としての魅力、意義を訴えるには最高のイベントでした。

最後に、これはお土産として配られた団扇と通行証です。
金毘羅大芝居:お土産
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京都の風物詩:都をどり初体験!

2009/04/12
京都の春の風物詩、都をどり。祇園の芸妓さんの華麗な舞が見られるイベントとして人気ですが、なぜか今まで見に行く機会がありませんでした。今年は、知人を通じてチケットが取れたので、行ってみることにしました。

都をどりは、開演時間が12時30分、14時、15時30分、16時50分の一日4回公演とヘビーローテーションです。公演時間は1時間。この日は14時の回に見ることになりました。チケットにはお茶券がついて、ひとり4500円。開演前にお菓子とお抹茶をいただくので、午後1時に会場の祇園甲部歌舞練場に着くようにしました。

都をどり会場


想像以上にお客さんの数が多いことにビックリ! 一公演あたり868席も用意されているのだそうです。しかも週末は売り切れ状態。桜の時期と合わせてくる方も多いのでしょう。中庭には、枝垂れ桜が満開の花を咲かせていました。

祇園甲部歌舞練場中庭の枝垂れ桜


およそ20分ほどの順番待ちで、お茶席に案内されました。お茶席と言っても、100人以上が入って座席に腰掛ける立礼席で、正面で芸妓さんが点てるのを眺めながら、裏から出てくるお菓子とお抹茶をいただく仕掛けになっています。芸妓さんの流儀は裏千家で、道具もお点前も華やかです。

都をどりお茶席


和菓子にのせるお皿は、直径およそ14cm、団子のような祇園甲部の柄(提灯行列を意味するのだそうです)が入ったシンプルなデザインで、持ち帰りOK。毎年これを楽しみにしているお客さんも多いそうです。

会場に入る前に、歴代の舞台衣装が展示されていました。柄は毎年ほぼ同じですが、空色や黄緑と、地の色に鮮やかな色が使われてきたことがわかります。

都をどり衣装


お土産コーナーでは、実際に芸妓さんが都をどりで着た衣装のキレでつくったティッシュケースが売られていました。一番おしゃれなお土産だと思いました。

さて、着席して、いよいよ開演です。歌舞伎の劇場から花道をなくしたような感じでした。
都をどり舞台


演目は、都をどり名物の掛け声で、始まります。地方さんの一人が、ゆっくりと、すっとんきょうな声で「みーやーこーおーどーりーはー」と言うと、舞台袖、のれんの後ろから、舞妓さんが高い声で「よーいやさー」と答えます。すると、音楽が始まって、舞台の両脇から舞妓さんたちが颯爽と現れてきました。今年の衣装は深めの空色に、橙色の帯。

今年のテーマは「水映桜花絵巻」(水に映える桜の花絵巻)。8演目のうち、7演目が長唄、1演目が浄瑠璃でした。北野天満宮や嵯峨野など、京都各地の風景と、四季の風情が折り重なって、飽きの来ないバランスの取れた演目です。浄瑠璃はちょっとベタな設定の修羅場が見られました。自分には舞の善し悪しがよくわかりませんが、舞妓さんの呼吸、舞台からの出入りの歩調がぴったりときれいに合っていました。1時間の公演は、あっという間に終わりました。

都をどり名物の掛け声は、とても奇天烈に聞こえましたが、毎年続けることで定番になり、代々伝わってきたのがよくわかりました。お茶に衣装に1時間の舞台と、バランスの良いパッケージを楽しむことができました。これなら連日満席になるのも納得です。
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数寄屋建築と庭園の最高傑作@京都・對龍山荘

2008/12/06
京都・南禅寺周辺は、日本有数の邸宅地と呼べるほど、区画の大きい見事な屋敷が並びます。かつて、ここは別荘地だったのが大きな要因といえるかもしれません。その一画に、普段は非公開の對龍山荘(たいりゅうさんそう)があります。そこには「最高傑作!」との呼び声の高い数寄屋建築と庭園が広がります。今回、伝統未来塾の授業で、じっくりと拝見することができました。

玄関。この広さからは想像できないほど、幅が広く、奥行が深いのです。
對龍山荘の玄関


1)「對龍台」(書院造のゾーンです)
九畳の広間に次の間八畳が連なります。
對龍台1


部屋に居ながらにして、ガラス張りの窓の外に広がる、見事な庭を楽しむことができます。
對龍台2


この眺めは、軒先に支柱がないことによって成立しています。明治時代後期、この山荘を建てたのは、東京の棟梁、島田藤吉です。この延々と続く軒に、職人のプライドと技術力を感じます。この軒に張り出した一本の丸太、元末の太さが変わらない材質の高さも見どころです。
對龍山荘の軒


栂(とが)の良材でできた屋内。欄間は菊桐文様です。これは大正4年に天皇が宿泊した際につくられたものだそうです。
對龍台の欄間(菊桐文様)


2)庭
明治時代を代表する作庭家、小川治兵衛による池泉回遊式の庭園です。瑞龍山を借景にしています。この山荘が「對龍山荘」と名づけられたのは、瑞龍山に向かい合った山荘という意味からきています。こちらは、池を眺める待合。
對龍山荘庭園の待合


逆に、待合から眺めた庭園の景色。
對龍山荘待合から見た庭園


待合を右に向くと、これまた立派な灯籠があります。京都の迎賓館の設計にあたって、外務省の担当者が見学しに来たそうです。
對龍山荘の灯籠


池に沿って歩いていきます。水面に青空が映りこんでます。
對龍山荘庭園2


池を離れて、その上流の細い流れと、なだらかな斜面。実は、この写真を撮った場所の背後にある建物からの眺めが素晴らしいのです...
對龍山荘庭園3


對龍山荘庭園4


庭園の奥から、山荘を眺めます。
對龍山荘庭園5


對龍山荘庭園6


對龍山荘庭園7


對龍山荘庭園8


對龍山荘庭園9


田園風情を演出するための、わらぶき屋根と風車。
對龍山荘庭園の小屋



3)茶室と、それに連なる「聚遠亭」
再び、屋内へ。
對龍山荘の茶室


まず拝見したのは、四畳半の茶室。床の間の奥行きが妙に深い...
四畳半の茶室@對龍山荘


水屋を通って、三畳の茶室へ。こちらは、点前座と客座の間に襖があって、敷居が結界の役割を果たしています。実際には、敷居の上に蓋置きを置くのだそうです。ユニークな構成ですね。
三畳茶室@對龍山荘


点前座の奥行きも深くて、向板がついています。
三畳茶室2@對龍山荘


写真はありませんが、床の間も、奥に広い洞床かつ室床。間口と奥の壁の幅が異なるため、どちらを中心にとるかで、掛け軸のポジショニングが変わるのです。これまたユニークですね。規制の多い茶室に自由な発想を見出すと、楽しくなってきます。


茶室から「聚遠亭」へ。とにかく床が低く、庭からつながっているような感覚です。上から土間庇が差し込んで来て、額縁のような役割を果たしています。ここに腰掛けて庭を眺めると、まさに「ほっこり」とします。
聚遠亭から庭園への眺め


隣の小川との一体感を感じます。
聚遠亭から庭園への眺め2


縁側に腰掛けて、お茶を飲みたくなりますね。
聚遠亭の縁側


軒先の天井裏、網代天井になっているのが、シャレてます。
聚遠亭の網代天井


ちなみに、天井というと、2階の天井板に樹齢2600〜2800年の縄文杉が使われているのです。
縄文杉の天井@對龍山荘


日本の数寄屋建築研究の第一人者、中村昌生先生によると、日本の住宅建築は建物と庭が一体化したような「庭屋一致」こそが理想だといいます。この對龍山荘が完成したのは、明治後期。江戸時代から積み重ねられた数寄屋建築と作庭の技術が頂点に達した時期です。これに施主(市田株式会社の創始者、市田弥一郎)が自ら磨いた教養との相乗効果で生み出された、見事な山荘でした。まさに「眼福」でした。

流れつくばい@對龍山荘


自然との一体感を強調した住宅こそ、日本古来の住宅だといいます。そうだとすると、今の高層マンションはその対極にあると言えるでしょう。日本独自の建築文化が復権するには、自然との一体感という原点を、どこかで取り戻す必要がありそうです。
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