お白石持行事@伊勢神宮(外宮)

2013/08/23
20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮。何らかのイベントに参加したり、普段見られないところに行ったりすることができないかと思っていたところ、この「お白石持ち」という行事があることを知り、伊勢出身の知人のご協力により、参加することができました。

「お白石持行事」とは、式年遷宮で新たに建てられた御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を、地元の住民たちが運び込む民俗行事です。この行事は、新しい御正殿が建てられてから神様が移るまでの間に、内宮と外宮のそれぞれに対して行われます。この行事に参加すると、伊勢神宮の神域のうち、普段は「外玉垣南御門」の外か、その内側までしか入れないところが、御正殿の正面まで進むことができます。

外宮配置図

一般の人間がここまで入れるのは、この「お白石持ち」しかないという、20年に一度の貴重な機会、というわけです。今回、参加させていただいたのは外宮への奉献です。

この行事に参加するには、伊勢神宮の地元の奉献団の一員に加えていただくか、特別神領民として申し込むことが必要です。また、参加当日は、帽子からシャツ・ズボン・靴まで真っ白で揃え、お白石を包む白い布を用意する必要があります。結構真っ白な服や靴というのはなくて、ロゴや線が入っていることが多く、今回の行事のためにいろいろと揃えなければなりませんでした。



さて、当日を迎え、御白石を載せた奉曳車を拝見しました。今回参加させていただく船江神習組のものです。これだけの石を積むわけですから、相当な重量に耐えられるようになっているはず。重厚感があります。後ろから見ると…

奉曳車1

正面から見ると…

奉曳車2

「エンヤ!」の掛け声とともに出発!この奉曳車を数千人が約2.5kmにわたって引いていきます。奉曳車からグワーンという低音の法螺貝のような音がして、重々しさを感じました。

お白石持ち奉曳1

掛け声とともに、外宮までの道を先導する奉献団の「木遣り」の人たち。ひときわ大きな声で曳航をもり立てます。

奉献団「木遣り」

外宮までの道のりは、普通に歩けばあっという間ですが、途中途中で止まっては綱を練ります。「よーいとこ、よーいとこ、よーいとこへ〜」と歌っては、道の真ん中に2本の綱を寄せます。

奉献団2

引いているときは長く感じましたが、着いてしまえばあっという間にも感じる奉曳でした。外宮の参道に奉曳車が着き、一人一人に白石が渡されます。渡された石の大きさは片手に載るほど。白い布に包みます。

お白石

ここからは一人一人が白石を持って、神域へと向かいます。

お白石持ち1

神域の手前には、こんな注意書きがありました。

お白石持ち但し書き1

お白石持ち但し書き2

写真を撮りたくなる気持ちをぐっと抑えて御正殿へ。ここから先は撮影禁止です。

お白石持ち神域手前

目の前に現れた御正殿。最高の材質のヒノキでつくられた実にシンプルなつくりでした。大きさはそれほどでもないのに、堂々とした迫力と研ぎすまされた世界の緊張感を感じます。神様が移る前とはいえ、張りつめた空気が体に伝わり、少し背筋が伸びました。すべてを超越すると、最後はシンプルになる。神様のお住まいになるところは、そんな世界なのだなということが伝わってきました。

伊勢神宮外宮神域入口

幸い、自分の参加した奉献団が、その日の最後のグループということもあり、御正殿を目に焼き付けようと、ゆっくり、ゆっくりと拝見させていただき、余韻を味わってきました。蒸し暑い夕方の奉曳でしたが、最後に見た御正殿にすっかり心を洗われました。20年に一度の貴重な機会に、感謝の気持ちで一杯になりました。

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諏訪大社御柱祭:下社木落とし

2010/04/10
数え年で7年に一度、実質的には6年に一度行われる、諏訪大社の御柱祭。氏子の男たちとともに、巨木が坂をすべり落ちていくことで有名です。巨木の下敷きになるなどして、命を落とす危険もあるといいます。実際のところはどうなのか、天気の良さそうな日を狙って、行くことにしました。
御柱祭:木落とし坂1


諏訪大社の御柱祭は6年に一度、社殿の四隅に立ててあるモミの大木「御柱」を立て替える行事です。平安初期に始まったという記述があるほど、歴史あるお祭りです。巨木は長さ17m、直径1m余り、重さ10トンを超えるといいます。この巨木を山から切り出して、人力のみで神社へと運びます。祭りのハイライトは、巨木を山から里へと引き出す「山出し」の道中で急な坂をすべり落ちる「木落とし」にあります。今回見に行くのは、その「木落とし」の場面です。

「木落とし」は諏訪大社の上社と下社で各8回、合計16回行われます。上社と下社では降りる坂が異なり、下社のほうが傾斜が急です。ということで、下社の木落としに人気が集まっているようです。

祭りの一週間前に観覧席券を探そうとしましたが、往復はがきでの申し込みが必要で、受付終了は2月20日。すでに後の祭りでした。もし当選したとしても下諏訪町役場まで取りに行かなくてはいけないというハードルの高さ。地元以外には厳しい条件でした。

わずかに当日売りが出ているということで、当日午前6時に御柱祭情報センターに電話をしてみましたが、「長い列ができている」という説明以外に材料はありませんでした。諏訪地域のコミュニティーFM「LCV-FM769」の御柱祭情報を聞いていると、なんと午前1時から並んでいる人がいたということでした。その日の最低気温は5度以下でしたから、相当寒かったでしょう。御柱を見るのも、相当の気合が必要なようです。

観覧席の予約なしで、木落としを一番近くで見るにはどうしたらいいか、とにかく現場に行ってみることにしました。

午前7時に木落としの会場付近に着きました。会場から一番近い駐車場は料金なんと1日3000円。結局、シャトルバスの出発点となる「赤砂崎」の特設駐車場に向かいました。ここなら一日500円。シャトルバスが片道100円ならリーズナブルだろうと考えました。ところが...停留所の前は長蛇の列。バス5台分では済まないほどの乗客が並んでいます。地元の放送が聞こえてきて、バスに乗るまでの待ち時間は、なんと2時間という情報...絶望的な気持ちでひたすら待ち続けていたら、続々とバスが登場し、40分ほどで乗車できました。

木落とし坂まではバスで15分程度。バス停から会場までは歩いて10分あまり。急な坂のてっぺんに着きました。最大斜度35度。木落としの恐怖を感じました。
御柱祭:木落とし坂2


坂の上には記念碑もあります。
御柱祭:木落とし坂の上の記念碑


坂の下から見上げると、こんな感じ。御柱の轍ができています。
御柱祭:木落とし坂の下


木落としに一番近いところで見ようと、規制線の近くに陣取ります。しかし、2度にわたって警察による整理が繰り返され、結局斜面から数メートル離れた木陰から見ることになりました。おさえた場所の斜度がきつく、その場で待っているのもつらい状態。そこでしばらくその場を離れました。この判断がまた間違っていて、木落とし予定時刻の1時間前に戻ろうとしたら、その前に会場は身動きが取れないほどの見学客で埋め尽くされ、道路は通行止めに。おさえた場所に戻れなくなってしまいました。
御柱祭:路上から見る


ということで、この日一回目の木落としは遠くから見ることに。うわーっという歓声が聞こえ、大きな土ぼこりが上がりましたが、肝心の木落としの瞬間は何も見えませんでした。

午前中の場所とりでおさえた場所はぐしゃぐしゃに。そこでもう一度、場所を取り直しました。ここが無料でなおかつ一番近い場所で見られそうなポイント...ですが、斜面が急で足場を確保するのも大変。足場の土はやわらかく、ズリズリと落ちていく体をおさえるのも一苦労です。
御柱祭:2回目のポイント


待つことおよそ1時間、やっと木落としが始まりそう...氏子たちの掛け声が「ヨイサ!ヨイサ!」とこだまします。
御柱祭:木落とし前の気勢1


御柱祭:木落とし前の気勢2


進軍ラッパが鳴り、アドレナリンが上がってきます。「うわーっ」という歓声とともに、木落としが始まりましたが、なんと坂の脇で縄を持っていた氏子の影で、その瞬間が見えませんでした。
御柱祭:木落としの瞬間


がびーん。何のために早朝から行ったんだろう...木落としを無事に終えて気勢を上げる氏子たちとは対照的に、こちらは「気落とし」してしまいそう。
御柱祭:木落とし直後


シャトルバスを待つと時間がかかると思い、およそ1時間、4km、トボトボと歩いて町に戻りました。途中、諏訪大社下社に寄りました。
御柱祭:諏訪大社下社2


出雲大社のように注連縄が立派です。
御柱祭:諏訪大社下社


本殿の周りには、6年前の御柱が立っていました。年月を経たせいか、小さくなったように見えました。
御柱祭:6年前の御柱


社務所では御神木でしょうか?切り株が1000円で売られていました。御神木は最後まで有効活用されているようです。
御柱祭:御柱最後の姿


会場から去る途中に木落としの瞬間を伝える映像が流れていました。観覧席からはパブリックビューイングのように見られたのでしょうか...当日ひょっこりやってきて、無料で見ようというのは甘い考えなのかもしれません。でも、会場に来た22万人(ニュースによると)のうち、観覧席の客数はそれほど多くないはず。その瞬間が見られなかった観客は多かったのではないかと思いました。
御柱祭:観客多数


7年に一度という触れ込みにつられて行ったものの、雰囲気を充分に味わえずに帰途につきました。残念!
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ねぶたまつり@青森

2009/08/03
去年のリーマンショック以来の不況をうけて、今年の夏祭りにやってくる観光客の数が減っているという記事を読みました。地方で行われるお祭りは観覧席やグッズの収入によって運営が支えられているところが多く、祭り好きとしては気がかりです。

とは言え、普段なかなか行けないお祭りに行くには、この状況は自分にとっては絶好のチャンス!ということで、東北3大夏祭りのうちの2つに行くことにしました。

青森ねぶた準備風景1


この日、向かったのは、青森のねぶたまつり。客が減っているとは言え、なかなかホテルが予約できません。ようやく予約サイトでラスト一室でおさえたビジネスホテルは、シングル1室1万円を超えていました。ちなみに平時は1室4000円。まさにお祭り料金です。ホテルにとっては稼ぎ時ですから、仕方ないんですけどね...

当日、祭りの開始時間に間に合うように、青森に到着しました。大きなねぶたが通る場所は青森駅前から徒歩5〜10分程度のところにありました。開始2時間以上前から場所取りをしている熱心なお客さんも少なからずいました。その脇を売り子さんがお土産の鈴を響かせながら通り過ぎていきます。
青森ねぶたのお土産の鈴


メインストリートのわき道には、ねぶたがスタンバイ状態で置かれ、近くで太鼓演奏が続いていました。太鼓演奏のばちが長いのが特徴的です。
青森ねぶた準備風景2



午後7時、ねぶたがメインストリートに現れ、打ち上げ花火を合図に一斉にパレードが始まります。参加団体は、大まかに、囃子方・ハネト(踊り子)・ねぶたの三要素で構成されています。大きなねぶたは地元の有力企業が運営したり、スポンサーになったりしているようで、企業ロゴが大きく入ったものが多く、それぞれが地元での存在感をアピールしていました。
青森ねぶた1


小さなねぶたは町や学校単位で運営されていることが多かったです。小さいといっても、迫力はしっかりとありました。
青森ねぶた2


囃子方はいくつも並んだ太鼓とその後ろの笛が中心です。
青森ねぶた囃子方1


青森ねぶた囃子方2


ハネトは「ラッセラー、ラッセラー」という掛け声をかけながら、片足で跳ねるように踊ります。これがねぶたの特徴です。
青森ねぶたハネト


そして、ねぶた。最も大きなもので、幅9m、奥行7m、高さ5mという規定があるそうです。戦国武将や、大河ドラマの登場人物、中国の伝説上の人物などをモチーフにしていました。
青森ねぶた3


ねぶたは当初、灯篭だったのが、昭和30年代に革命が起こって、骨組みが竹から針金に、内側の明かりがろうそくから蛍光灯に変わったそうです。蛍光灯でも、和紙を通してみると、光にやさしさが入るように感じました。
青森ねぶた4


ねぶたの行進は、21時20分頃まで続きました。
青森ねぶた5


交通規制が解除されると、祭の華やぎがスッと消えて、あっという間に静かな街に戻りました。

この夜、登場したねぶたは、合計22台。夜の街をのっそりと進む姿は幻想的で、近くで見るとその大きさに圧倒されました。気温も20度と涼しく、コンディションがとてもよかったです。今度は五所川原の巨大なねぷたに行ってみたいと思いました。
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年に一日しか上陸できない島@宗像大社沖津宮現地大祭

2009/05/27
宗像大社の神域として、婦女子の上陸が禁じられ、男性でも年にたった一日しか訪れることのできない島、沖ノ島。福岡県宗像市からおよそ50kmの沖合にあります。この日、宗像大社から上陸を許された、200人余りの男たちが、島内の沖津宮(おきつぐう)で行われる現地大祭に参加します。自分もその一人として上陸することができました。

宗像大社沖津宮現地大祭は毎年5月27日に行われます。1905年5月27日、沖ノ島のすぐ近くで日露戦争の日本海海戦が繰り広げられ、日本軍はロシアのバルチック艦隊を破りました。その様子を、神官のお仕えとして働いていた男が目撃し、その様子を日誌に書き残していたことが(「坂の上の雲(8)」などで)知られています。現地大祭は、この海戦の戦没者慰霊の意味合いもあるようです。


さて、ここからは、貴重な1日の記録です。前日の説明会で、宗像大島の漁港に、午前7時集合、午前7時30分の出発と決められました。前日に渡されたチケットに記された名前の船の近くに集まって、神職が点呼をとりました。こちらが、今回の旅でお世話になる漁船です。
宗像大社沖津宮現地大祭:えびす丸?


前日に渡されたライフジャケットを着て乗船します。海が荒れると激しく船酔いするかもしれない、と注意されていたので、空いていた船底部分に寝ることにしました。外の景色は見られませんが、揺れが少ないことを優先しました。

船が出港したのは、予定より10分早い、午前7時20分。地鳴りのようなモーター音と揺れを背中に受けて、この船のスピードを感じました。目を閉じて、じっとすること一時間。モーター音が小さくなったと思ったら「着いた!」という声が聞こえてきました。日本国旗と海軍旗が共に掲げられていました。海軍と沖ノ島の関係を感じさせます。
沖ノ島1


到着時刻は午前8時20分。事前の案内では2時間かかるということでしたが、この漁船の能力が高く、波が穏やかだったおかげで、あっという間に着きました。船着き場のすぐ近くには、社務所があります。
宗像大社沖津宮社務所


社務所の横には、沖ノ島の上陸心得が書かれた看板が立っています。
沖ノ島上陸の心得


さて、その心得に則って、さっそく禊(みそぎ)です。スッポンポンで肩まで海中に浸かります。沖ノ島:禊


ちょっとひんやりとしましたが、耐えられないほどではありませんでした。持参したタオルで全身を拭いて、社務所の脇の水道で水を汲みます。後ほど沖津宮でお祓いを受けると、ご神水として持ち帰ることができます。

そして、沖津宮へと向かいます。石段は強い波風を受けてきたせいか、削れてなだらかになっていました。
宗像大社沖津宮への鳥居1


鳥居の扁額の字に歴史を感じます。
宗像大社沖津宮への鳥居2


沖津宮に至るまで、素朴な鳥居が3基ありました。
宗像大社沖津宮への鳥居3


宗像大社沖津宮への鳥居4


宗像大社沖津宮への鳥居5


10分ほど歩くと、沖津宮の社殿に着きます。一人ひとりが、ゆっくり丁寧にお参りしていました。
宗像大社沖津宮社殿


現地大祭の開始予定時間、午前10時まで少し時間があったので、周囲を散策してみました。頂上へ至る道の途中は、このように緑で覆われる場所もありました。
沖ノ島の自然1山道


沖ノ島からは、一木一草たりとも持ち帰ってはいけないせいもあって、古来の自然が残っていると言われます。
沖ノ島の自然2


植生は照葉樹林に属しているということもあって、大きな葉の植物が目立ちます。
沖ノ島の自然3


沖ノ島の自然4


巨大な岩も数多く見られました。沖ノ島では、4世紀から10世紀にかけて、このような大きな岩の上や岩陰で祭祀が営まれてきました。このような岩陰から遺跡が見つかり、そこで見つかった遺品が国宝や重要文化財になります。「海の正倉院」のルーツはこういう場所にあるわけです。
沖ノ島:巨石


沖津宮社殿に参拝者が続々とやってきました。午前10時を待たずして、現地大祭が始まりました。
宗像大社沖津宮現地大祭


現地大祭は、30分もかからずに滞りなく終了しました。あいさつに立った宮司さんが「日本古来の信仰がそのままの形で残る、この島の様子を目に焼き付けて、多くの人に語ってほしい」と話されました。

この後、船着き場では直会(なおらい)が行われるということですが、もう少し島を散策しようと、島の頂上を目指すことにしました。枯れ葉でふかふかとした山道を歩いて行きます。
沖ノ島:頂上への道1


頂上への道は原生林の中を進みます。思ったよりも整備されていました。
沖ノ島:頂上への道2


とは言っても、一か所だけ、すべりやすい岩をのぼる必要があります。
沖ノ島:頂上への道3


沖ノ島にも、ドコモのアンテナが立っているのには驚きました。バリ3です。
沖ノ島:頂上への道4


午前10時55分、沖津宮社殿から30分足らずで頂上に着きました。海抜240m。灯台があります。周りは見渡す限りの海。お天気にも恵まれて、爽快な気分です。
沖ノ島:頂上からの眺め1


島の緑、岩の白さ、海の青さ...色彩が深く、くっきりとしていました。
沖ノ島:頂上からの眺め2


船着き場も見えます。
沖ノ島:頂上からの眺め3


頂上には10分も滞在せずに、すぐに下山しました。船着き場までは30分ほどかかりました。
沖ノ島:頂上への道5


船着き場では、直会が終盤を迎えていました。残された料理を少しずついただきました。地元の漁師さんによる、アジやイワシの煮付けがドーンと大皿に載っています。コクがあって、唐辛子が効いてピリッとしてます。
宗像大社沖津宮現地大祭の直会1


その煮汁にそうめんを入れたもの。そうめんのさわやかさと煮汁のコクのハーモニーが素晴らしく、癖になる味でした。
宗像大社沖津宮現地大祭の直会2


食べ終わるか終わらないかのうちに「出港時間は12時とします」というアナウンスがありました。いやー、慌ただしい! 社務所の脇で水をくんでお祓いをうけたり、社務所で御朱印をいただいたり(自分は御朱印帳を持ってこなかったことを後悔しました。とは言っても、一枚紙でいただき、後日、貼付けました)、残り時間でやり残したことのないように、せかせかと動き回りました。
宗像大社沖津宮社務所でお祓い


沖ノ島を出たのは12時05分。帰りは少し波がありましたが、それでも宗像大島に着いたのは13時10分でした。自分が乗った船は一番早かったのです。うれしいことに、船酔いの心配は杞憂に終わりました。午後は時化るかもしれない、という話でしたので、出発が早まったのかもしれません。

宗像大島から神湊(こうのみなと)への船は定刻14時40分発でしたが、帰路につく現地大祭参加者であふれることから、その20分前に臨時便が出ました。柔軟な対応です。神湊から宗像大社辺津宮に立寄り、無事に戻って来たことに感謝のお参りをしました。

年に一日というか、ほぼ半日の上陸。時間のない中で、目一杯、見られるものを見てきました。手つかずの原生林に、巨大な磐座...そこにひっそりと建つ社殿、そして全裸で海水に浸かる禊。日本人の信仰の原点をまさに体感することができ、少し背筋が伸びる思いがしました。
宗像大社沖津宮社殿2
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年に一日しか立ち入りできない島:宗像大社沖津宮現地大祭前夜

2009/05/26
玄界灘に浮かぶ孤島・沖ノ島は、およそ12万点もの国宝や重要文化財が出土した「海の正倉院」と言われ、宗像大社の神域として立ち入りが厳しく制限された島です。その制限とは、
1)古例により、婦女子の上陸が禁止されている。
2)神職を除く一般の男性も年に一度の沖津宮現地大祭を除いての上陸は禁止されている。
  上陸の前に、全裸になり、海に浸かって禊(みそぎ)をしなければならない。
3)御神水以外は、一木一草一石たりとも持ち帰ってはいけない。

つまり、一般の日本人男性が沖ノ島に上陸するには、毎年5月27日、この島にある沖津宮で行われる現地大祭に参加するしかありません。このお祭りに参加できるのは、事前に申し込み、宗像大社から許可の出た200人だけ。70歳以上の渡島も、原則禁止されています。

年に一日、200人の男性だけが立ち入り可能な島、沖ノ島。今年、初めて上陸の許可をいただくことができました。前夜までの動きをまとめてみました。


○申し込み○
電話で宗像大社に問い合わせたのが3月20日頃でした。住所・氏名・年齢、それに「沖津宮現地大祭資料希望」と記した葉書を送ってほしい、ということでした。数日後、現地大祭参拝要項と申込用紙、それに前夜の宿泊地となる宗像大島の民宿リストが送られてきました。申込用紙には通し番号があって、200番台でした。遅れてはいけないと思い、すぐ申込用紙を記入して発送しました。

参拝許可の葉書が届いたのは4月中旬。今年以外に参拝のチャンスはそんなにないと思っていたので、とてもうれしかったです。参拝要項によると、現地大祭の前日(5月26日)18時に、宗像大島にある宗像大社中津宮で手続きをしなくてはなりません。ということで、すぐに宗像大島の民宿を予約しました。もちろん、個室などないので「一名、相部屋」での予約です。


○参拝前日○
15時に福岡空港に到着。そこから宗像大島へのフェリー発着港となる神湊(こうのみなと)までの往復にはレンタカーを利用しました。。最寄のJR東郷駅から神湊波止場までの路線バスは1時間におよそ1本しか運行されていないために、行き帰りの行動に大きな制約が出ると考えたからです。神湊まで、車で1時間あまり。宗像大島に向かう船の出航時刻、17時10分まで少しだけ時間があったので、宗像大社神宝館に立寄り(とは言っても、ここも16時30分に閉館してしまいます)、沖ノ島から出土した国宝の品々を拝見しました。神湊では、波止場の近くにコインパーキングがあって、24時間で1100円でした。

宗像大島に向かう船のデッキは、明日の現地大祭に向かうであろう人たちで一杯でした。一旦、宿に荷物を置いて中津宮に向かうと、この人たちも同じ場所に向かって歩いていました。

宗像大社中津宮


中津宮では、整理番号別に受付されていました。200名募集ということでしたが、実際には250番まで番号が振られていました。沖津宮奉賛会費2万円を納めると、記念品の入った紙袋をいただきました。記念品の中身は、こんな感じ。細長い紙袋の中には餅が入っていました。
宗像大社沖津宮現地大祭記念品


18時過ぎ、太鼓の音が響きます。沖津宮現地大祭宵宮祭が始まりました。明日の沖ノ島への渡航の安全と現地大祭の成功を祈願します。
宗像大社沖津宮現地大祭宵宮祭


宵宮祭は20分もたたずに終わり、その後は明日の現地大祭にあたっての諸説明が行われました。全般的な説明と、乗る船ごと(計7隻の船に分乗します)にわかれての説明がありました。漁船に乗る人には、オレンジ色のライフジャケットが渡されました。宗像大島から沖ノ島までの渡航時間は2時間。大丈夫かな...28年間来ていて、沖ノ島に渡れなかったのは2回だけと教えてくれたベテランの方もいらっしゃいました。

説明が終わると、流れ解散。各自、宿に向かいます。自分が宿泊した民宿の相部屋には、今年69歳(つまり、来年になると行けなくなってしまう)の神職の方やお坊さん、出版関係者とカメラマン、ある日突然神社の魅力に魅せられた20代男性など、年齢層も動機も様々な人たち。全員共通していたのは、今回が初めてということでした。夕食の時には、神社にまつわる様々な話をしました。なんだかオフ会のような感じすらしてきます。

夕食後、宿の人に翌日の昼食のお弁当の依頼をしました。翌日は、午前7時集合、7時30分出発予定。早くも22時には消灯となりました。生活リズムが合わず、急には寝られませんでした。明日は、穏やかな波でありますように...
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