我が指導教授の最終講義

2007/03/03
今回は我が指導教授、島田晴雄先生の最終講義のメモを記します。島田先生は、この3月で定年より1年早く慶応義塾大学を退官、千葉商科大学の学長に就任されます。自分にとっては、大学2年の「自由研究」という授業から、3年、4年のゼミまで、3年間お世話になりました。

先生は何事にもとにかく前のめり。頭の回転が速くてフットワークが軽い。この人の辞書に「ゆるい」という言葉はないように思えます。この最終講義では、先生の半生を振り返りながら、これからの時代を俯瞰し、われわれへのメッセージを残す、というものでした。

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学生時代はAが53個、Bが4個という、空前絶後の「金時計」。英語のスピーチコンテストでは帰国子女をさしおいて、トップになるという快挙を成し遂げました。

「泳いででも、アメリカに行きたかった」フルブライト留学。米国でも全米トップクラスの成績で高い奨学金を獲得します。彼にとってのひとつの到達点は、ある学会で、自分が労働経済学を志すきっかけとなった本を記した、憧れのダンロップ先生が、自分に会いにきてくれたこと。以来、「労働経済のことはシマダに聴け」ということになったのだそうです。

帰国後は慶應義塾大学経済学部の教授として研究活動や後進の指導にあたったほか、細川内閣、橋本内閣、小泉内閣などの歴代内閣のブレーンとして活躍されました。島田ゼミからは、およそ600人が卒業していきました。
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団塊の世代は、アメリカを憧れに、懸命に学び、経済成長を果たすというゴールをひたすら追い求めた。それで良かった。今は、アメリカはゴールのひとつに過ぎない。世界は複雑になり、日本も世界も大きな転換点に来ている。

・すでに日本は世界の先進国。必ずしもアメリカから学ぶ必要はなくなった
・インターネットの出現でフラットな世界が現れた。情報格差がなくなった。
・BRICsの成長(2050年には先進7カ国を大幅に上回る経済力をもつようになる)
・日本社会の高齢化、人口減少
・地球環境問題が深刻になった。

高齢化が進む日本は、1980年以降のイギリスが体験したような、海外から人とモノをどんどんと受け入れる国に変わっていかなくてはならない。そのためには、海外の人から見て、魅力ある国づくりをしなくてはならない。

国内市場が縮小に向かうなかで、日本企業は、サムソンのように、海外での売上が総売上の8割になるような時代がくる。それを前提とした社の体制、戦略をつくらなくてはならない。ということは、世界中(特に、インド、中国、ロシア)とコミュニケーションをとって仕事をすることが、より一層当たり前の時代になってくる。


このような時代の大きな節目で、われわれ一人ひとりは何をすればいいのか。そのヒントは、150年前、幕末から明治を駆け抜けた、福沢諭吉のメッセージにある(このへんに触れるあたりが、さすが慶應義塾と言うべきか)。「西洋事情」「文明論の概略」「学問のすゝめ」…

「文明とは人の智徳の進歩なり」(←本当にいい言葉です!)
「知は力なり」:知識を蓄えよう。本を読めば、そこに行かなくても、行ったかのように話ができる!
「目的意識を持て」:知識を持ったら、それを何のために使うのか、明確にせよ。
「よい友達を持て」:努力をしただけ、それに見合った友達ができる。人生はそこから開ける。人は一人では生きていけない。

世界中から見たら、日本人の生活水準は非常に高い。朝起きたら、世界中が羨望と嫉妬のまなざしで見ている。いい意味での緊張感をもって毎日を過ごそう。


久しぶりの島田節でした。先生は感無量になることもなく、早口でしゃべり倒しました。小さな体から溢れ出る豊かなバイタリティ…最終講義も、先生の前のめりな人生を反映していたのかもしれません。そうです。悩んだり引きこもったりする暇はないのです。過去を振り返るより、いまできることを見つけて走り出そう! そんな元気をいただきました。


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京都の老舗に学ぶ:半兵衛麩

2005/10/06
生麩田楽をはじめ、京都の麩はもっちりとしておいしい! 麩をつくって316年という老舗「半兵衛麩」の11代目に、伝統未来塾の講座を通してお話を伺うことができました。これは、老舗の教訓に満ちたお話で、とても勉強になりました。以下、メモをもとにした抜粋です。

「麩は中国で生まれたもので、中国では「麺筋」と呼ばれていました。小麦粉を練って練ってどんどん水を加えて、チューインガムのようになったものを煮たり焼いたりして食べます、要するに小麦たんぱく質のかたまりです」

「京都の水は花崗岩を通ってくるので、軟水なんです。これが麩をやわらかくする作用があります。関東の場合、火山灰(関東ローム層)を通ってくるので、硬水なんです。その場合、麩が固くなってしまうんです。だから、おいしい麩は京都でしかできないんです」
→ここで京都の軟水を生かした食文化の話がでてきました。食べ物と水が合っているということを聞くにつけ、昔の暮らしが合理的にできていたことを物語っているように思えます。軟水は昆布だしがとりやすく、硬水はかつおだしがとりやすいそうです。

「半兵衛麩の初代は京都御所でご飯造りと門番の仕事をしていました。なかなか生計が立てられなくて、軌道に乗ったのは3代目のときです」

「京都府の老舗調査によると、老舗の伝統が残されるのは、3代目が頑張ったかどうかなんだそうです。逆に言えば、大半の会社は3代目でつぶれるんです。初代が立ち上げたビジネスを2代目が楽に引き継ぎながら、夜は遊ぶ。3代目は2代目が遊んでいることを間近で見ているから、さらに遊んでしまう。ですから、3代目が踏ん張るかどうかが生き残るかどうかのカギなんです」

「3代目が学んだのは、石田梅岩の<石門心学>です。仏教・儒教・神道などを取り入れたもので、士農工商の時代(江戸時代)に慎むべきとされていた商人の営利活動を積極的に認めたところが大きな特色です。松下幸之助さんや、稲森和夫さんなども、この学問を学び、実践に移しています。その心は、<金儲けのためにではなく、人の役に立つために物を動かす(商売をする)>、<利を求めない者は商人にあらず。ただし、儲けたら必ず(使って)世の中に還元せよ>などということです」

「こうして石門心学を学んだ三代目が残した家訓のひとつが<先義後利>です。これは荘子の言葉ですが、<人として正しい道を優先させ、自分の私利私欲は後に回せ>という意味です。もうひとつ紹介すると<不易流行>です。これは<物の本質を変えずに、時代の流れに沿いなさい>という意味です」

「我が家では具体的な話をしながら、家訓を伝えています。例えば、あられを食べるときには欠けているものから食べなさい、と言います。これは嫌なことから先に済ませよう、という意味です。嫌なことから始めれば、後が楽になる。平穏な気持ちで過ごせるわけです。昔、銀行員が融資の審査をする打ち合わせの時に、あられを出して、欠けた物から食べる人には融資をして、きれいなものから食べた人にはお金を貸さなかったそうです」

「京都人は、町衆ぐるみで高くてもいい物を作るように心がけてきました。近隣の人が粗末なものを作るようであれば『そんな粗末なもん、作ったらあきまへん。町の評判が悪くなるから』などと皆で注意したそうです。逆に、京都に新しい人が入ってきたときは、定着するかどうか、町衆みんなで様子を見るのです。ですから、京都人は排他的というわけではないんです」

「伝統とは、今まで受け継がれたことを守ることではありません。<不易流行>の精神で、常に新しいことに取り組むことを言います。受け継がれたことを守るのは<伝承>というのであって、日本ではただひとつ、伊勢神宮の式年遷宮(20年に一度)のことを指すのです」

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ふむふむ。言うことなるほど、ごもっとも。歴史を乗り越えた重みをひしひしと感じました。半兵衛麩は、戦争中、営業活動を一切せず、家宝を売ってしのいだそうです。戦後、「あんたら、ようがんばったなあ」と、お客さんが長年の苦労を認めて戻ってきたということです。ホントに、いいお話です。

お話をうかがったあとで、<むし養い>という名のランチをいただきました。麩料理のフルコースでした。生麩田楽や麩のしぐれ煮など、色彩もバリエーションも豊かでした。なぜ<むし養い>と呼ぶのかというと、腹が減るとお腹の虫が鳴きますよね。それを鎮める、つまり「これでも食べて、腹の虫を養ってください」というお店のメッセージだということです。食べてみたら、腹の虫を養うどころか、かなりしっかりお腹にたまりました。

半兵衛麩:むし養い


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数寄屋大工の第一人者に話を聞く〜中村外二工務店

2005/09/09
数寄屋大工の第一人者、中村外二工務店の二代目・中村義明棟梁のお話をうかがう機会を得ました。数寄屋造といえばお茶室ですが、中村さんは裏千家や伊勢神宮のお茶室から、ジョン・レノンやロックフェラーといった世界的セレブの住宅建築まで、幅広い実績があります。気むずかしい職人さんかと思いきや、非常に気さくで話の上手な方でした。もちろん、内容も刺激に富んで面白かったです。以下は、伺ったお話の抜粋です。

「よく書院造と数寄屋造の違いを聞かれます。この問いに対して、書院造はアールデコで、数寄屋造はアールヌーボーだと答えています。書院造は白木に漆喰の壁、畳の大きさに合わせて造られるもので、室町時代に完成した様式です。これに対し、数寄屋造は赤い木や黒い木に土壁と、書院造の緻密な世界を壊す側面を持っています」

「同じように、宮大工と数寄屋大工の違いですが、宮大工が寺社建築を行い、一瞬の隙もなくピシッとつくるのに対して、数寄屋大工は床の間を中心に考え、床の間に掛けるものに合わせてつくります。もっとも、にじり口から入った正面に床の間がある、というのが基本ですが。自動車産業や製造業を見てもわかるように、小さいものに価値を見つけるというのは日本人のよきDNAだと思います」

「僕のオヤジは、例えばお施主さんが5000万円で造ってくれ、というときに、いつも1億円で造りましょう、と倍の予算を言うんです。お施主さんはいつもぎょっとするんですが、オヤジは『あなたの未来を、20年後をつくるんです』と答えていました」

「我々は建材を売っているわけではなくて、空気を売っています。いま、日本の多くの家が完成時をピークに造られていますが、我々の家の場合、出来上がったときの完成度が50%、30%、あるいは10%だと考えています。そこから住まう人が育てることで、100%になるのです」

「禅寺の毎日は、1にも2にも掃除、掃除です。そうやって培われた清潔感が、建物に味わいを増すのです。いくら海外で茶室をつくっても、ほんまもんに見えないのは、結局きちんと毎日掃除をしないからではないかと思うんです。家が出来上がってしばらくしてから、様子を見に行くとき、ふだん掃除をしていなさそうなところを見ます。お施主さんは非常に嫌がりますが、そこがきれいな家というのは、整った家なんだよね。それだけ大切に住んでくれていると思うと、こっちもうれしくなります」

「上品さと力強さって、同居しづらいんですよ。ところが本当の一流は、それを兼ね備えているんです。建築でもそれを実現したいですよね」

「同じ10センチの太さの柱でも、目が細かい木だと細く見えて、目が粗いと太く見えるんです。木にも温度があって、固い木は冷たくて柔らかい木は温かい。ケヤキのような固い木を使った部屋にいると、緊張するんですよ。」

1)「興石」(中村さんの北欧家具・灯具の店)にて
美術館に展示されるような、立派な椅子が無造作と言えるほどに置かれていました。座ってみると自分の体には少し大きいものの、名作といわれる椅子に深く腰掛けたときの座り心地は、さすがにすばらしいものがありました。

中村さん談「家具に興味を持つようになったのは、住宅を建てるときに、中に入るものを勉強してから考えた方が良いものができると考えたからです。 デンマークの家具は1930年代から50年代が黄金時代です。ポール・クリントやフィン・ユールなどがその代表です」

「デンマークの素材で唯一世界に誇れるのが、ペンキです。これは世界のどこにもない。骨材が入っているんです。色は、赤・グレー・黄色・緑の4つ。普通のペンキと違って、濡れた手でさわると、その水分がなかなか乾かない。手触りがしっとりとしています。色も陽気な色と言うより、日本海的な地味な色彩になっています。色とは不思議なもので、お国柄が出るんだよね。日本国内だってそう。高知出身の建築家が出す色は、どんなに暗くしてもどこか明るさをもっているのに、福井出身の建築家が表現する色は、どんなに明るくしてもどこかに暗さを引きずっている」

2)銘木貯蔵倉庫にて
「ここでは木が汚れないように乾かしています。桑は20年、桐は10年乾かさないと、その木の味が出てこない。逆にそれくらい置けば、価値がぐっと上がります」

「大工を育てるときに、How to から入ることが多いけど、本当は素材を知ることが先ではないかと思います。アメリカの木を削るときに、10万円の日本製のかんなよりも、現地のホームセンターで売っている3000円の工具の方がいいということだってあるんです。自然を歩かないと、素材はわからない。素材によって欠点はいろいろありますが、それを理解すれば、どのように工夫すればいいかがわかる。そうすれば、コストを下げることだってできるんです」

3)中村邸にて
数寄屋造りの風通しの良い家。簡素にして素材の良さをひしひしと感じました。
「今の家は、空調や床暖房で湿度が低くなるので、木が割れやすいんですよ。だから、お施主さんに湿度計をプレゼントしたりして、(特に冬は)最低限の30%以上の湿度が確保されるようにしてほしいと言うんです」

「洋間を作るときは、床材にいいものを使った方がいいです。逆に、和室は視線が上に行くので天井にいい素材を使った方がいいです」

「建材は日進月歩ですが、昔の技術・ノウハウを優先します。完成度が高いから。新しい技術を使うときは、コストを下げるときですよね」

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とりとめなく羅列しましたが、最も印象に残った一言は、
「いくらお金を出しても、いい大工が技術を尽くして頑張っても、いい家になるかどうかは、結局お施主さん次第なんだよね。お施主さんも良い家を造ろうと努力したり、勉強しているかどうか。最近?かなり質は低下しているね。いま、施主は50代より30代の方が面白いよ」

中村外二工務店は「高い」(坪単価700万円!)という評判ですが、いいものになるかどうかはお金ではない! ものづくりの神髄はここにある! 六本木ヒルズに住む人たちにはわかるかな?


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