勘三郎襲名披露@大阪・松竹座

2005/07/18
大人気の勘三郎襲名披露を見ることができました。歌舞伎はこれで3回目ですが、今まで伝統としきたり、文化がベースになっているのに対して、この公演は現代的なわかりやすさやエンターテイメントが加わって、とても面白く充実した内容になっていました。東京では到底取れないチケットも、ここ大阪では少し工夫すれば定価で確保することができます。

今回の席は二等席。ところが、松竹座の二階6列目は二等席としては一番前の列にあたり、一等席とわずか一列違い。それでいて料金は半額。お得なのです。

夜の部の演目のメインは「野田版・研辰の討たれ」。友人に「これは一度見ておくべし」と言われていたので、楽しみにしていました。敵討ちをテーマにした演劇は、忠臣蔵のように敵討ちをする側に焦点があたりがちですが、この演目では町人出身の気弱な侍を主人公にして、敵討ちをされる側に焦点をあてています。

影をいかし、スピーディーでコミカルな動きを取り入れた演出や、今の言葉がふんだんに入ったセリフまわし、歌舞伎の10倍以上は早いとみられる、展開の早さ。鮮やかでダイナミックなセット。歌舞伎をベースにした現代劇といった方がいいかもしれません。全体が笑いに包まれ、軽妙に物語が進みますが、最後にほろっと来ます。勘三郎はうまいですねぇ。

このほかの演目「大津絵道成寺」では中村鴈治郎の素早い変化が楽しめます。ドリフもビックリの着替えの早さに、裏方の底力を見ることができます。女形と男役の踊りのステップの切り替えは、素人目にもメリハリがあって見応えがありました。

「負け犬の条件」のひとつに「古典芸能にはまる」というのがありましたが、自分もそうなってしまうような魅力を感じました。やばいと思いつつ、楽しい。複雑です。チケット代がもうちょい安くなったら、間違いないですね。ひゃー。


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祗園祭・山鉾巡行@京都

2005/07/17
「動く美術館」が京都の町をぐるっとパレードする、それが祗園祭の山鉾巡行です。マラソンのように、沿道には多くの見物客が、計32基の山鉾が通り過ぎていくのを見るわけです。今回は(1)大通りのビルの4階から(2)鉾が回転する曲がり角(3)狭い路地を大型の鉾が進む地点、の3カ所で見ることができました。カメラの撮影ポイントを変えるように、見学場所を変えると、楽しみ方も違って面白いことがわかりました。

宵山が終わって終電で帰った翌日、疲れが抜けきらないまま、朝の電車で京都に向かいました。すでに街にはあふれんばかりの観光客。大きな通りが通行規制されているので、団体ツアー客ですらバスを利用できず、地下鉄に乗車していました。

山鉾巡行は午前9時に四条通からスタートします。が、ここは少し手抜きをして、午前10時半、順路の後半地点、烏丸御池付近での見物と決め込みました。両側計6車線の広い御池通での行進を見ようと、事前に会社関係の方にお願いして、通り沿いのビルにおじゃましました。実際、上から見る山鉾巡行は、全体が見渡せてテレビ中継のようなアングルで、非常にわかりやすく見ることができました。

山鉾は、大きな「鉾」と、小さめの「山」の二通りに分かれます。「鉾」は重さがなんと12トン。高さ・17〜25m、車輪・直径2m、床面積・4畳半〜6畳という、特殊な車輪付き木製コンテナ。車両の先頭に音頭取りが2人、二階部分に囃子方およそ40人が、屋根に4人が乗ります。これを30〜40人が引っ張ります。いや、これは重いだろうな。「山」は重さが1.2〜1.6トンで、引き手が14〜24人。

ということで「鉾」と「山」では見た目の迫力が全然違います。「鉾」が来るときは、引き手がたくさんいて、しかもお囃子の音が遠くから聞こえてくるので、本体を見るまでの間があります。「山」は引き手が少なく、お囃子もないので、あっという間に通過していきます。すべてがあっという間に通過するというのではなく、3基ごとのまとまりで行進があってときどきインターバルが入る、という感じです。時折前が詰まって、渋滞状態になることも。動くものが美術館なので、少し悠長な方が見る方としても助かります。

パレード行程のの後半だからか、それとも30度を超えてしかも蒸し暑いせいか、引き手も囃子方もぐったりとしている人が散見されました。まあでも、手先までぴちっとそろえて行進するのは、高校野球か北朝鮮のパレードくらいだから、その方が現実的で好きですけど。

全体の3分の2が通過したところで、見学地点を御池新町に移しました。ここは山鉾が不器用かつダイナミックに90度方向転換をする「辻廻し」が見られる場所。山鉾は木製の車輪と言うこともあって、直進しかできません。辻廻しでは、車輪の下にたっぷり水をまき、その上に薄くて細い竹を何本も敷いて、その上をすべらせることで、何トンもの車両を方向転換させます。よく引っ越しで重いものを動かすときに、下敷きとなる布を用意しますが、あの要領に似た感じがします。竹を使うのは、京都に竹林が豊かなことの証なんだそうです。

動く美術館だし重いんだったら、乗っている人が全員降りて、軽くしてから方向転換すればいいんじゃないか、と思ったら大間違い。全員定位置についたまま、伝統に則った方法で動かします。音頭取りのかけ声に合わせ、90度を4回くらいにわけてターンします。前述の大きさの鉾がきしみながらターンする様は、不格好であるがゆえに、本体ごと崩れないか、車輪が傷むことはないのかと心配になってしまいます。1度ターンをするたびに、拍手がわき起こっていました。

そのあとは、新町通の中に入っていきました。新町通は非常に狭くて4mくらいの片側通行の道路、両側には町家やマンション、電柱が所狭しと立ち並ぶ中、大型の鉾が入っていきます。それはさながら、狭い住宅地に大型バスが入っていくような「あー、ぶつかるぅ」というスリル。ただ、大型バスの場合は、住宅が壊れないかと心配するわけですが、今回は山鉾が大丈夫かと心配するわけです。なにせ美術館ですから。

ここで活躍?するのが、屋根に上った4人。ぶつかりそうになると、ゴム底の足袋をはいた足で電線を抑えます。感電しないのかと心配になりますが、その様子を見ながら引き手が慎重に引っ張っているように見受けられました。道の両脇の、ビル2,3階に住む住民が、まさに目の前を通過する囃子方に手を振ったりしていました。マラソンで選手にスペシャルドリンクでも渡せるような近さでした。

と、こんな感じで祗園祭は粛々と進行していました。終わった後は、何事もなかったように交通規制が解除されて、烏丸御池周辺は、いつもより少し多めの観光客が歩いている感じ。あれだけたくさんいたギャラリーはどこへ行ってしまったのだろう? 祭りの後の寂しさもなく、非常にサバサバとした印象でした。

貴重なものが街を行進するというのは、不思議なものです。普通は、ぶつかってビルが壊れないかと心配するのに、乗り物が壊れないかと心配するのは、やはり歴史と伝統のなせる技なのでしょう。恐るべし。次回はもっと新町通をマークして、大型の鉾と狭い住宅地のせめぎ合いを堪能したいなと思いました。


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祗園祭・宵山@京都

2005/07/16
夏の訪れを告げる京都の風物詩・祗園祭に初めて行きました。このお祭りは7月1日から1ヶ月間、曜日に関係なくスケジュールがかっちり決まっています。祗園祭の見せ場は、17日の山鉾巡行とその前日の宵山、24日の花傘巡行…ということで、今年はすべて土日にあたります。この機会を見逃す手はない!ということで、50万人を越える人出にもみくちゃになりながら、歩きまくりました。

この日は宵山と言って、32基の山鉾が展示されました。山鉾とは、カートつき巨大みこしと考えればわかりやすいでしょうか、かつぐのではなく、縄で引っ張ります。山鉾には、しこ名のようにひとつずつ名前がついていて、その名前の最後に「山」か「鉾」がつきます。名は体を表すようで、大型が「鉾」、小型が「山」と見ればほぼ間違いないということです。大きさは中型トラックくらいで、高さが巨大アンテナつきダブルデッカー、というイメージが一番具体的かも。

午後5時。阪急電車で烏丸駅に着くと、そこはすでに見物客でホームからはみ出そうな混雑ぶり。ブームも手伝って、結構いい確率で浴衣を着て歩く人を見かけました。コスプレみたいなもんですが、お祭り気分を盛り上げるにはいいですよね。地下駅から地上に上がるとすでにヒューヒューという笛の音と「コンチキチン」という鐘の音がリズミカルなハーモニーとなって聞こえてきます。おおー、やってるやってる。ここですでにお祭り気分が盛り上がります。

この日は烏丸通りから西、四条通を中心に南北に広がるエリアに、32基の山鉾が路上駐車をして、明日の本番を前に観光客にその雄姿を披露します。それぞれの山鉾の周りには必ずテントがあって、粽(ちまき)などや手ぬぐいなどのオリジナルグッズを販売されていました。関係者の子供たちが京都弁で一斉に「粽どうですか、手ぬぐいどうですか」などと観光客に声をかけます。粽を買った人に鉾の中を見せるという特典を用意するところもありました。

山鉾は、町衆が自治組織を核にして、スポンサーをつけたりしながら、長い長い年月をかけて豪華な装いを身につけ育ててきました。今では「動く美術館」として世界的な評価もされてきているということです。それぞれには、聖徳太子や天照大神にちなんだネーミングやご神体を祀って、側面には必ずと言っていいほどインドや中国、ペルシャ(イラン)の刺繍や絨毯がかかっていました。これは鎖国の時代に入手されたものが多く、それらの品がいかに貴重であったかを物語っています。

山鉾のそばには、それを支えてきた伝統的な町家があって、その入口に家宝が並べられます。家宝は江戸時代の掛け物や打ち掛け、屏風などで、確かに並べてみるだけで壮観。「この湿気の多い暑い時期にわざわざ一般公開することが、京都人としての心意気なんや」と話す人もいました。伝統と文化、ここにはお金で買えない世界がみなぎります。

「岩戸山」という大きな山鉾に、拝観料300円を払って入ってみました。内装は御神輿のように金ぴかでゴージャス。お囃子方が座る二階部分に上がってみると、これがなかなかスリルがあることがわかります。取っ手や手すりがない!つまり高さ5メートルはあろうかという二階部分に、暴走族の箱乗り状態で座り、手には鐘や笛を持つわけです。車が揺れて落ちることはないのかと、少し心配になってしまいます。明日の山鉾巡行には、6畳くらいの床面積に、交代要員を含めて40人が乗り込むのだそうです。ひゃー、狭い!

山鉾以外で面白かったのは、沿道のお店が一斉にバーゲンセールをすること。いつもなら午後6時に閉まるお店が夜10時すぎまで堂々とオープンしてました。驚いたのは、呉服屋さんの多いこと。和装小物や浴衣をかなりの安値で販売していて、通りかかった女性が次々と引き寄せられるようにお店に入っていきました。浴衣1500円とか、500円の小物とか、しかも仕入れルートがいいせいか、上品なデザインのものが数多く並んでいました。

ちなみに僕は、伊万里焼・太一郎窯製コーヒーカップとお皿など4点を買いました。白地に藍色、屏風絵のような控えめで上品なデザインに魅せられて、必要もないのに勢いがついてしまいました。お店の人も在庫を抱えたくないのか、かなりのダンピングをしてくれたようです。これぞお祭り効果。裏書きのついた桐箱に入って、7500円。鳥肌モノのお値打ちでした。


座る暇もほとんどないまま、沿道の店に立ち寄ったり、山鉾をしげしげと眺めたり。すんごい人混みで、最も混雑しているところだと、押すな押すなの状態にまでなっていて、狭い路地は一方通行に規制されていました。そんなこんなで、32基のうち、およそ半分しか見ることができませんでした。残念!

宵山は、カーレースで言うと、ピットウォークのようなもので、動く前に本体を間近にしげしげと眺めることができます。が、レースカーと山鉾では圧倒的な違いがあります。ひとつひとつの車両にまつわる伝統、文化・美術に対するこだわりです(逆に言うと、レースカーには最新技術が込められているわけです)。この行事に対する京都の人たちの心意気を直に触れることができる、とても面白いイベントでした。

明日は山鉾巡行。「動く美術館」がどういうふうに動くのか、楽しみです。


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楽茶碗の世界に触れる@京都・楽美術館

2005/07/08
茶道の世界では「一・楽、二・萩、三・唐津」と言われるほど、茶碗として高く評価されている楽焼。その伝統は桃山時代から続き、現在が15代。その伝統をひっしと背負う楽吉左衛門さんのお話が聞けるという貴重な機会があり、会社を半休にして行きました。陶芸家としての繊細な感性が印象に残りました。

今回、お話を聞くことができたのは、京都に残る伝統文化に触れながら、その継承者に話を聞くというユニークな「伝統未来塾」(http://www.dento-mirai.jp)のカリキュラムを発見したのがきっかけでした。この講義のラインナップが非常に内容が盛りだくさんで、その充実ぶりはまさに充血モノ。

講義は1時間半近くで、それに加えて楽焼の製作工程についてのビデオを見ました。ビデオでは、約90年も寝かせた粘土を使うこと、ろくろではなく手びねりで外側を決めた後、ヘラで少しずつ削りながら形を整えること、秘伝の釉薬を使うこと、炭を使って10人近くが火をくべながら一碗ずつ焼くことなどが紹介されます。非常に伝統にのっとった製作工程です。楽焼のまろやかな感じは、あの釉薬と、低温で焼くことによってもたらされているようです。

当代の楽吉左衛門さんは、芸大の彫刻を卒業して、イタリアに留学。家を継ぐ決心をしたのは27歳のとき。イタリアでの経験が大きな影響を与えたと話していました。言葉や考え方が違う、光や音が違う…自然や生活など地域に根ざしているところから文化が芽生え、育まれることを痛感したようです。

彼は日本の文化を「すりあわせの文化」だと言っていました。何と何のすりあわせかはよくわからなかったんですが、確かに日本は、何らかのオリジナルを、様々なアジャスト(すりあわせ)をすることによって、自らの文化に昇華させることがうまいですよね。書道、お茶から、野球・企業経営に至るまで。

短い講義のなかで、ひとつだけ質問することができました。恥ずかしながら、かなりビギナーな質問です:「なぜ<茶碗>なんですか?」 楽と言えば、抹茶茶碗。他の用途で使われるのを見たことがなかったからです。

楽さんは答えてくれました。「様々な表現ができて、作り手の思いや精神性がずっしりとこもっていて、使う人がそれをしっかりと受け止めることができる、しかも日常的に使える、そんな器は(抹茶)茶碗しかないと思います。コーヒーカップやお皿ではこういうふうにはいかないでしょ?」「初代・長次郎の茶碗は、真っ黒でごつごつとして、一見ぶっきらぼうにすら見えます。でもよく見れば、余計なものを徹底的に削り、否定に否定を重ね、最後に残った<何か>を表現したかったのではないかと感じられます。その<何か>はシンプルという表現とも違って、言葉にできないのではないか」「長次郎は、赤楽茶碗を通して赤を表現したかったのではなく、土を表現したかったのではないか」

講義後の雑談では、日本的な感性について熱心にお話されていました。欧米とは、光や音、言葉が違う。静けさが違う。表現ができなくなったときは、京都の郊外で自然の中に身を置き、ささやかな変化を感じ、時には感動しながら、しばしば心身をリセットするということでした。芸術家らしい繊細な感性の世界に、ほんの少しだけ触れることができました。

こういう話を聞くと、テレビの世界というのは罪作りだなあと感じてしまいます。日本伝統の「間」や「静けさ」「影」「空間」を徹底的に否定して、ゴテゴテの色と、音と光と言葉(字幕とナレーション)で埋めまくる。視聴率が下がらないために、ありとあらゆる手を使うわけで、致し方ないとも言えますが、これでは文化が壊れてしまうかも。なんとかならないものか。

京都に行くと、お寺や美術館で、どきっとするほどの知性を感じることがあります。が、今回、このような形で話を聞くことができて、最も直接的な刺激を受けました。伝統未来塾、面白かったので、ぜひまた参加したいと思います。


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