倉敷:蔵屋敷街を歩く

2005/09/19
蔵の白壁がつづく家並みと、しだれ柳に小川…倉敷というと、時代劇に出てくるような味のある町並みをイメージします。初めて足を運んでみました。

今回、倉敷に行ったのは、あらかじめ購入してあった、岡山までの新幹線回数券の使用期限が近づいていたためです。特に何かイベントを狙って行ったわけではありません。倉敷へは、岡山から在来線に乗り換えて12分。新幹線に新倉敷という駅がありますが、のぞみは停まらないので、このルートの方が便利で安上がりでしょう。

駅を降りると、普通の地方都市と同じような感じで、観光客の影はなく、かなりがらーんとした印象。これが本当に様々な雑誌で紹介された、情緒あふれる町なのでしょうか?

これまたちょっとさみしい商店街をを歩くこと15分。蔵屋敷が見えてきます。そこが美観地区。倉敷川沿いに、蔵屋敷が立ち並び、電柱は地中に埋められて、明らかに景観が保護されています。その努力はすばらしい!蔵屋敷の白壁はまぶしく映えていますが、この壁の白さに対するこだわりは、ギリシャのミコノス島やサントリーニ島など地中海の観光地並みだと言えます。

ところが、この地区に着くと、わいて出てきたかのように、観光客が数多く歩いていました。その多くはバスツアーで来ているみたい。誠に勝手ながら、バスツアーの客というと、キャップをかぶったオッサンと、がめついオバサンが想像されます。これが見事に絵に描いたような人たちがたくさんいらっしゃいました。

ということは、案の定、蔵屋敷に並ぶお店の大半はおみやげ屋でした。「きびだんご」「むらすずめ」などのお菓子や、「備前焼」「草履」など、民芸品系のお土産。中には「となりのトトロ」のショップや、招き猫のショップなどもありました。残念ながらコンテンツ的には単調で奥行きの深さを感じられませんでした。「むらすずめ」というお菓子は初めてだったのでひとつ食べてみました。卵をベースにした薄い皮であずきをくるんだもので、これが皮のめちゃくちゃ薄いどら焼きを食べたようで甘ったるい。うう。

倉敷川沿いを2往復くらいして、町並みを保護しようという意志に敬意を表しつつも、コンテンツのひどさにげんなりしてきたところで、倉敷民芸館に入りました。

この民芸館は、江戸時代後期に建てられたという米の蔵を改装して、昭和23年にオープンしたということです。倉敷とその近郊で作られたものから、海外から取り寄せたものまで、陶磁器やガラスなどを中心に展示されていました。蔵屋敷の構造が見えて、しかも太い梁や、濃い色の床板など民家の力強い内装が見事にマッチしています。受付近くのお土産のレベルもかなり高く感じられました。

続いて大原美術館へ。昭和5年に設立した日本最初の西洋美術中心の私立美術館です。大英博物館を思わせるような重厚なつくりです。中で展示される作品も、エル・グレコやモネ、ルノワール、ゴーギャン、マティスなどの「ほんまもん」が盛りだくさん。当時の画家・児島虎次郎が、事業家・大原孫三郎をパトロンに、海外留学をし、美術品の収集活動に取り組んだ成果が、見事に現れています。音声ガイド(500円)を聞くと、収集家としての執念が見事にわかります。

別館のひとつには、児島虎次郎の作品も数多くかかっていますが、これが意外と面白くて、日本の風景を印象派が描くとどうなるのか、が如実にわかります。背景の色彩の明るさもパステル系で、絵の描かれた場所が日本ではないような印象です。作風も作者の制作状況や時代と共に変化していくことがよくわかる展示でした。

倉敷川から1ブロックはずれたところにある、明治時代の紡績工場を改装してつくられた「倉敷アイビースクエア」にも立ち寄りました。明治時代の煉瓦造りの建物に、蔦が分厚くからんでいます。煉瓦のオレンジと緑の蔦のコントラストが美しかったです。

このように、倉敷の美観地区はとてもチープなお土産街と、文化的に奥深い美術館や民芸館が共存するという、非常に危うい状況でした。後者を大切にしながら、より多くの人に面白いと思ってもらう町になるように、期待しています。

午後5時になると、主な美術館やお店が閉店してしまうので、かなりさみしく感じました。美観地区の外も閑散としてきたので、僕も5時半過ぎに失礼させていただきました。

※そうそう、岡山名物のお寿司「ままかり」を食べました。かつておいしすぎてご飯を借りてきてまで食べたという言い伝えからその名前が残っています。が、実際に食べてみると、おいしいからではなくて、塩分と酢が強すぎるためにご飯を追加せざるをえないのではないかと思いました。


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名月管絃祭@下鴨神社

2005/09/18
一年にたった一度だけ行われる月見イベント。会場は世界遺産の由緒ある神社。会社は休みで空は快晴。これは行くしかない!ということでフットワークよろしく行ってきました!

平安時代からの伝統という、このお祭が一般公開されたのは、昭和38年のこと。今では外国人観光客も数多く訪れるそうです。祭が始まるのは午後5時半からですが、今回は3連休ということでさらなる混雑を予想して1時間前に行ったら、用意された1000席のうちの3分の1のみが埋まっていました。これはいいや、と早速席をキープ。

2棟の国宝と53棟もの重要文化財があるなかで、祭の舞台・橋殿もまた重要文化財…舞台装置として、これ以上ない設定です。30分ほどの神事ののちに、ライブが始まりました。琴、尺八や雅楽の演奏、十二単姿の女性による平安貴族舞と古式豊かな日本の伝統芸能がこれでもかと出てきます。

普通、このような伝統芸能を見たり聞いたりすると、難解で単調なため、すぐに激しい睡魔が襲ってきます。ところが、ここ下鴨神社は舞台装置の良さ、糺(ただす)の森に覆われた周辺の静寂などがあいまって、集中して見ることができました。前方席の人たちが懸命にデジカメで撮影したために、後方席の僕も含め、見えない箇所があったのは残念ですが、いざ演奏や舞踊が始まった後の雰囲気の良さは、会場とイベントそのものの歴史の重みのおかげだと言えるでしょう。

下鴨神社は森に覆われているので、舞台の終わる午後9時ごろにならないと、月を見ることができません。でも、木々の間から漏れる月の光は、かぐや姫の出現を期待させるような神秘性を含んでいました。


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中秋の名月を眺める@大覚寺

2005/09/17
月を眺めて美しいと思う…そんな感性は日本にしか残されていないのではないかと思います(そもそもは中国古来の風習だということですが)。月を見て、想像力をフルに働かせ、歌を詠む…そんな優雅な世界を守り続けようというお寺が、京都にはいくつかあります。そのうち最も有名な大覚寺「観月の夕べ」に行きました。

大覚寺は、京都・嵯峨野の奥にあって、敷地内に周囲1キロ、中国の洞庭湖を模してつくられたという大きな大沢池があります。16〜18日の3日間、ここに浮かべられた小舟に乗り、抹茶をいただきながら月を眺めることができます(1200円)。船に乗れなくても、池を正面から眺める広いお茶席があります(600円)。

日没直後?の午後6時半、お寺に着くと、すでに乗船チケットは最終回(7時50分〜)の分しか売られていませんでした。ここまで来て乗らないわけにはいかない、と1時間以上の待ち時間をどう過ごそうかと考えながら、お寺に入っていきました。

寝殿造りの長い廊下を歩くと、床板がウグイスのように鳴る仕掛け(うぐいす張り)があったり、狩野派の華やかな襖絵を見ることが出来たり、次々と意外な発見が。そうしているうちに、月見にちなんだ講話を聞くことができました。

「仏教の世界では、月を見るという行為は3通りあります。上空の月を見る、(池の)水面に映える月を見る、そして内面の月を見る…自らを省みることです」

そんなありがたいお話を聞いているうちに乗船時間となりました。ところが乗り場には長い列が。チケットはたくさん売られていたのですね。肝心の月は雲の合間から見えていました。20分ほどの待ち時間のうちに、雲が取れて、乗船直前には満月に近い丸い月が、光を放ちながら出てきました。ラッキー!これだけ月を待ちこがれたことは、僕の人生で初めてです。

小舟は「龍頭げき首」の船と言って、船首の部分が、頭が龍で、首が中国の想像上の鳥の形をしています。源氏物語にも登場する舟だそうです。中心は屋形船のように屋根がついてます。靴を脱ぎ、緋毛氈の敷かれた屋根下部分に入ると、赤い袴姿の女の子が深々と頭を下げて「ようこそ」と迎え入れてくれます。

ほどなく舟が動き出すと、和菓子とお抹茶が出てきます。屋根がじゃまで上空の月を見ることは難しいのですが、水面に映った月や、灯籠を眺めながらのお茶は、非常によい気分でした。貴族は月でさえも見下ろす、という昔の趣向を反映しているようです。池のほとりには出店があるのですが、寺の境内と言うこともあって、和紙にくるまれたほのかな灯りに包まれています。音もがちゃがちゃとした現代音楽はなく、境内の琴の演奏が流れてくるだけ。全体が雅な空気に満ちていました。

舟に乗っていた時間は10分もあったでしょうか、あっという間でした。でもそこにたゆたう時間・空間は、中世のような優雅でのんびりとした雰囲気に満ちていました。忙しい日常を忘れるには絶好のひとときでした!

大覚寺:観月の夕べ


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だんじり祭@岸和田

2005/09/15
だんじり祭と言えば、大きな山車が威勢良く市内をかけまわり、時に観客を蹴散らし、周辺の建物にぶつかる、危険と隣り合わせのお祭り。その威勢の良さが岸和田出身者の血中ヤンキー度の高さを物語ります。2日間でマラソン2回分の距離は走るというハードな内容、祭りに至るまで毎日のように積み重ねられる打ち合わせ(「寄り合い」と呼びます)から生み出される密接な近隣関係など、普通の都会では失われつつある濃厚な何かが感じられます。


岸和田駅を降りると、「トントコトン」と調子の良い囃子が聞こえてきました。その方向に歩を進めると、大きなだんじりが「うりゃー」という声と共に走り抜けていきます。だんじりの通り道の端を歩いていましたが、すんごい迫力です。危うく轢かれそうになりました。

だんじりは、幅2.5m×高さ3.8m×長さ4m、重さ4トンとずんぐりとした感じの山車です。ケヤキで出来ていて、全体が彫刻作品のように繊細にできています。釘を一切使わずに出来ているということで、専門のだんじり大工がいます。英語では「moving shrine」(動く神社)と説明するみたいです。このお祭りには、地区(町)ごとに分かれた合計21台のだんじりが登場します。

一台のだんじりに、引き手、屋根の上で踊る大工方、お囃子方、だんじりの前後で方向を決定づける前梃子や後梃子など、数百人から千人近くが関与しています。それぞれの町でハッピの色やデザインが違いますが、どれもどこかモダンな柄と落ち着いた色彩が魅力す。だんじりが走り去ると、その町の住民らが後ろを追って走っていきます。これがなんとも楽しそうな、すがすがしいような印象がありました。

祗園祭の山鉾と同じように、だんじりは直進しかできません。重さ4トンの芸術品がカーブする際に、京都の山鉾はゆっくりと慎重に回すのに対して、このお祭りではてこの原理とスピードで豪快に曲がっていきます。このコーナリングが通称「遣り廻し」と言われていて、だんじり祭りの最大の見どころです。これをいかに早く美しくキメるかが問われます。美しいコーナリングのためには、200人を越す引き手と、左右のてこを操る担当の阿吽の呼吸が必要です。ドリフト的な要素もあって、坂を攻めるのではなくて、街角を攻める…それがヤンキー魂に訴えるのかもしれません。


向かったのは、だんじりが最も頻繁に通過するスポット、「カンカン場」。T字型の交差点の両脇から、次々とだんじりが入ってきます。午前9時にもかかわらず、沿道にはびっしりと観客が立っていました。この祭りを何度も見に来ているような慣れを感じます。

だんじりは、曲がり角の手前までゆっくりと曳行されてきて、一旦停止します。「綱元」と呼ばれるだんじりの引き手が、綱を握り、両腕を肩と同じ高さに水平に広げ、首を下げてスタンバイ状態に。だんじりにはお囃子方が乗車していて、発車前はゆっくりとした調子で笛が鳴り、太鼓や鐘が叩かれます。発車の合図が出る直前は100m走のスタート前に似た緊張感が走ります。

「ピーッ」とホイッスルが鳴ると、お囃子のピッチは一気に上がり(これがなかなか名調子)、汗だくの綱元は「うりゃー」などと声を出しながら引っ張ると、だんじりは一気にスピードアップします。ここカンカン場は目抜き通りということで力が入るのか、他のコーナーよりもスピードが出るようです。あるだんじりは膨らみすぎて電柱に衝突、別のだんじりは、てこの原理を効かせすぎて、曲がり角の内側にある観客席の土台に突っ込みました。このスリルこそ、だんじり見物の醍醐味。おおー、梃子係は生きているのか?

だんじりは丸2日間、走り続けます。その間、綱元や囃子方がローテーションで交代することはありません。つまり、ずっと同じ役割。しかも直前の一週間は「寄り合い」という打ち合わせとリハーサルに追われて、ほとんど寝る時間がないそうです。以前、ある綱元が万歩計をつけたら、1日の歩数が6〜7万歩に達したとか。1歩80センチとして計算したら、1日にマラソン以上の距離を、だんじりを引きながら走るわけです。しかもそれが2日間続く。これはアドレナリンが出まくっていないと完走できないです。

岸和田生まれ、岸和田育ちのマダムに話を聞きました。「この時期になると、胸騒ぎがするんです。いま、息子も祭に参加していて、綱元にハッパをかけてますよ。仕事に支障が出るので、あまり声を出すなとは言ってますけどね。これだけ老若男女が力を合わせるお祭りって珍しいでしょ? それがだんじりのいいところなんです」

だんじり祭では、「合理性」とか「目的」といった言葉が意味を持たないように感じました。祭りに至るまでに重ねられる町内での濃密な縦と横のつながり、エネルギーを爆発させる2日間。参加者にとっては、毎年同じことをしているようで違う風景があるそうです(詳しくは晶文社「だんじり若頭日記」をご覧下さい)。ふるさとのお祭りがこうだったとしたら、幸せなんだろうなと思いました。


だんじり祭りは、曜日に関係なく毎年9月14日・15日に開かれてきました。以前は敬老の日が15日に固定されていたので、大きな通りは観客で埋め尽くされていたということですが、今年は両日ともに平日のため、地元の人は「今年はえらいすいてまんなあ」と話してました。目抜き通りは大きな人垣ができていましたが、来年からは週末開催に変更されるということで、さらなる混雑が予想されます。今年行っておいて、よかった!


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桃山ド派手ワールド@西本願寺

2005/09/11
西本願寺の国宝「書院」「飛雲閣」は予約をしないと拝観できません。ところが、きょう一日だけは「下京門前町ルネッサンス」というイベントの一環として特別拝観が行われることがわかり、あわてて行ってきました。これが予想以上にすごかった! 桃山時代の秀吉ド派手ワールド!

京都駅から歩いて15分ほど。大きな伽藍が見えてきますが、最も大きな御影堂は工事中。完成は平成20年だって。お目当ての書院と飛雲閣に直行したかったにもかかわらず、寺の境内の案内は余りにも小さく、警備のオッサンに聞いてもわからない。こんなところにも「イケズ」が...

1)唐門
金の模様に、青・緑の唐獅子に麒麟などの装飾がゴテゴテとついて、柱の色がほとんど目立たなくなるほど。彫刻の見事さに日が暮れるのを忘れることから「日暮門」とも呼ばれるそうです。確かにしばらく見つめてしまいました。門柱に描かれた麒麟は、キリンビールのラベルとそっくり。というか、これがラベルのイメージの元だったんでしょう。

2)書院
これぞ桃山建築!入口の杉戸に虎が描かれています。当時、日本には虎はいなかったので、画家は毛皮を見て想像しながら描いたんだそうです。入口に虎を置くことは、家主を権威づけ、入る者にプレッシャーをかける意味があったそうです。アニメ「一休さん」で屏風の虎をとらえなさい、という命題を与えられたことを、なぜか思い出しました。

ここから先は、目が出目金のようになってしまうほどの、派手派手ワールドが次から次へと見えてきます。真っ白な壁や、プレーンな建具がひとつもない。天井・襖・欄間の金色ベースに虎や鷹、雁、月、牡丹、竹、雀、などなど、狩野派の骨太な絵がはまります。桃山文化、咲き乱れてます。

ただ派手なだけでなく、襖絵を欄間越しに見ることで、一枚の絵が完成するといった演出や、何十枚と張り巡らされた天井画のたった一枚に猫を描いたり。かと思うと、北側には現存する最古の能舞台「北能舞台」があって、ここはひっそりと落ち着いた空間。舞台の回りにはつるっとした細長い石がすべて同じ方向に向いて敷き詰められていました。音響効果をよくするための仕掛けで、実際に観世流の家元が能を演じたときに、その効果をひしひしと感じたそうです。粋な演出も次々発見されます。

そんな仕掛けと、派手な色、こってりとした絵柄に圧倒されながら、最後にたどり着くのが秀吉と諸大名が面会したという「対面所」。200畳を越える広さは、大広間という概念を越えています。ここも狩野派の巨大な襖絵と、ダイナミックなデザインの欄間がどーんとあるわけですが、それ以外にも「逆遠近法」を使った襖絵がありました。この絵の前に立つと、その人間が大きく見えるということで、小柄な秀吉のコンプレックスの表れだという見方もあるそうです。もう一方の襖の奥が万一のときの警護役の居所になっています。このへんが「武家風」書院造の由縁なのか?

3)飛雲閣
ここは金閣・銀閣と並ぶ、京都の3名閣のひとつと言われています。柿葺き屋根の3階建て。色は地味ながら、お茶室が組み込まれ、唐破風や入母屋など変化に富んだ屋根が左右非対称に並びます。前に池が広がっていることで、楼閣に落ち着きを与えてくれます。庭に生えた苔も、普段荒らされていないせいか、きれいに生えそろっていました。

+++
そんなこんなで、秀吉の桃山ド派手文化が、この3カ所に凝縮されて表現されています。ここを見れば、控えめで上品な室町文化が、武士の登場によって力強く派手に変化してできたのが桃山文化だと言うことがよくわかります。派手好きの人やダイナミックなものが好きな外国人ツーリストには特におすすめです。そうでなくても、魅力がてんこもり。しかも京都駅から近いので、時間さえ取れれば寄ってみられるように仕込んでおくこともよろしいかと思います。


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