本場の茶会に飛び込み参加@京都・大徳寺

2006/05/28
京都・大徳寺は「茶人面」(ちゃじんづら)と言われ、茶の湯の歴史と深い関わりを持っています。そんなわけで、ここでは毎月28日に、いくつかの塔頭で茶会が開かれています。なぜ28日かというと、それは千利休の命日が2月28日だからです。つまり利休忌の茶会、というわけです。しかし、この情報、どんなガイドブックやホームページにも大々的に書いていません。「和楽」に小さく載っていたくらい。本当かなぁと半信半疑ながら、ついに28日が週末と重なる時がやってきました。

それにしても、きょうの茶会は、何時から何時まで、どの塔頭でやっているのか、会には誰でも参加できるのか、それとも茶券を事前に買っておかないといけないのか、そうだとすればどういうルートで販売されているのか、参加するにあたって特別に必要な物はないのか、などの情報が全くわかりません。とりあえず、最低限失礼のない範囲で行こうと、ジャケットを着て、懐紙を持って出陣しました。

午前10時、大徳寺に着いて、最初に行ったのが「聚光院」。千利休の墓や名茶室があります。ここで茶会をやっていたらいいなと思い、門に向かうと、普段は「拝観謝絶」の看板があるのに、今日はない。これはひょっとして行けるかなと思い、袴姿の若いお兄さんに聞きました。「ここでお茶会、やってますか?」「いま入れますか?」などと聞いたところ、お茶会はやっているものの、茶券を買っていないと入れない、とのことでした。

「おお、これは困った! せっかく早起きしてきたのに、情報もロクに取れずにノコノコとやってきた自分が悪いのか…」などとしばし落ち込んでいたら、かつてガイドさんがある塔頭の特別拝観で「門に札が下がっている塔頭で、お茶会をやっている」という話をしていたのを思い出しました。すると「在釜」と書かれた看板が、いくつかの塔頭の入口にかけられていることがわかりました。

大徳寺利休忌茶会

その中で、まず行ってみたのが、大慈院。「茶会」と書かれた看板の矢印の指示に従って本堂に入ると、受付がありました。老紳士が2人座っていて、2人の前にはちゃぶ台があって、名前が書かれた巻紙と硯・筆が置かれています。ちゃぶ台からは「臨時会費 1000円」と書かれた紙がぶらさがっています。勝手がわからないので、老紳士に聞いてみました。

「すみません、ここのお茶会に参加したいのですが、一般でも参加できますか?」
「ええ?何だって?…あ、どうぞどうぞ。1000円です。次の席に入れます」

枯山水の庭を拝見しながら、しばし待っていましたが、周りを見ると、参加する人は中高年のご婦人方が絶対多数を占めています。政党で言えば間違いなく最大派閥。この中で和服姿が8〜9割。若い人の中には洋服姿も見受けられました。しかし、僕のような物好きな男はかなり珍しい存在です。この茶席の知人・友人とみられる方も何人かいたようでした。待合いには、茶席で使われる掛け軸や茶碗・お花・お菓子などの説明が書かれている一角があります。ただ、この説明は、わかる人にはわかるけど、わからない人にはチンプンカンプンな説明です。僕がわかるのはやきものの種類くらい。作者などはまったくわかりませんでした。

お茶室に入ると、お茶会恒例の譲り合いが待っています。お茶席には客の序列があって、最も床の間に近い位置(主賓の座=正客<しょうきゃく>)に座ると、客を代表して、この茶会の主催者(=亭主)に対して、タイミング良くあいさつし、床の間に掛けられた掛け軸や、飾られた花、使われている茶碗や茶杓、出された和菓子などを次々と聞いては掘り下げていかなくてはいけません。その代わりに、その席で出される最も価値の高い茶碗でお茶をいただくことができます。でも、その面倒な役割を自分から喜んで担う人はいません。ですから、お茶室に入ると、正客の座だけポッカリと空いています。こういうときに限って、普段は図々しいご婦人方も「大役は殿方にお願いしたい」などと言って譲ろうとするのです。要するにボロを見せたくないだけなのね。座り位置がいつまでも決まらないから、席が始まらない、なんてこともしょっちゅうです。

僕が入った席には、亭主と親しい老紳士がいて(助かりました)、僕はその隣の次客になってしまいました。久しぶりの茶会で、しかも次客なので少し緊張しました。ここの席は、1回22人が定員。残りはすべてご婦人方でした。お茶室はガラスのサッシがあることからも、比較的新しいように見受けられました。

和菓子をいただき、お茶をいただき、お菓子の入った器の蓋や、正客や次客が使った茶碗、抹茶が入った茶入れ、茶杓などを鑑賞する。その間、正客と亭主の会話に耳を傾ける。こうした一連の席の所要時間は40分くらいです。和菓子も季節感たっぷりでおいしいし、その後に飲む抹茶ももちろんおいしい。使われている道具やしつらいも、本場・大徳寺で行われるだけあって、亭主の気合いを感じました。

終わった後は、床の間や茶道具をもう一度拝見してから、待合室に戻り、説明をもう一度チェックしました。そうか、あの茶道具はそういう名前で、誰(有名な茶人など)の好み、ということがわかるようになります。覚えきれないけどね。

こうして一席目が終わりました。ここでわかったことをまとめると、毎月28日は
・「在釜」と札の掛かった塔頭で茶会が開催されている
・臨時会費1000円を払えば参加できる
 (茶の湯に興味のある個人が対象なんだそうで、グループ不可)
・必要な物は、扇子・懐紙・菓子楊枝 の3つ。
・服装は和服かスーツかジャケット着用が望ましい
・お茶の心得がなくても参加したい場合、アドバイザーとなる同伴者が必要

引き続き、興臨院・瑞峯院・玉林院と行きました。幸運なことに、ほとんど待ち時間なく入れました。合計4席。いずれも会費は1000円でした。興臨院は裏千家の席で、それ以外は表千家の席でした。ま、どの席でも流派が問われるような場面はほとんどありませんでした。

お茶室が良かったのは玉林院。本堂の解体工事中で茶室の外は建築現場になっていましたが、茶室までの露地に趣がありました。茶室は薄暗く、昔の雰囲気を残していました。和菓子や道具は、5月らしく緑を扱ったものが多いなと感じました。具体的に何がどのように価値があるか、わかりませんでしたが、これは骨董屋と同じで何席も回るうちに少しずつわかるような気がします。


和菓子とお抹茶を反復して飲むと、身体がだるくなってきました。そう言えば、昔、某グルメ系雑誌の編集担当が、お茶特集を担当すると「お茶酔い」をするから誰もやりたがらない、なんていう話をしていたのが思い出されます。まあでも、お茶の本場で「一見さんお断り」ではないお茶会に参加できる、というのはかなり貴重な機会だと思います。ただ、茶道好きの婦人だらけなのが残念です。もっと多様な人が参加したほうが面白いし、もう少しわかりやすく理解できる解説などの仕掛けがあれば、日本の茶の湯文化を体験し理解する上で、この上ない機会なのに、アナウンスが不足しているのはもったいない気がしました。


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権威と巡る伝統建築(1)曼殊院

2006/05/27
数寄屋造りから日本の伝統建築を研究されたパイオニア、中村昌生さんが、日本の伝統建築の現場に赴き、お話を伺うという興味深い授業に参加することができました。これがすんごい面白かったです。以下、その講義の抜粋です。

「日本では社寺建築の研究が歴史的にも進んでいましたが、茶室を中心とした数寄屋造りの研究はあまりされてこなかったのが実情です。ところが、あの美しい桂離宮は、社寺建築の理論体系では説明がつかず、茶室の知識がなくては理解ができない。つまり和風建築の基本は数寄屋造りにあると言えるのです。ですから、茶の湯を勉強しなくては、日本の伝統建築を語ることはできない、というわけです」

「第一回の授業に曼殊院を選んだのは、桂離宮に匹敵する美しさがあって、しかも常時拝観ができるからです。茶室の思想が建築物にも現れているのです」

「曼殊院は良尚法親王が設立したとされています。この良尚法親王は、桂離宮をつくった八条宮家の智忠親王の弟にあたります。つまり、桂離宮のDNAがかなり入っているわけです。曼殊院の大書院から小書院へとつながる建物の配列は「雁行(がんこう)状」になっていて、これは桂離宮と同じ形式です。大書院の廊下から小書院への眺めが実に美しいです。

「ほぼ同じ時代に建設された建物として二条城が挙げられます。二条城は当時の権力者(徳川家)が造ったものですが、威圧的なデザイン・構造になっているのに対し、桂離宮は穏やかで簡素。自然と庭と建物が一体化しています。これは平安時代に発展した寝殿造と思想的に似ているのです」

「曼殊院も二条城と同じ書院造りの建物ですが、床柱(杉の丸太)や天井、釘隠(富士山の形の七宝焼)などに、重々しくならないような配慮がされています。屋根や天井が低く見えるような配慮もされています。これも建物を権威的に見せないための仕掛けです。これらには施主(良尚法親王)の意向がかなり反映されているようです。

「長押から天井までの壁を小壁と呼びますが、ここをどうデザインするか、それが日本建築なのです」


曼殊院見学の裏技として、お寺の係の方にお願いして、特別拝観料1000円を払えば、茶室(八窓の席)を拝観することができます。ここの茶室は桂離宮の松琴亭に似た造りになっているということですが、入ってみると非常に雰囲気のあるいいお茶室でした。本当に八つ窓がありました。

「茶室で最も難しいのは窓の配置です。ルールが決まっていないから、施主の創意が見事に反映されます。ここの窓の特徴は数が多いこと。点前座の風炉先にある下地窓と色紙窓の配置や、にじり口の左側の下地窓と連子窓(れんじまど)の配置は小堀遠州好みです。窓には機能性があるわけではなく、見た目の変化を味わうようになっています」

「八窓の席のもう一つの特徴は、にじり口の正面にある床の間の天井が極めて高いことです。長い掛け物が掛けられます。点前座の前に上下に棚がついていますが、これは雲雀棚(ひばりだな)と言って、古田織部が考案したものです。平天井と屋根裏の天井の構成も織部的。屋根裏の垂木は、皮付丸太や小丸太が織り交ぜられていますが、こうした配慮は貴族好みですね。

「今の建築の世界では、鎌倉時代から日本で継承されてきた規矩術を全く教えないまま、建築士の資格を取ることができます。それでは、日本が誇るべき建築文化は廃れてしまうのではないか。ソフトを継承する人を育てたいですね」


今までお寺に行っても、漫然と眺めては「ああ、ここはいいなぁ」と感覚的にとらえていた部分が多かったのですが、こうして講義を受けることで、そのパーツの意味が理解できて、全体もしっかりととらえることができる。そうすると、自分がいいなと思っていたことが、どういう特徴なのかがわかります。今後もシリーズで参加していきたい授業でした。


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キトラ古墳の壁画「白虎」を目撃@奈良・明日香村

2006/05/21
いろいろと関西エリアを歩いてはいるものの、歴史発祥の地とも言える明日香村に足を運んでいないのがずっと気になっていました。が、今回、飛鳥資料館で初めてキトラ古墳の壁画が展示されるということで、ピーカンの天気のもと、飛鳥をサイクリングしながら、今話題の「白虎」を見に行こうと思い立ちました。それにしても、万博のパビリオンを思わせるような、すごい混雑でした。

飛鳥へは、近鉄あべの橋駅から急行で40分くらい(近鉄の急行って4両編成なんですねぇ。シブイ)、橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)で下車します。ここでレンタサイクルをするわけですが、なんと近鉄の経営するショップは自転車がすべて出払っていました。そこで地元の高齢者事業団が運営するショップへ行きました。お値段は近鉄と同じで1日1000円。細長いかごのママチャリによいしょと乗り、地図を頼りに出発。

この地図の記載が正しいのか、イマイチ確証がもてないまま、ひたすら走ると、やがて飛鳥資料館の看板が見えてきました。多くの車が駐車場に入っていき、観光バスもちらほら。これはやばいと入口に急ぐと、係員が「いま、キトラ古墳の壁画まで120分待ちです」との案内。時間は12時半ごろ。ひえ〜、これでは万博ではないか。

こういうときは、素直に並ぶのではなく、閉館30分前に行くのが、最も時間をセーブする鉄則。ということで、修学旅行以来、久しぶりの飛鳥回遊を先にすることにしました。
・飛鳥寺:日本最古のお寺と言われ、なんと1410年前に創建されました。今の建物は江戸時代のものですが、飛鳥大仏は609年に造られた日本最古の仏像です。平安・鎌倉時代の火事で、建物が焼け、光背が焼けたものの、本体はしっかりと残っていたそうです。日本最古の仏舎利が大仏のお膝元に置かれています。何気ないお寺でも、日本最古がたくさんありました。こういうのって、奈良の凄みだと思います。

・石舞台古墳:7世紀初めにできたといわれる方形墳。6世紀後半に政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われています。台地の上にストーンヘンジほど大きくはないにせよ、巨大な石が秩序立てて並べられ、石室をつくります。石の総重量は約2300トンもあるんだって。こういうのを蒸気のない時代に積むという労力と技術に感嘆しきり。この石舞台古墳の駐車場にある「古代米ソフトクリーム」はとてもうまかったです。

・橘寺:聖徳太子の生誕地。606年に創建されました。飛鳥時代の石造物のひとつ、二面石が見られます。人の心の善悪二相が左右に向いて表されています。ある意味、ピカソ的な感じもしました。

飛鳥のサイクリングは、そんなにアップダウンはないものの、距離感もそこそこあって、普段運動してない人には少ししんどいかも。でも湿度が低く、雲一つない空の下で走るのは気持ちよかったです。レンタサイクルで飛鳥にある石造物や有名スポットを見るには、朝からぐるっと回る必要があります。この日は、上の3カ所+亀石+飛鳥資料館で手一杯でした。

さて、午後4時前、まさに閉館およそ30分前に、再び飛鳥資料館を訪れると、「75分待ち」の表示。レンタサイクルの時間は午後5時まで。これでは間に合わない...と思いながら、エイッと資料館に入っていくと(入場料500円)、行列は館内に入ったあたりが最後尾でした。ここからは意外と早くて、20分ほどで、「白虎」と対面することができました。

キトラ古墳は約1300年前のお墓で、その内側の壁に天文図と四神(玄武・青龍・朱雀・白虎)が描かれています。今回の特別公開は、キトラ古墳の壁画としては初めて公開されました。そのせいかどうかはわかりませんが、子連れからおじちゃん、おばちゃんまで、考古学ファンとは言えないような幅広い人たちが(僕もその一人です)、朝日新聞の記事を見て、これは歴史的な展示だとばかりにドドッと集まりました。四神は、風水と同じで、北壁に玄武、東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、という具合に配置されています。そう考えると、風水の歴史には重みがありますね。

「白虎」は縦25センチ、横45センチにわたって描かれていて、ガラスケースの中に納められ、両脇にはガードマンが2人立っていました。順番に見ることができるわけですが、一人当たりの持ち時間は20秒くらいでした。あっけないと言えばあっけないのですが、その絵に芸術性を感じるわけでなく、首が龍のように長く愛嬌のある顔とは言えない…ということで、ただただ1300年の歴史の重みを感じるということと、剥落寸前できれいにはぎ取った考古学研究者に感謝する、ということなんでしょうね。あと、モノトーンではなく、口の中や胸毛が朱色に彩色されているのも、よかったですね。考古学ファンは、この壁画から、様々な引き出しが出てくるのでしょう…。

飛鳥は田園地帯にあって、周りは山に囲まれ、オイシイ空気を吸うことができる気がします。素朴です。昔、なぜこの地に首都が置かれたのか、想像することもできませんが、その意味を探ると面白いでしょうね。京都のようにイベントがないので、今回のキトラ古墳の壁画公開は、飛鳥を知る、非常に良いきっかけとなりました。


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京料理のルーツ@六盛

2006/05/13
今の日本料理の本流が吉兆だとすれば、その源流は何か? そのひとつのヒントが、六盛(ろくせい)にありました。12年前、ここのご主人、堀場弘之さんが、平安遷都1200年の際に、伝承料理研究家の奥村彪生さんと平安王朝料理を研究、それを現代風にアレンジしたメニューを5年以上かけて考案しました。平安王朝料理は、いまの京料理のルーツにあたるわけで、つまりは日本料理の源流とも言えます。今回、その堀場さんのお話をうかがう機会が得られました。

六盛(ろくせい)は、京都・平安神宮の近くにある料亭です。創業は明治32年です。ここで有名なのは「てをけ弁当」。先代が、懐石料理を気軽に楽しんでもらおうと昭和41年に考案したところ、お昼の弁当としてヒットしました。使われている手桶は、人間国宝・中川清司氏によってつくられたもの。午後3時までお店が開いていることや、3150円〜という手頃な値段もあいまって、今も六盛の代名詞と言えるランチメニューです。盛りつけも美しく、そのまま食べるには惜しいほど。もちろん味もso Good!

六盛:手をけ弁当

平安時代の料理は、王朝料理であったとしても、素朴で簡単なものだったようです。『四種器』(よぐさもの)と呼ばれた調味料とは、塩・酒・醤油・酢のこと。王朝料理では、1月23日に会を開くのに、作り始めるのは12月19日。片づけるのに2日もかかっています。たこ・あわび・鴨が使われました。神様へのお供え(神饌)というい意味が、当然あったことでしょう。もちろん日持ちがしないので、それらの料理は客人が箸を持って見るだけ。もっとも、それではゲストに失礼なので、そのあとでちゃんとした食事が用意されたそうです。

メインは「御物(おもの)」と呼ばれる白米を、4寸の皿に、なんと15センチの高さに盛りつけます。その周りにサイドメニュー「かずもの」が並びます。これが多いほどご馳走だといわれ、それが崩れ「おかず」という言葉に変化してきているそうです。へぇ〜。盛りつけは一種一器と言って、ひとつのものにひとつしか盛ることができない決まりでした。

堀場さん「平安王朝料理も京料理も、素材の良さを活かして、盛りつけや器にもこだわりながら、季節感を出すことが大切です。よく京料理は薄味だという人がいますが、味が薄いのではなく、しっかりとついているのです。素材の良さを活かす、これが日本料理の良さですので、基本がぶれないようにと後世に伝えたいですね。」

平安王朝料理は、お店におじゃまする1週間前までに申し込めば、ひとり12000円で(同時に12人まで)いただくことができます。んー、ぜひ一度食べてみたい!

京都はマーケットの規模としては大きくないのに、老舗がなんとか生き残っているのは、六盛のように歴史と文化を学び、自らのサービスにうまく落とし込む努力をしているからなのだと感じました。教養とビジネスがつながる…それが京都の老舗の魅力かもしれません。


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日本代表vsブルガリア@長居スタジアム

2006/05/10
関西でスポーツといえば、野球がダントツの人気。野球といえば、阪神タイガース。サッカーはガンバ大阪やセレッソ大阪、京都パープルサンガがあるものの、タイガースの圧倒的なブランド力には束になっても勝てません。しかも、日本代表の試合は、関東がほとんど。ということで、なかなか長居スタジアムに足を運ぶ機会がなかったのですが、今回、初めて関西でサッカーを見に行きました。そういえば、日本代表の試合を見に行くのも初めてです。

長居スタジアムは、大阪の大動脈、御堂筋線でミナミの中心街からおよそ15分、長居駅から歩いて5分ほど。アクセスもなかなかです。スタジアムの周りには公園がありますが、予想したよりも屋台が少なく、ホームレスも見当たりませんでした。もっとも、日没後に歩いたので目に付かなかったからかもしれませんが...

試合開始直前になってもゲートには入場者の列がありました。国歌斉唱などのセレモニーを見られなかったのは残念。通路の横に席番号の表示がなく、しかも案内の係員が少なくて、席を探すのに苦労しました。

席はメインスタンド3列目、日本代表ベンチのすぐ後ろという絶好のロケーション。席についたときには、すでにブルガリアが1点目を決めていました。ありゃー。

日本代表は、ヨーロッパで活躍する選手や、直前のJリーグに出場した選手が出ていないため、ややランク落ち。ボールの扱いや、相手との間合いで、日本の選手はバタバタしていました。トラップした玉を取られたり、パスが弱かったり、相手との距離が近くてダイレクトでパスやシュートをすべき場面で、トラップして詰められたり。そういう点で、普段ヨーロッパでもまれているブルガリアに一日の長を感じました。そんな中では小野と加地が落ち着いたプレーをしていたかな...

試合は、終了間際のフリーキックがポコッと入って、ブルガリアが勝ちました。あれはGKが防がないといけないボール。ワールドカップ直前でまだ気合が足りないのではないか思いました。

試合が終わった後は、携帯で選手の写真を撮るファンが非常に多かったです。負けたというのに「がんばってぇ」みたいな優しい声援が目立ちます。まるで男子バレーみたい。やはり、ここは大阪なんだから、阪神ファンのような凄みが欲しかった。「こら、○○! きちっと勝たんと帰れへんで!」「あんなん、俺でも決められるわ」といった声を聞きたかったなぁ。まだまだ日本のサッカーファンは優しすぎる。結果を出すには、怖いおっちゃんファンが必要です。身の安全すら危ぶまれる中南米の国や、イングランドやイタリア、スペインの厳しさからは程遠いです。

帰りの御堂筋線は大混雑。駅では入場規制がしかれるし、車両に乗ってからも梅田まで大混雑。東京のラッシュ並みなんですが、関西人は混雑した車両での身のこなしがうまくないのか、空きスペースがあるのに、なぜかひどく押されるのです。ひどかったのは、混んでいるのにベビーカーと共に乗車、後続の客に「これ以上入るな、殺すぞコラ!」と逆ギレする人がいたこと。その前にすいてる車両に乗るのがマナーだと思いますけど...

そういうわけで、試合も帰り道もいまひとつスッキリしない感じでした。


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