昭和の名数奇屋:八勝館@名古屋・八事

2006/09/30
名古屋随一の料亭と言われる八勝館。ここの「みゆきの間」は、第一回建築学会賞を受賞したという名建築でもあります。ここで、数奇屋・茶室建築研究の第一人者、中村昌生先生の授業(伝統未来塾)が行われるとあって、好奇心+食欲旺盛に参加することにしました。

八勝館は、名古屋の東、文教地区の一角、八事にあります。外から見た雰囲気は、住宅地の一角という感じです。門を入り、玄関までのアプローチで、一気に料亭のしっとりとした世界に空気が変わっていきます。さすが一流の料亭です。

「みゆきの間」は、玄関からまっすぐ入った先にあります。入口には「第一回建築学会賞受賞」の看板がありました。この部屋を設計したのは、堀口捨巳博士。戦争直後の物資のない時代に、天皇陛下の宿泊先としてふさわしい場所を、ということで、当時の電力王の金銭的な支援を受けながら建てられました。

伝統建築の部屋を拝見するときは、まず床の間、床柱を見ること。その次に、長押や建具や天井、欄間をみて、どのような木が用いられ、どのような意匠が施されているかを見て、その部屋にかけた施主の思いを汲み取ります。

「みゆきの間」では、「上段床」と言って床の間が二畳敷になっています。ここに天皇陛下が泊まるための配慮が残されているのだそうです。権威的な書院建築では、身分の高い人が上段の間に座ります。数奇屋建築の場合は、上段の間が変化して、床の間になっています。広い床の間にすることによって、天皇陛下への敬意を表したかったのかもしれません。床柱は長押に比べるとほっそりとしています。

この部屋に来て、最も印象に残ったのは襖(ふすま)。普通は襖絵が描かれていたり、唐紙が張られていたりするのですが、ここは金箔の模様も鮮やかなジャワ更紗が張られています。構図はピカソの絵のように大胆な断絶があって、斬新。色目も年を経て深みを増したような青やエンジ色がベースに、印金が施されています。この襖こそが、江戸や明治初期の数奇屋建築と違って、モダンな印象を与えてくれます。また、建物の外に池があって、鯉が悠々と泳いでいますが、それを見るための月見台(バルコニー)もあります。

八勝館では、この「みゆきの間」以外にも、立派な数奇屋の部屋がたくさんありました。たとえば、「菊の間」は窓際の天井が杉の一枚板(幅1m以上!)が使われています。襖の引き手が部屋の名前にちなんで象られていたりと、実に演出が細やか。書院造りの色彩が濃いものから、数奇屋風にくずしたものまで、好みによっていろいろと選べそうです。


以下、中村先生のお話のメモです(あまりちゃんと取れていません...)
「堀口捨巳先生の建築には、建築上の知識だけでない、広大なバックグラウンドがあります」
「長押から上の小壁の処理が和風空間の生命線になりますが、みゆきの間の場合は桂離宮と同じく、天井まで障子貼りになっていて、開放的な印象を与えます」
「ここ八勝館には、お茶と名古屋の深い関係が反映されていると言っていいでしょう。名古屋には幅広い喫茶の習慣があり、またお茶の心得のある人たちは、道具をそろえる前に茶室を造ろうとします。有名な茶室<如庵>は名鉄が所有していて、ここ名古屋にあります」


料理も実においしかったです。味は京料理のように控えめですが、非常に上品でした。これだけ立派な建築だと、あまりお酒を飲んでふらふらすることもできません。が、中村先生に勧められるまま、日本酒をいただいて、危うい足取りで館を後にしました。



このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

出し物いっぱい、放生祭@福井・小浜

2006/09/17
若狭地方で最大の秋祭りという放生祭(ほうぜまつり)。ホームページなどを見ても、どんなお祭りなのか、事前にはよくわかりませんでした。台風も近づいてきているし、どうしようか」と、予定を空けたままでいたら、朝の天気は晴れ。ネット上の小浜のライブカメラでも降水量はゼロ。ということで、雨が降らないことに賭けて出かけることにしました。

大阪から小浜へは、新快速で近江今津に行き、そこからJRバスに乗り換えるのが最短のルートです。所要2時間半。JRバスは1時間に1本しか出ていないため、その時間にぴったりの新快速の時間を調べ、祭りのクライマックスが始まる午後1時に間に合うように逆算しました。今はネットを使えばバスの時刻も調べられるのが便利です。非常にスムーズな乗り継ぎができました。

小浜駅に着くと、駅前に人通りがほとんどなく、開いているお店もほとんどありません。「本当にきょうお祭りをやっているの?」「"若狭地方最大"の売り文句にだまされたのか?」と心細くなりました。駅前の観光案内所に、祭りの会場への行き方を聞くと、歩いて5分ほどで着きました。祭りの中心地は「つばき回廊」というショッピングセンターの前にありました。人混みは京都のお祭りとは違って、それほど多くありません。人垣が2〜3列くらい。規制も緩やかです。

間もなく、祭りが始まりました。大太鼓、神輿が出てきた後、神主が広場でお祓いをします。その後は獅子が太鼓を叩きながら登場、続いて祇園祭の3分の2ほどの大きさの山車が5台出てきます。登場にあたっては、露払いのように母親がベビーカーを押して登場します。山車の2階には子供が10人近く乗っていて、鉦や太鼓の音に「おいっ!」などと、大声で合いの手を入れます。子供たちは他の山車に負けまいと全身を振り絞って威勢良く声を出します。その懸命さがいじらしく、微笑ましいです。大太鼓の競演の中にも、子供が登場。下駄を履いて飛び跳ねながらミスなしで叩く姿は頼もしく見えました。最後に神輿が威勢よく街の中を踊っていきます。3時間弱のなかで、様々な出し物を、近い距離で見ることができます。

放生祭@小浜

出し物は、江戸時代の町人居住区の区割りごとに出てきます。合計24区あるなかで、12区が一年おきに登場することになっているそうです。きょうは2年に一度の晴れ舞台、台風なんて言っていられないのかもしれません。

印象に残ったことは二つ。ひとつは、子供の役割の大きさです。幼児はベビーカーに乗って出てくるし、小学生になれば、山車の上で合いの手を入れたり、大太鼓を叩いたり。中学生以上になれば、今度は大太鼓の前で演舞を披露、と盛りだくさんです。観衆に混じって、子供に声援を送る若い母親の姿が数多く見られました。もう一つは、囃子方の笛の衣装です。笠を目深にかぶり、笠には赤い布がたれさがり、絶対に顔を見られないようになっています。この姿は「おわら風の盆」に通じるものがあります。何か共通となるものがあるのかもしれません。

この放生祭、殺生を戒め、捕らえた魚や鳥を自然界に放す儀式のために行われたもので、300年以上の歴史を持つといいます。出し物の豊かなバリエーションと親しみやすさ、行った甲斐がありました。

小浜には奈良時代に建てられた国宝や重文クラスのお寺がいくつもあります。日本で最も長く続くお祭り、奈良・東大寺のお水取りの前に行われる「お水送り」という行事は、小浜市内の神宮寺で行われるなど、歴史的に奈良と関わりが深いことを窺わせます。ん?意外と小浜は歴史的に奥が深そうです。もう一度来てみたくなりました。


このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

金沢の文化にふれる@金沢21世紀美術館・兼六園

2006/09/03
金沢には社員旅行で行ったことがあるものの、近江町市場や町家街にしか行けず、ぜひもう一度行きたいと思っていました。今回は「おわら風の盆」を見た帰り、丸一日かけて回って、金沢の文化水準の高さをひしひしと感じました。

1)金沢21世紀美術館
金沢駅から観光用ループバスで15分くらいで着きました。芝生の中に大きな円形のモダンな空間が浮かびます。繁華街のすぐ近くにもかかわらず、美術館の周囲の緑が都市の喧噪からこの美術館を切り離してくれます。ロケーションと、美術館の持つ雰囲気が見事に融合していることに、まず感銘を受けます。

この日は美術館の中心部が展示品の入れ替えのために閉鎖されていて、無料の常設コーナーと、来年4月までの長期展示「コレクション2」を鑑賞しました。内容は現代美術そのもの。凡人の僕には初見でそれが芸術であることを理解することはできません。当然、音声ガイドを借りて理解に努めました。このレンタル料が100円と安い! 音声ガイドを聞いて初めて作者の意図や、それが評価に値する理由がわかります。

印象に残った作品は、
・「スイミング・プール」:上から見るとただのプールですが、プールの底に入って下から見上げることができます。水面から10センチのところに強化ガラスが張ってあります。下から見上げる眺めが新鮮です。
・「世界の起源」:傾斜した壁面に楕円形の穴が開いています。それが真っ暗なブラックホールのように見えますが、穴の先に塗られている色は青。
・「ブルー・プラネット・スカイ」(これは常設コーナーにあります):天井の高い部屋に、天井が四角く切り取られています。液晶テレビで空の映像を見ているような感覚になります。雲の動きをじーっと見てしまいます。同じ作者による、同じような作品が直島のベネッセミュージアムにもあります。

金沢21世紀美術館

空間のとらえ方を問い直すような作品を面白いと感じました。このように現代美術は、普通の人のとらえている感覚や考え方を問い直すような作品が多いです。直島のベネッセミュージアムに行ったときにも感じましたが、とっつきにくくても、いろいろと見ているうちに、見る人なりの視点が形成されるはずで、その変化を楽しめるはずです。この美術館が街の中心にあることの意味は、住民がたびたび訪れることによって、美的感覚や視野が養われていくことにあるのではないかと思います。その試みが面白い!


2)兼六園
金沢21世紀美術館の斜め向かいに入口があります。日本の三大名園として有名で、当然のように観光バスのコースに必ず組み込まれているようで、バスガイドさんの旗につながって、数多くの団体観光客が入場していました。京都のお寺がいくつも入るような広大な敷地に立派な日本庭園が広がります。手入れも行き届いていて、日本庭園ならではの端正な美しさにハッとします。

兼六園の隣に、成巽閣(せいそんかく)という書院造りの建物があります。江戸時代に前田家の奥方の御殿としてたてられたもので、国から重要文化財として指定されています。この建物が面白いと思ったのは、書院造りと数寄屋造りの融合です。1階は立派な書院造りで、謁見の間には狩野派の虎の絵がかけられるなど、典型的な武家風の造りになっているのに対して、2階は数寄屋造りの意匠がふんだんに入っています。特に2階の「群青の間」はフランスから輸入したウルトラマリンブルーの鮮やかな天井と、朱色の壁がとてもモダン。江戸時代は、青が金よりも貴重な色だったという話を聞いたことがあります。ここに明治以降、歴代の天皇が宿泊や休憩に利用したのもうなづけます。1階が「剛」とすれば、2階は「柔」という感じです。

兼六園や成巽閣に行くことで、前田家がいかに文化を大切にしたかがわかります。それが、その後の金沢の町に大きな影響を残し、それが21世紀美術館につながっていったのではないか、と(まったく根拠はありませんが)思うのです。

文化は必ずしもお金になりませんが、住民や訪れる人に心のゆとりを与え、後年に引き継がれていくことで、その町の味わいになっていくのではないかと思います。今の日本には、文化やゆとりの意味をはき違えて、否定しようとする風潮があるのが残念ですね。


このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

おわら風の盆@富山・越中八尾

2006/09/02
「おわら風の盆」は、非常に人気の高い富山のお祭りです。大阪発のJR直通臨時特急「おわら」は全席指定席ですが、発売直後に満席になるという大盛況。そこで福井発のもうひとつの特急「おわら」を予約して、金沢を起点にすることにしました。いったい、その人気の秘密は何でしょうか?

おわら風の盆とは、元禄の頃(1700年頃)に始まった盆踊りで、毎年9月1日〜3日に行われます。「風の盆」は、立春から数えて210日にあたる日が台風の厄日とされてきたことから、風の災害が起こらないことを祈る行事として名付けられたのだそうです。明治の終わりから昭和の初めにかけて、著名な文人の詞を歌詞にしたり、浄瑠璃語りの唄い方を採用したり、胡弓を使うようになったり、若柳流の振り付けが教えられたりと、アレンジが重ねられて、現在の形になりました。

特急「おわら3号」が金沢を出たのは、午後6時ちょっと前。乗客の大半は団体のおっちゃん、おばちゃんばかり。その車両のなかで、個人客は自分とあと数名くらいではないかと思うほどでした。それにしても団体客はなぜみな帽子をかぶって、リュックを両肩から背負って、スニーカーをはいているのか、いつも不思議になります。それが旅にふさわしい身軽な格好だと言う暗黙の常識のようなものがあるのかなあ。富山で進行方向が変わって、越中八尾には1時間余りで着きました。JRの駅から、祭りの行われている地区まで、10分以上は歩くでしょうか。屋台が並び、会場へ向かう人波が途切れることなくずーっと先まで続きます。バスでやってきた団体客に、自家用車を付近の臨時駐車場に停めた観光客などなど、いやこれはすごい数です。

しばらく坂を上がっていくうちに、人垣を見つけました。ようやく踊りを見ることができそうだ、と急ぎ足で寄っていくと、目深に編み笠をかぶり、男は法被姿、女は和服姿で、20人くらいが列をなしてゆらゆらと優雅に踊っていました。隊列の後ろには三味線・太鼓・胡弓を演奏する人たちや地歌のボーカルが何人かいました。今まで見てきた盆踊りのようなテンポの良さよりも、ひらひらとした優雅さと、胡弓の音が織りなす少し悲しげな曲調が特徴です。編み笠を目深にかぶるのが、この祭りのイメージを神秘的なものにしています。阿波踊りやよさこいの解放感とは全く違います。

歩いていくうちにわかりますが、祭りで町流し(路上盆踊り)が披露されるあたりは、縦1km/横300mほどの細長いエリアで、そのエリアがさらに10の町に分かれます。そのひとつひとつの町から踊り子と地方(じかた)衆合わせて数十人のチームが編成されるわけです。この小さな区分けは、阿波踊り、よさこい、祇園祭、だんじりなど、各地の有名なお祭りと同じです。おわら風の盆の驚くべき特徴は、踊り子の年齢制限で、25歳?定年という厳しいルールがあることです。動きがしなやかな中にも躍動感を感じたのは、踊り子が若かったからなんです。歌い手や演奏家たちは、踊り子を卒業してから練習に励むのです。とりわけ胡弓をマスターするのは難しいみたい。ちょっと変わった年功序列社会です。

祭りの見どころは、その小さな町の路上で盆踊りをする「町流し」です。午後9時〜11時が最も頻繁に町流しが行われる時間帯でした。休憩時間を挟みながら、踊り子と地方衆が通りで踊りを披露します。印象に残った町を2つ挙げますと、ひとつは駅から見て奥の方にある諏訪町。ここは「日本の道100選」にもリストアップされる、美しい町家街があります。ここでのパフォーマンスは昔をしのばせる趣があります。もうひとつは、坂のふもとに位置する鏡町。ここは最も踊りがアクティブで華やか。元祖ストリートパフォーマンスという感じです。ただ、どの町の踊りも表現はやわらかくて、曲調は哀調を帯びていて、やさしくもはかない印象を受けました。

この祭りの問題は、道の広さの割に観光客が多すぎることです。押し合いへし合いになる場面が頻発しました。写真を撮ろうとして強引に前に出ようとしたり、他の人が見ているのに狭い道をかきわけて進もうとしたり、逆に通行を妨げるようにぼーっと立ち見をしたり。少しでも雨が降れば中止になるという繊細なイベントなのに、容赦なくフラッシュを浴びせたり。多くはバスツアーでやってくる中高年の団体客です。たいがいバッジをつけているからすぐわかりますが...地元の人たちも、時折苦々しい表情を見せていました。

午後11時を超えると、町流しのレギュラータイムが終わって、少しずつ祭りの熱がさめていきます。すると、踊り子OBやOGがパラパラと通りに集まって、自然発生的に町流しをする姿が見られました。3日間という短い祭りの期間を惜しむような姿で、地元の人たちがこの祭りを慈しみ、大切にしていることを強く感じました。

町をぐるぐると回っていると、さすがに午前0時を過ぎた頃には足が棒になってきました。帰りの0時55分発「おわら4号」に乗ると、体もぐったり。これで夜行で大阪に戻るのはしんどいかもしれません。金沢泊で結果オーライでした。


このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る
  HOME