最終日にようやく行けた!@神戸ルミナリエ

2006/12/21
12月の神戸を美しく彩るルミナリエ…一度行ってみたいと思っていましたが、ひとりジョーズな自分には厳しい条件がそろっていました。

1)人混みが激しい
一般道を通行止めにして、観客が一方通行で通り抜ける形で見るわけですが、肝心のライトアップのある場所に到達するまでに30分以上も待つというのが一般的な評判です。

2)まさにカップル向けのイベント
神戸ルミナリエは、阪神・淡路大震災のあった1995年に、犠牲者の魂を鎮め、都市再生の希望を託そうと開催されたのがはじまりです。ところが、いまではデート向けのイベントとして認知されているのです。「ルミナリエにオトコ一人で行くなんて…やめといたら?」と友人らの懸念と冷ややかな視線はかなり強烈でした。

3)早い消灯時間
休日に行くこともできたはずですが、ついに機会を逃し、最終週の平日にしかチャンスがなくなってしまいました。平日のルミナリエの点灯時間は18時から21時30分。遅くとも20時30分には大阪を出ないといけません。ところが、この時期は仕事がかなり忙しく、なかなかその時間までに終えられないのです。

ということでしたが、この日が最終日。すべての懸念と残された仕事を振り払って、あえて行ってきました。

ルミナリエの順路に最も近い神戸・元町駅に着いたのが21時10分。駅前では「ルミナリエはまもなく終了です。お越しの方はお急ぎください」と警備のアナウンス。近くの道路では、交通整理用の白い鉄柵がさっさと片付けられはじめていました。かなり早足で歩くと、見学の列の最後尾につくことができました。列といっても整列する必要はなく、また人の密度もそれほどではありませんでした。人の波を縫うように前に進んで行くと、あっという間にルミナリエの現場に着きました。懸念していた待ち時間はゼロと言っていいでしょう。思っていたほどカップルだらけというわけでもなく、仕事帰りのサラリーマンや家族連れなども数多く見られました。

いよいよ到達したルミナリエ、自分が想像していたよりも線が繊細で、白、緑、赤、青など多彩な色が織りなすのに、それが夜のネオン街のようなしつこさを感じない。光のゲートが一直線に重なって見えるのですが、その奥行きを感じる景色がなんとも美しいのです。これはテレビでは伝わりにくいかもしれません。

神戸ルミナリエ

光の下では、観光客が携帯やデジカメでパシャパシャと写真を撮っていました。カメラを持っていない人がいないんじゃないかというくらいです。警備員は「撮影をやめて先に進んでください」と冷徹にアナウンス。これはどんなイベントでも同じようなことがありますが、イベントで観光客が写真を撮るのは当たり前だから、それを織り込んだ上で誘導をすべきなのではないかと思うのです...

光の美しさにおぼれる暇もなく、スピーカーからはコーラス隊の歌声が聞こえてきました。「地震に遭って〜」といった歌詞で、何やら消灯を予感させる動き。そこで、ルミナリエの終着点、メインイベントが行われている東遊園地に急ぎました。ここでは光のゲートが少し形を変えて、広場を楕円形に囲みます。この風景もなかなか見事で、ヨーロッパの教会のステンドグラスを眺めるような美しさでした。すると、「ルミナリエ、間もなく終了です...」のアナウンス。あれだけ美しかった光が一瞬にして消え、あたりは真っ暗になってしまいました。観客からは一斉に「ああ〜」とため息。

数秒もすると、光のあった白い鉄のフレームから視線を外し、「きれいだったね」と感想を述べた後で、早くも気持ちを切り替えて帰路につく人たちが現れます。光が人に与える魅力の力と、はかなさを感じさせる瞬間でした。光のないところからは、人は去って行くのです。

会場の周囲には、関西のイベントならではの充実した屋台村が並びます。「ルミナリエ宝くじ」や「ルミナリエクッキー」というのもありました。震災犠牲者の鎮魂のために始まったイベントですが、10年の歳月を超えた今、地元の恒例行事として溶け込もうとしているように見えました。いま「東京タワーの消灯を見ると恋が実る」という噂があるようですが、そのうちルミナリエもそうなるかもしれません。

もし恒例行事にするのであれば、東京のライトアップと同じように、夜遅くまで点灯して、消灯時間を23時にできればいいのに、と思いました。警備や運営は大変でしょうが、年末の忙しい時期、仕事帰りや、一杯軽く飲んだ後で見たりと、見物客も増えて、街全体がより一層華やぎを増すように思うのでした。


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日本の芸能のルーツ、ここにあり:春日若宮おん祭@奈良

2006/12/17
古都・奈良の一年をしめくくる、春日若宮おん祭。平安時代(1136年)に五穀豊穣・国家安寧を願って始められたお祭りで、今年でなんと第871回! このお祭に、能や田楽など、日本の芸能のルーツを見ることができました。

今年のお祭りは15日〜18日に行われます。祭りのハイライトは17日に行われる「お渡り式」と「お旅所祭」ということで、これに合わせて見に行くことにしました。

とは言っても、どこで何を見ればいいかわからず、とりあえずお渡り式の行列のルートだけを調べて、行列の始まる正午に到着するようにしました。

近鉄奈良駅を降りると、マラソンの応援のように、沿道に多くの観客が行列を待っていました。その光景はまるで時代祭の奈良版ではないかと思えるほど。ほどなくして、行列がやってきましたが、グループ分けが「楽人・日使・巫女・猿楽…」など、一見わかりにくくなっています。そこで、このお祭りのプログラムを800円で購入して読んでみると、「平安時代から江戸時代に至る風俗を満載した、芸能集団や祭礼に加わる人々が社参する行列」ということでした。

行列には、地元の名士、子供、能楽師などなど、およそ1000人が参加しています。最後には大名行列が登場、「ひ〜よいやな〜」「ひ〜よいまーかせ〜」「え〜やっこらさーのさ〜」と声を掛け合いながら、参勤交代のように進んで行きました。行列の先頭からすべてが通り過ぎるまで、30分余りでした。ただ、これを見るだけでは京都の時代祭の行列とそれほど変わりません。もっと違う場面を見たいと思って、別の場所に移動することにしました。


向かったのは、春日大社の表参道、一ノ鳥居周辺。先ほど自分の目の前を通過した行列の先頭部分が、この付近を通過していました。このあたりに、有料観覧席が設置され、テレビカメラクルーが待ち構えていました。観覧席の近くには、白いお召し物に朱色の袴を着た稚児と、黒い着物を着た母親の姿。特等席に座っているように見えます。彼らの前で、何らかのイベントが行われる予感。人ごみに混ざりながら、しばし行列を見ていると、今までにない場面が出てきました。

「猿楽」の集団が参道を進んできて、通り過ぎるのかと思いきや、袴姿の男たちが途中で停止し、上下を着た人たちが参道の端に並んで座りました。袴姿の男は、能面をつけずに次々と登場し、舞を披露します。猿楽とは能のことです。観世・金剛・宝生を含む大和猿楽四座が順番に登場するということです。流派を超えて競演する場が、こんな間近で見られるなんて!と、かなり感動。しかも、ふだんの能舞台では考えられないほど近くで見ることができました。床を踏みつける音もなく、勝手が違う様子でしたが、それでも神前での舞いということで、演者の表情に真剣味が増していました。

春日若宮おんまつり

引き続き、「田楽」の一行が現れます。人形を飾った大きな花笠が印象的です。何人かが玉すだれのような<編木(ささら)>や、太鼓、笛といった楽器を持っていました。旋律の美しい音楽が奏でられるのではなく、独特のリズムを刻む感じでした。これは初めて聞く、なかなか言葉では言い表せない音でした。

お渡り式の最後は「流鏑馬(やぶさめ)」。と言っても、馬を走らせて的を射るのではなく、的の前に馬で移動して止まってから発射していました。馬に乗っているのが小学校低学年くらいの男の子でしたから、勇ましい流鏑馬のイメージとは少し違ってました。止まってからでも、発射後に馬が大きく揺れてバランスを崩しそうになりました。流鏑馬の難しさがわかりました。


続いて、午後2時半から、参道の奥でお旅所祭が始まりました。この行事こそ、おん祭のハイライトで、午後10時30分まで若宮様の前で古典芸能が次々と奉納されます。お旅所祭を見れば、日本の芸能のルーツを一度に見ることができるわけです。が、一般の観光客はお旅所に入れないようになっていました。

パンフレットによれば、「おん祭保存会」に入会すると(会費3000円以上)、このお旅所祭の拝観券を手に入れることができるということです。古典芸能に興味があれば、会費を出す価値は充分にあるでしょう。ただ、この時期の奈良の夜は寒いので、頭のてっぺんから足の先まで、バッチリ防寒の準備が必要だと思います。


もう少し下調べができていれば、人混みに翻弄されず、お渡り式だけでも充分に堪能できたと反省しました。行列がくる前に、一ノ鳥居付近の「影向(ようごう)の松」の近くに陣取れば、お渡り式だけでも充分に古典芸能を楽しむことができます。ベストポジションがアナウンスされていないのは、その場所が狭いからです...

このおん祭、奈良の奥深い歴史の一端に触れることができます。自分の印象では、京都の時代祭よりも見応えがありました。芸能の根源を直接見て、考える上でもいいお祭りだと思いました。


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年に1日の特別開扉@奈良・東大寺

2006/12/16
12月16日、東大寺では年にたった1日の特別開扉が2カ所で行われます。ひとつは「開山堂・良弁僧正坐像」、もうひとつは「法華堂・執金剛神立像」です。この日は東大寺の初代別当(住職)・良弁僧正の忌日ということで、曜日まわりに関係なく行われます。週末と重なる今年は滅多にないチャンス!ということで、万難を排して行ってきました!


1)開山堂・良弁僧正(ろうべんそうじょう)坐像
開山堂は、二月堂のすぐ下、白壁に囲まれたこぢんまりとしたお堂です。門の前で記帳すれば無料で入れました。午後2時過ぎに行きましたが、並ぶことはありませんでした。

門を入ると、手入れの行き届いた小さな庭越しに、宝形造の小さなお堂があります。屋根の低いのが印象的です。石段を上がり、お堂の入口のすぐ先に、厨子に入った良弁僧正坐像がいきなり現れました。光が当たりやすく、ディテールまでしっかりと近くで見ることができます。この像は1019年頃に造られたということですが、1000年近く前のものとは思えないほど、衣紋や唇の色が鮮やかに残っていました。落ち着いて堂々とした表情。表現は写実的です。この顔を眺めているだけで、腹が据わってくるような気がします。

宝形造のお堂は小さく、厨子の周囲を一周するほどの大きさでした。お堂も坐像も、国宝とは思えない敷居の低さと言うか、親しみやすさを感じました。


2)法華堂・執金剛神立像(しゅこんごうじんりゅうぞう)
法華堂(三月堂)は開山堂のすぐ近くにあります。ここは拝観料500円を払って入ります。東大寺で最も古い建物ということもあってか、中は薄暗くなっています。堂内には合計16体の仏像がところ狭しと並んでいて、そのうち12体が国宝、残り4体も重要文化財という充実ぶり。中に入ると、三十三間堂や東寺の講堂に入った時のような、厳かな空気に包まれました。

執金剛神立像は通常公開の仏像たちとは背を向ける形で、北向きに立っています。お堂の裏側に回ると、そこには仏像マニアらしき人も含めて、鈴なりになっていました。像は、厨子の中から外を威嚇するように立っていました。目と口をカッと開き、両腕の血管が浮き上がり、今にも「コラーッ」という怒声が聞こえてきそうな感じ。体は逆三角形に引き締まり、見る者を威嚇します。口の中の赤い彩色、左腕の衣装の赤や緑が鮮やかです。圧倒的な迫力です。後の金剛力士像のルーツになったと言われるだけあって、その完成度、端正な形に感銘を受けました。

正面に戻って、本尊の不空羂索観音像や、四天王像、日光・月光菩薩像、吉祥天に弁財天と、それぞれに表情も特徴も全く異なる仏像をゆっくりと拝見しました。統一感はないのですが、どれも完成度が高いことが素人目にもわかりました。だからこそ、お堂の中に厳かな空気が流れているのです。


3)俊乗堂・重源上人坐像
お堂の前に「特別開扉」の看板があるのを見つけ、入口で拝観料500円を払い、入りました。後で知ったのですが、ここは7月5日の俊乗忌の日に無料で公開される以外は、この12月16日しか拝見する機会がないのです。うれしいサプライズでした。

お堂の中央、やや高いところに厨子があって、その中に本尊・重源上人坐像が安置されていました。中はやや暗くて、よく見えません。近づくと、首から上は肌色が、衣装は若草色が鮮やかに残っています。やせこけた顔、猫背のシルエットなど、非常に写実的な表現で、まるで生前に型を取ったかのようです。肖像彫刻の傑作と言われるのがよくわかります。

お堂の隅には阿弥陀如来立像と愛染明王坐像が置かれています。いずれも重要文化財で、快慶が作ったという阿弥陀如来立像は非常にバランスのとれた形をしていました。それにしても、キャラの立った仏像ばかりです。


3カ所を見終えた後、二月堂から広がる奈良市街の夕景を眺めました。去年、京都の数寄屋大工の名棟梁が、この眺めを絶賛していたのを思い出したのです。特別な美しさがあるわけではないのですが、時代を超えても変わらない悠久な風景がそこにはありました。

その風景をぼんやりと眺めながら、きょう拝見した仏像を思い出しました。良弁僧正といい、執金剛神立像といい、重源上人といい、どれも本当に威厳のある立派な顔立ちをしていました。現代人にはなかなかお目にかかれない威厳を感じさせます。その顔立ちは、このあたりのぴりっとした冬の寒さと共通する何かがあります。その何かとは、思わず姿勢を正す、心地よい緊張感ではないかと思いました。



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錺(かざり)金具職人が嘆くニッポンの衰退

2006/12/16
錺金具(かざりかなぐ)とは、伊勢神宮の柱の先や、二条城や西本願寺、大徳寺の唐門、神輿、書院建築の釘隠しや、ふすまの引き手などにつけられる装飾金具のことです。伝統建築になくてはならない重要な部分を担います。これはいったい誰がつくるものかと思っていたら、やはり専門の職人がいるのです。今回は伝統未来塾の授業として、美しい作品が並ぶ資料館で話を聞くことができました。話は脱線して、日本社会や文化の衰退にまで及びました。

錺金具

今回、お話をされたのは、森本安之助さん、78歳。その道ひとすじ58年。国から選定保存技術保持者と認定されています。明治10年に初代が創業してから、彼が3代目。今は息子さんが継承しています。
「主な仕事は国宝や重要文化財の修理の仕事です。信仰の対象になるものをつくっている自覚をもって仕事をしていますが、実態は家業を継いで、細々とやっているといった感じです。この工芸の最盛期は大正から昭和初期です。寺社仏閣以外に、財閥からの発注も多かったのです」
「主な素材は銅板です。これに水銀を塗って、金箔を5回は貼付けます。水銀を焼き抜く時の煙が有害ですが、これが伝統的なやり方です。欧米では禁じられているやり方です。でも今の電気メッキではできない仕上がりになるんです」
「桃山時代のデザインの特徴は細かいことです。今は立体的なデザインが多いね」

ここまでの概略は簡単におわって、森本さんは自分の仕事を巡る環境が年々悪化していることを切々と訴えるのでした。
「今の建築は箱ものしか教えないから、錺金具のことなんて、誰も知らない。昔は建築家が勉強して、金具の図面も描いて、こっちに発注してきたものなのに、今はこっちで描かないと駄目だ」
「役人もゼネコンも勉強不足だ。仕事は丸投げ、何をどうしたいか、方針をはっきり言わない。モノ作りの心がわからないんだよ。それでいて責任を取ろうとしない。京都迎賓館だって、不充分だよ。」
「今は金持ちの金の使い方がダメだね。外国の文化はやたら詳しいのに、日本文化のことは全然勉強が足りないんだ」
「今は教育だっておかしいよ。昔は地域ぐるみで助け合ったものだけど、今はちょっと注意しただけで逆ギレするから、怖くて注意もできない。核家族化が進んで、ゆとりや思いやりがなくなったんだ。昔はいじめとか引きこもりなんておこらなかったのに。いったいどこからおかしくなっちまったんだ。もう一度ゼロからリセットしたほうがいいんじゃないか」

あまりにも悲観的なので、こっちも聞いていて辛くなってきてしまいました。でも、その通りだと思うところも多くて、日本文化のピークは昭和初期だったと思いますし、戦後、それまでの日本のあり方が否定される中で、文化も置き去りにされたまま、高度成長期・バブルと突き進んで、真剣に日本の歴史と文化を研究して向上させようとする人が少なくなってしまった。特に、富裕層が日本文化を勉強して育てようとしなかった(今もそうですが)のが大きい。これからリタイアする団塊の世代は、その埋め合わせをしてくれるのでしょうか?

森本錺金具資料館には、京都の有名な旅館や、吉兆の高麗橋本店。桂離宮の襖の引き手など、様々なサンプルが並びます。これらの美しさは、本当にうっとりします。これから家を建てようという人には、ここを見学して、インテリアのアクセントのひとつとして活用するなどして、錺金具をもっと盛り上げていってほしいものだと思いました。


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大根焚(だいこだき)@了徳寺

2006/12/09
12月7日〜10日、京都の2つの寺で、大根焚きが行われます。ひとつは7&8日に千本釈迦堂で行われるもの、もうひとつは、9&10日に了徳寺で行われるものです。カレンダー通りにしか休めないので、後者に行ってみることにしました。

了徳寺は、京都の北西部、中心から見て、龍安寺や仁和寺よりも奥に位置します。市バスで四条大宮から30分。イベントが終わる時間ギリギリに行ったので、バスに乗っていてハラハラしました。周辺のバス道路は狭く、バスがすれ違うのがやっと。お寺に向かう道には「大根だき」の幟を追っていくと、あっという間に着きます。お寺は住宅街の一角にひっそりとありました。

門を入ると、右手にもうもうと白い湯気が上がります。まさに炊き出しの風景。左手には食券売り場がありました。とりあえず「大根焚」の食券を購入。800円。もうひとつの炊き込みご飯の入った弁当は1500円くらいしたかな。なかなか結構なお値段だと思いましたが、そこは縁起物なので、気前よく会計を済ませました。

本尊にお祈りを捧げ、周りの簡易ちゃぶ台を前にすわり、給仕担当のお姉さんに食券を渡すと、ほどなく「大根焚」が登場しました。要するに、大根を煮たもので、油揚げがついてました。おでんみたい。塩味でさっぱりとして、大根の滋味がじんわりと出ていました。固さもちょうどよくて、ありがたみとともに、おいしさを感じました。

了徳寺の言い伝えによれば、およそ750年前に親鸞聖人がこの「大根焚」を村人からふるまわれたことにいたく感激して、すすきの穂をもって十文字の名号を残したのだそうです。その名号とは『帰命尽十方無碍光如来』。要するに、阿弥陀如来に身を委ね、心のよりどころとする、という意味です。

この日のために、門徒たちは、亀山から3000本の大根を用意したのだそうです。お堂の前には、カットされた大根が、樽の中にいくつも入っています。それを、昔ながらのかまどでじっくりと煮ていました。その湯気の上がる様子は、暖かくてとてもおいしそうに見えます。(と思ったら、関西ローカルの夜のニュースでやっていました)

ご利益はよくわかりませんが、750年前と同じ味というのは欧米ではなかなか考えにくいことなのではないかと思いました。その歴史の深さと、さっぱりとした中にも奥の深さを感じさせる味わい、ゆっくりとかみしめました。ごちそうさまでした。


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