「京の冬の旅」〜大徳寺真珠庵・妙心寺玉鳳院

2007/01/27
毎年冬に京都市が主催する、非公開文化財特別公開。今回は特に行きたい場所があって、楽しみにしていました! 期待に違わぬ充実ぶりでした。

1)大徳寺・真珠庵
大徳寺には何度も行っているものの、この2年半、真珠庵には入ることはできませんでした。利休忌の茶会でも使われることはありません。ということで、今回の特別公開が、初めてのチャンスです。真珠庵は、一休禅師の弟子たちによって1491年に創建された塔頭で、重要文化財の襖絵や茶室、名勝に指定される庭など、見どころがぎっしりと詰まっています。さすがに貴重な機会ということもあってか、多くの観光客が来ていました。

拝観料600円を払って、中に入ると、必ず手荷物を預けるように指示されます。中に狭い場所があるため、鞄がぶつかってはいけない、という説明でした。こういうことは初めてです。当然のように撮影厳禁。厳しい!

まず最初に見えるのは、曽我蛇足の襖絵「四季花鳥図」。実際に襖として使用されるものとしては最古の襖絵だということです。正面には一休禅師直筆の掛け軸が3輻かかります。

一休禅師は、後小松天皇の隠し子であったため、6歳にして仏門に入ります。とんちの一休さんというイメージがありますが、逸話にそのような面影はなく、余りにも激しく修行をすることから、「たまには休みなさい」というメッセージをこめて、「一休」という名前がつけられたのだそうです。81歳にして住職となり、堺の豪商からの寄付を集めて、応仁の乱で焼失した伽藍を再興しました。それだけ、人望のある和尚さんだったんですね。

そんな禅師の直筆の書が拝める機会はめったにありません。3輻のうち、中心に「自分以上に修行に励んだ者はいない」という内容の遺言の書が、両脇には「諸悪莫作」(しょあくまくさ:悪いことをするな)「衆善奉行」(しゅぜんぶぎょう:良いことをしなさい)という言葉が書かれていました。少しかすれながらも、力強くて伸びやかな字でした。

隣の部屋には、これまた重要文化財の襖絵、長谷川等伯の「商山四皓図」(しょうざんしこうず)。180度ターンすると、足下には細長い枯山水の「七五三の庭」があります。苔から7つ、5つ、3つの石組みがリズムよく配置されます。その小ささにビックリ。茶道をはじめた村田珠光が作庭したといわれます。

方丈から細い通路を通って、書院「通僊院」、茶室「庭玉軒」と、連なります。庭玉軒は重要文化財の茶室で、金森宗和の好みのつくりとされ、露地とつくばいが屋内にあるのが大きな特徴です。確かに、にじり口を入った後に露地とつくばいがあるのは、一見変な感じがしますが、金森宗和が寒冷地の出身であることから、このような設計になったのではないか、と考えられるということです。3畳弱の広さしかない茶室は自然光でもうっすらと暗いのですが、その暗さがかえって歴史と重みを感じさせてくれました。

短い時間の中で、見どころがグッと凝縮された真珠庵、思わず目が泳いでしまいます。庭、襖絵、茶室、いずれもその後に大きな影響を与えたものばかり。雑誌「和楽」で評論家・梅原猛氏が「それ自体がため息の出るような芸術品である」と評したことに、納得しました。


2)妙心寺・玉鳳院(ぎょくほういん)
大徳寺から妙心寺へは、バスと嵐電を乗り継いで20分余り。妙心寺を開いた関山慧玄(かんざんえげん)は、大徳寺を開いた大燈国師の弟子、という事実を考えると、これはいい流れだと勝手にひとり悦に入ってしまいました。

さて、玉鳳院は、妙心寺本坊のすぐ隣にあります。この玉鳳院は、妙心寺の中でも最も重要な塔頭です。花園法皇の離宮を「禅宮」と改めたのが始まりです。禅宮というネーミングや、御簾がかかったり、玉座があるところに、天皇との深い関わりが現れていました。ここもまた、真珠庵と同じように撮影禁止でした。

渡り廊下を通ると、関山慧玄が祀られている開山堂があります。微笑庵(みしょうあん)とも呼ばれます。これが妙心寺で最も古い建物であり、全国で3500近くある妙心寺派のお寺の中で最も神聖な場所とされています。床には黒い瓦が45度に敷き詰められ、抹香の強い香りがします。ここは、妙心寺派のお寺の住職になるための試験会場にもなっているのだそうです。確かに姿勢を正さざるをえなくなるような、緊張感のある空間でした。

開山堂の正面にある、四脚門(別名:平唐門:ひらからもん)は1409年につくられたもので、門の扉の傷は応仁の乱のときにできたものだそうです。隣の普通の唐門と対称的なのが面白い。

渡り廊下から正面に見える、枯山水の庭園は、史跡名勝に指定されています。ここの石組みは他では見られないほど立派です。五葉松と黒松を囲む白砂も美しい!

玉鳳院もまた、歴史の重みと、端正な美しさを兼ね備えた名刹でした。ここもどこから見たらよいか、目が泳いでしまうほど、見どころ満載でした。真珠庵と立て続けに見たので、かなりお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした。


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21日はイベント満載@大阪・四天王寺

2007/01/21
「灯台下暗し」第三弾として、自宅から30分以内で行ける、四天王寺に初めて行きました。「日本最古の官寺」というのが、このお寺のうたい文句。この日は毎月21日に行われる「お大師さん」(フリーマーケット)に、五重塔最上層の特別公開、毎月第三土曜(1月だけ日曜)に行われる「聖徳太子演奏会」など、イベント盛りだくさんでした。

四天王寺夕陽ケ丘駅から徒歩5分ほど、週末とお大師さんが重なったことで、なかなかの賑わいで、沿道には出店が並んでいました。午後3時前に着きましたが、お大師さんで買ったものを持ち帰る人とすれ違うことが多く、縁日に期待が高まります。広い敷地にはびっしりと店が並びます。呉服の古着やアンティークものばかりではなく、食品、屋台、生活用品(たわし専門店もある!)などを売るお店もありました。そのどれもが驚くほど安い! ズボン500円、お好み焼き100円、ぐい飲み50円などなど。京都の東寺よりも道幅が広く、スケールは大きいのではないかと思います。いずれも古い昔から続いた縁日ですが、どこかアナログで昭和の香りをひしひしと感じました。なつかしさを感じたいなら、オススメです。

四天王寺の創建は594年。今から1400年以上も前に聖徳太子が開きました。日本書紀にその経緯が記されてます。物部氏と蘇我氏の合戦の折に、蘇我氏についた聖徳太子が「戦に勝ったら、この地に四天王を安置する寺院をつくりましょう」と誓い、勝った後に建立されたのだそうです。宝物館にはそのことを示す「四天王寺縁起」の書や、聖徳太子の衣服を収納する漆皮箱(しっぴばこ)などが展示されてます。

広い敷地の真ん中に、南から北に向かって4つの大きな建物と、周囲をつなぐ回廊が長く連なる場所があります。この伽藍配置は「四天王寺式」というのだそうです。この日は拝観無料で、しかも特別に五重塔最上層が無料で公開されていました。こんなことは珍しい!と喜び勇んで中に入ると、内側の螺旋状の階段は明らかに鉄でできていて、どう考えても昭和時代につくられたもの。内側の構造を見て「ほほう」と関心することはありませんが、五重塔から見える景色を楽しむことはできます。周囲に高いビルがほとんどないので、遠くまで見渡せました。

最後に午後5時開演の「聖徳太子演奏会」を聴きに行きました、今月は「新年を寿ぐ(ことほぐ)声明」ということで、管長の声明(しょうみょう)を聴くことができました。声明は、日本の音楽のルーツとも言えます。合わせて10曲の声明が唱えられましたが、だらっとしたお経のようなものばかりではありません。テンポの良い曲あり、輪唱あり、錫杖(鈴のような音)を生かした曲あり、曼荼羅の仏様や菩薩の名を一人ずつ唱える曲ありと、バリエーション豊かです。管長の声は年輪を感じさせながらも伸びやかで聴く人の耳を落ち着かせる響きがありました。昔はこの声明の声に惚れた女性もいたでしょう。

このほかにも「極楽浄土の庭」や、味わいのある「六時堂」(重要文化財)など、大伽藍と古い歴史と庭園と、いろいろな要素が詰まったお寺です。でも、縁日に昭和のにおいがしたのが一番印象深かったかな...


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「適塾」に感銘!

2007/01/13
大阪・北浜のオフィス街のど真ん中にひっそりとたたずむ町家があります。表玄関に「重要文化財 適塾」とあります。自分のオフィスからも徒歩10分ほどで着きます。それほどの近さにありながら、転勤して2年半以上もたつのに行っていませんでした。

適塾の建物は、京都の町家と同じように間口が狭くて奥行が深くなっています。天井の低い木造二階建て。参観料250円(安い!)を払って、入ります。ここは史跡として、大阪大学の持ち物になっています。

適塾を設立したのは、緒方洪庵。江戸末期に岡山で生まれ、27歳から長崎でオランダ語を特訓して、1838年に適塾を開きます。現在の地に移ったのは1845年。適塾には、日本全国から勉強したいという熱意あふれる若者が集まりました。門下生の中には、慶応義塾を創立した福沢諭吉や、橋本左内など、幕末から明治維新の時代を動かすキープレイヤーが数多くいました。福沢諭吉は「このうえにしようもないほどに勉強した」と後に振り返っています。

1階は狭い教室二部屋と広い客座敷、応接間、狭い家族部屋があります。ここが学校とは思えないほどの狭さです。緒方洪庵には子供が9人もいましたが、家族部屋は一人に一畳もない狭さです。

2階には「ヅーフ部屋」という天井の低い部屋があります。長崎のオランダ商館長ヅーフが蘭仏辞典に依って作成した手書きの蘭和辞典とノートが展示されています。適塾の授業はオランダの本を読み解くことでしたが、このボロボロの辞書を見ると、この部屋で塾生たちが1冊しかない辞書を奪い合うようにして読んでいたように思われます。

その隣には「塾生大部屋」があります。大部屋といっても、塾生ひとりに1畳の雑魚寝。ポジションは成績順で決まるので、成績の悪い生徒は人通りの激しい場所にいるしかないのだそうです。こういう競争原理が、適塾の勉強をより熱烈なものにしたのでしょう。

一般の民家のようなところで、学生がひしめき合うように暮らし、勉強していた様を想像すると、当時のすさまじいまでの知識欲に圧倒されます。彼らの猛烈な勉強が、日本の近代化を進める大きな力になったはずです。

緒方洪庵その人は、病弱な人で、54歳のときに急死してしまいます。しかし、その短い生涯ながら後世に残した遺産はいかに大きかったことでしょう。

適塾の指導要項の第一条に「人の為に生活して己の為に生活せざるを医業の本体とす」とあります。司馬遼太郎の訳では「医者がこの世で生活しているのは人のためであって、自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ」となります。非常に厳しい。それでいて美しい。

当時、普通の人にとっては全く見慣れない横文字の本を読み、塾を開く。緒方洪庵の熱意の跡を見て、ただただ感銘を受けました。今まで行かなかった自分を恥じました。


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八咫烏(やたがらす)神事@和歌山・熊野本宮大社

2007/01/07
サッカー日本代表の胸には、三本足のカラス(三本線のアディダスではなくて)のマークが入っています。このカラスは八咫烏(やたがらす)。八咫烏は、太陽の化身で、天・地・人を顕わす3本の足があるとされています。熊野の神様に仕え、日本を統一した神武天皇を大和国・橿原まで先導したという故事にならって、導きの神として知られています。

その八咫烏にちなんだ神事が、毎年1月7日に熊野本宮(ほんぐう)大社と熊野那智大社で行われます。熊野本宮大社は世界遺産・熊野古道の目的地で、中世には「熊野詣」という言葉もあったほど信仰の地として歴史的に有名ですから、一度行ってみたいと思っていました。八咫烏神事が一般に公開されているかどうかわからないまま、この3連休を活かし、見に行くことにしました。


ふだん、旅には鉄道やバスをフル活用しますが、下調べをすると、熊野本宮大社を通るバスは少なく、日帰りで大阪に戻るには午後5時過ぎのバスに乗らなくてはならないことがわかりました。八咫烏神事の開始時間は午後5時ですから、これではほとんど神事を見ることができません。ということで、今回は自宅の近くからレンタカーで向かうことにしました。

ところが、この日は台風並みかそれ以上の強風。阪神高速→阪和自動車道と、ただでさえ横風の強いラインですから、その力は強烈。強風で車が揺れハンドルがままならないこともしばしばあって、恐怖を感じました。

大阪から熊野までは車で3時間半から4時間かかります。渋滞がなくてもそれくらいかかるのです。ダイレクトで行くにはしんどいので、途中、白浜の近く「とれとれ市場」という魚市場兼特産品マーケットに寄り道して、昼食をとりました。町は閑散としているのに、この市場には地元の人たちや観光客がどっと押し寄せ、活気にあふれていました。まぐろの解体ショーには人だかりができていました。昼食では幻の魚・クエのお刺身や、和歌山名物の「めはり」(高菜でおにぎりをまいたもの)などをいただきました。珍しいものばかりです。

それにしても、熊野本宮大社までの道は遠い!白浜を出てからも、山がちでトンネルが続く道を50km走ります。

熊野本宮大社の近くで駐車して、、まず最初に目につくのは巨大な鳥居です。高さ33.9m、幅42mもあって、圧倒的な迫力があります。もちろん日本一の大きさです。ただし、完成したのはつい最近です。この鳥居の立っている場所が「大斎原(おおゆのはら)」といって、かつて三つの川が合流する中州で、明治22年の大水害まで熊野本宮大社の社殿があったところです。ここは圧倒的な緑と清流に囲まれて、自然崇拝の地であったことが推察できます。少し立っているだけで、清々しい気持ちになってきました。

大斎原から、現在の社殿まではおよそ500m。158段の石段を上がり、門をくぐると、3棟の社殿が横並びに建っています。その社殿の前の4カ所で祈りを捧げました。近くにちょっと思い込みの激しそうな6人が大声で独特の呪文を唱えていました。これは熊野の威を借りた新興宗教か? 大きな神社に行くと、たまに見かける光景です。熊野本宮大社は、神仏習合の地として発展してきた歴史もあるので、それも「あり」なのかもしれませんが...

熊野本宮大社は、崇神(すじん)天皇65年、つまり紀元前32年に出来たという古い歴史をもつ神社です。日本最古かと思ったら、それは奈良の大神神社みたいです。熊野には、本宮大社・那智大社・速玉大社と、歴史ある三つの神社(熊野三山)がありますが、本宮大社が最も古く、中心的な存在です。カラス文字で書かれた「牛王神符」(ごおうしんぷ)は、熊野オリジナルのものです。八咫烏神事は、本宮大社と那智大社で同じ日に行われる、熊野オリジナルの神事です。国家攘災と国民除疫を祈ります。

神事開始およそ10分前に拝殿前のテント席に座りました。特に混雑することもなく、拝殿の中が見やすいように正面の席に座りました。拝観料を払う必要はありません。拝殿の中にも参列者が多数詰めかけていました。おそらく地元の人たちではないかと思われます。神事が始まったのは、午後5時きっかり。神職が静かに拝殿に入って行きます。神様にごちそうを献上し(献饌)、祝詞を唱えた後、神事が行われます。長さはおよそ1時間。自分が座った場所からは、拝殿の中で行われていることは全く見えませんでした。雑誌「歴史街道」(2月号)によると、神事では「神職が三尺の杖で挟んだ100枚の神符を忌火と若水で清めた後、暗闇の中で拝殿左側の柱に三度宝印を撞く。次に神職がそれぞれに持つ奉書に捺していく」とあります。一度、拝殿が真っ暗になる時間帯がありましたので、間違いないとみられます。宝印は1月4日に神門に立てられた門松の黒松の幹でつくられます。

神事の最中に大きな白い無地の懐紙が配られました。横二つ折りを、さらに内側に三つ折にしたこの紙は、白紙午王というそうです。拝殿での儀式が終わった後、参列者全員(150人はいたでしょう)がこの懐紙を持って拝殿に上がり、神職に宝印を押してもらうことができます。紙の持ち方が独特で、右手のひらを垂直に立てて、その掌の部分に紙の中心が来るように左手で押さえます。宝印を捺す神職の力はすごく強く、全身でしっかりと受け止めなくてはいけませんでした。白紙は朱色の印が捺された貴重な護符となり、1年間の幸福と健勝に寄与するのだそうです。


熊野本宮大社は、豊かな自然に囲まれた、厳かで清々しい空気に包まれていました。八咫烏神事も、参列者がそれほど多くないためか、その厳かな雰囲気が引き継がれていました。めったにない貴重な神事を見て、体験することができて、非常によかった!


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日本最古の温泉@熊野・湯の峰温泉

2007/01/07
熊野本宮大社へ八咫烏神事を見に行って冷えきった体を温めようと、近くの温泉を探していたら、日本最古の温泉があるということで、行ってみました!なんというラッキーな巡り合わせでしょう。湯の峰温泉は、西暦23年に見つけられたという、日本最古の温泉です。歌舞伎でも有名ですが、小栗判官がこの湯につかって蘇生したという伝説があるほど、抜群の効能を誇ります。

熊野本宮大社から山道をおよそ4kmいったところに、湯の峰温泉はありました。辺りに水蒸気がもくもくと上がり、硫黄の香りがするなど、温泉街の風情があります。その中心にかかる橋のたもとに源泉がありました。その温度はなんと92度。手に触れたくても、熱くてムリです。

入湯受付に行くと、公衆浴場・くすり湯・つぼ湯の3種類があります。公衆浴場は源泉に水を混ぜて薄めてます。くすり湯は源泉を普通に入浴できる温度に下げたもの、つぼ湯は縦に細長い岩風呂です。料金も公衆浴場が最も安く、くすり湯、つぼ湯の順に上がります。とりあえず、くすり湯を選択。380円。

タオルを持ってこなかったので、受付で買おうとしたら、売っていないことがわかりました。近くでタオルを売っている店やコンビニは皆無。かと言って、日本最古の温泉に入らない手はない、ということで、Tシャツをタオル代わりにすることにしました。海外サバイバル旅行みたい。

くすり湯は源泉そのものの魅力を味わう、というのが趣旨ですので、石鹸・シャンプーの利用は禁じられています。お風呂の大きさは、6人入るといっぱいになるくらい。洗い場の蛇口からは水しか出てきません。あとは硫黄のお風呂のみ。ささっと体を流して湯船につかろうとしましたが、冷えきった体には刺激が強く、「アチッ!」と絶叫してしまいました。しばらく半身浴で体を慣らしたあとで、肩まで浸かりました。

結局、タオルがなくても体が冷えないようにと、熱くても15分以上入って、すっかり暖まりました。暖まった後は、熱が体の内側に保存されたように感じました。乾燥しやすい肌はしっとりしました。何よりも源泉そのものだったので、歴史の重みと、湯の楽しさを同時に実感することができました。今度来る時があったら、タオルを持って、さらにゆっくり入ります!

※ここには温泉から上がった湯気を好むかのように根を下ろす、国の天然記念物「ユノミネシダ」がありました。地元の人に、自然植生している場所を案内してもらいました。葉が丸く、生命力を感じました。



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