奇祭!火渡り神事@滋賀・菅原神社

2007/02/25
よくニュースで「各地の話題」として取り上げられる、火渡り神事。護摩木を燃やした後の燃え殻の上を素足で歩くシーンがよく出てきます。今回、その神事の一部始終を見て、その上で是非体験しようと思い、行くことにしました。

この日、神事が行われるのは、滋賀県野洲市の菅原神社です。JR野洲駅から「木部循環」と書かれたバスに乗り換えて10分、「江部」バス停から5分ほど歩いたところにあります。このバスが1時間に1本しか走らないという貴重な足。開始時間ならびに神事の申し込みの締め切り(午前10時)に間に合うためには9時半発のバスに乗る必要がありました。

行きのバスには、観光客らしき人は2〜3人程度に見えました。本当に、あの有名な神事は行われているのか、心配になりました。が、神社に近づくと、車で来ている人の数が多く、すでに境内は多くの人で賑わっていました。

入口右手に、その火渡り神事の受付があります。さあ、申し込もうかと思ったら、受付の横に大きな看板が立っていました。そこには「火渡り神事希望者必読のルール」が書かれていました。

一、遊びではなく厳格な神事である
一、申し込みは自由であるが自己責任である
一、神威を信じ精神を統一して歩くこと
一、話の種子にするために歩くのは邪心である
一、神事に傷害保険はない自己負担
一、酒気は天神が喜ばない行為である
   …よく読んで納得の上、申し込んでください

ん?これはひょっとして自分は4番目に該当してしまうのではないか、とたじろぎました。追い討ちをかけるように、「火渡り神事への参加は自己責任でお願いします」とのアナウンスが流れます。が、目の前で明らかに観光で来たおばちゃん達がガンガン申し込んでいるのを見て、「この人たちには負けられない」と変な敵愾心を燃やして申し込むことにしました。先着150名。住所と電話番号、名前を書いて、1500円払えばOK。引き換えに「足型守」(あしがたふ)を授かりました。

午前10時になると、神事が始まります。ここからしばらくは神事らしく、神楽の奉納や祝詞奏上、玉串奉天、来賓の挨拶などがあります。ユニークなのは、国家鎮護から商売繁盛、無病息災まで、様々な祈願の特別串や護摩木を一気に焼くところ。今年は乾燥しているせいか、きれいな白い煙が上がりました。火の勢いが激しく、この燃えかすの上を歩くのは、とてつもなく熱そう...さらに、宮司からのあいさつでは「ここの火渡り神事は、他と違って、水をかけたりしません。中途半端な気持ちでは決して参加しないでください」とダメ押しのように言われました。大丈夫かなぁ。

火渡り神事2

この神事では、宮司が大活躍です。境内のアナウンスによると、この宮司さんは伊勢神宮や日吉大社などといった名門神社で約30年修行を続けて、地元の神社に戻ってきたということです。そのせいか、荒行に対する免疫があるというか、気合の入り方がすごい。何のウォームアップもなく冷たい水をかぶり(寒水行)、他の参加者に先駆けて火渡りをします。

さてさて、2時間に及ぶ神事の最後に、火渡りが行われます。護摩木の燃え殻は、幅3m、長さ4m(くらいだったと思います)の広さに整えられます。深さは10センチあるでしょうか。燃え殻から火が出ることはありませんが、ところどころから煙がシュワッと出ています。

先頭を切って宮司が渡りました。続いて、地元の氏子をはじめとした150人の参加者が次々と渡っていきます。最初は受け付け順に渡っていきますが、途中からは全く関係なくなります。僕はグズグズしているうちに、最後に近い順番になってしまいました。素足になり、ズボンの裾をひざ下までまくり上げて列に加わります。この日は気温が低く、日差しは暖かいのですが、足元を通り抜ける風は冷たかったです。境内の小さな砂利石も、足の裏にめりこんで、じんわりと痛みます。

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さて、自分の番がやってきました。神職からは「下を見ないで、まっすぐ前を向いて歩いてください。背中をたたいたら、スタートしてください」と指示されました。まもなく、ドン、と背中をたたかれます。アドバイスのとおり、前を見て3歩進んだところで、足の裏が急激に熱くなりました。思わず「アチッ!アチッ!」と叫んでしまいました。本当に熱かったです。そう、僕は手の皮が薄いのか、敏感なのか、熱いものを触るのが苦手です。それが足の裏についてもそうなのかもしれないと感じました。あるいは、精神統一がまだまだ足りないのかもしれません。

燃え殻を渡った先には、ちょうど両足が乗るくらいの大きな硯があります。足の裏についた炭を落として、硯にのり、自分の持ってきた「足型守」に乗ります。自分の名前の両脇に足を乗せます。手形ならぬ足形です。うーん、ちょっと美しくないですねぇ。

自分の足形の入った「足型守」を居間か寝室に飾れば、その年の無病息災がかなうといいます。あまり部屋の景観にはよろしくないような気がしますが、とりあえず寝室に置こうかと思います。

足形をとったところで、あとは境内の脇にある冷水で黒ずんだ足の裏を洗います。この冷水がまた冷たい!持ってきたタオルでふいて、靴をはくときには、足の指がすっかりかじかんでました。

お祭りが終わったのは12時半。最寄り駅に向かう一時間に一本のバスは12時37分発ということで、そそくさと神社を後にしました。バスに乗って一息つくと、熱さと冷たさと、砂利の食い込みに耐えた足の裏にはジンジンとした鈍い痛みを感じました。が、気がつけば、昨夜からうっすらと感じていたのどの痛みが取れていました。


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讃岐うどん巡礼の旅:初心者編

2007/02/24
関西の味覚を象徴するものと言えば、あっさり味のうどん。讃岐うどんは、関西の味というと語弊がありますが、あっさり味うどんの代表格とも言えるものです。人気店が営業している土曜日、うどんがおいしく感じられる寒さなどの条件がそろい、この日、讃岐うどん巡りを決行しました。だしの旨さだけでなく、麺の食感や、店ごとに異なる注文方法など、多くの発見が待っていました。1杯100円〜250円ながら、豊かで奥行きの深い世界が待っていました。

讃岐うどん

できたてのうどんを食べるには、午前中が勝負です。大阪から最もスムーズに高松に行けるルートを探しました。早朝から車で行くという方法もありますが、体力的な面と、瀬戸大橋の高い通行料を考えて、鉄道+レンタカーを選択しました。午前7時30分新大阪発の「のぞみ」に乗車、岡山で「マリンライナー」に乗り換えて、9時16分に高松着。高松からはレンタカーを利用しました。地図でもわかりにくいうどん店に行くには、電車やバスなどの公共交通機関では不便だし、タクシーを使うとお金がかかります。ということで、レンタカーを借りることにしました。ただし、カーナビ搭載が絶対必要条件です。

事前に「麺通団のさぬきうどんのめぐり方」(西日本出版社)を読みました。このガイドは店内のイラストや注文の仕方、店周辺の地図がとてもわかりやすく掲載されていました。これなら初心者でも迷わずに店に行き、段取りを間違えずに注文できます。この本には"初心者向け黄金モデルコース"のプランニングが特集されています。これが回転時間や、各お店の位置関係、定休日をもとに非常によく練られたものだったので、これに自分なりのアレンジを加えました。

1)がもう
 場所がとてもわかりにくいのですが、お店の何倍もある広い駐車場があって、早くも行列ができていました。かけうどん(小)を注文。ごわっとした麺。だしがあっさりとして、あっという間に平らげました。

讃岐うどん「がもう

2)田村
 地味な看板。ちょうど間が良くて、お客さんの少ない時間帯でした。しょうゆうどん(小)を注文。麺がもちっとした食感でかなりしっかりしています。しょうゆうどんは磯辺焼きを食べているような感覚。かけうどんは、魚のだしが効いてます。すりおろしのしょうががピッタリ。お店のご主人の屈託のない笑顔が非常に印象に残りました。

3)山越
 讃岐うどんのランドマーク的なお店。かまたまうどん発祥の地です。さすがに行列が50m近くあって、一番長かったです。かまたまは、自分がたまごをうどんに絡ませなかったために、パッとしない味になってしまいました。反省。だしの方は、マイルド。うどんとだしの調和が取れていました。 このへんで、かなり満腹になってきました。だしを飲んだからかな?

4)中村
 「食べた瞬間に麺が消える」という食感は、本当でした。細くてやわらかい麺、「田村」で味わった魚の風味が効いただし。おいしかった!

この4軒をまわったところで午後1時。かなり満腹だったので、ここで腹ごなしにと、金比羅宮に行きました。785段の石段をのぼり、本宮へ。1年ぶりの参拝です。前回参拝したときに購入した、幸せの黄色いお守り、持ってくるのを忘れてしまいました...

こんぴらさんを下りても、ぜんぜんお腹が空かない。それなのに、ふもとの土産物屋で「しょうゆソフトクリーム」を好奇心で買ってしまいました。最初の印象は普通のソフトクリームですが、後味でしょうゆの香りがたってきます。でも甘さと矛盾がない。非常に面白い味でした。

というわけで、結局、5軒目には行かずに、讃岐うどん巡りをストップしました。塩入温泉でゆっくりと湯につかってから、まっすぐ大阪に戻りました。新大阪に着いたのは午後7時30分。ちょうどぴったり12時間の日帰り旅行でした。

たかが、うどん、されど、うどん。讃岐うどんひとつで麺の固さ、食感、だしなど、とても豊かなバリエーションがあることがわかりました。どのうどんもキャラが立っていて、何度でも行きたくなるような魅力がありました(あえて2つ選ぶなら、田村と中村です)。今回は初めてだったので、また次回、よりディープに行ってみたいと思います!


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日本のルーツを探る旅(2)宮崎・高千穂

2007/02/11
今年に入って熊野詣をしたことで、「今年は神社巡りの年」にすることにしました。神社の由来や、その信仰を知ることは、日本のルーツを探ることに近いのではないかと思います。そこで、「日本のルーツを探る旅」第2弾として、宮崎県の高千穂に行くことにしました。高千穂は「天孫降臨」(てんそんこうりん)、つまり日本建国の神々が降り立ったという神話の里です。夜神楽最終日・3連休・たまったマイレージと要素がそろったことで、この日に行くことにしました。神話の里にふさわしい、景色、自然の造形を見ることができました。

高千穂には、高千穂峡・高千穂神社・天岩戸神社・国見が丘と、「神話の里」と呼ぶにふさわしい不思議な地形と美しい自然、清らかな雰囲気を持った神社があります。そのひとつひとつを車(レンタカー)でまわりました。

☆高千穂峡☆
高千穂の中心部から少し坂を下がったところに、高千穂峡はあります。観光用駐車場は料金500円。駐車場の近くにはボート乗り場があります。今回は一人旅なのでパスしましたが、渓谷の中をボートで動くのは眺めも面白く、楽しそう。

高千穂峡

高千穂峡は、アコーデオンの蛇腹状の岩面がとても独特です。これは約12万年前と9万年前に、阿蘇山から流れ出た溶岩が急激に冷やされたためにできたもので、柱状節理と呼ぶのだそうです。自然現象とは言え、このような特殊な形の岩を見るのは初めてです。岩清水の両脇に切り立った崖、崖の上から糸のように流れ出る「真名井の滝」など、確かに神秘的な雰囲気があります。滝の近くには「鬼の力石」という、高さ3mはあろうかという巨大な岩があって、注連縄で飾られていました。さすが、神話の里です。


☆高千穂神社☆
高千穂峡を上がっていくと、高千穂神社があります。1200年以上の歴史があると言われています。境内には、樹齢800年を超える秩父杉や、1つの根元から2本の杉が生えている夫婦杉などの巨木が立ち並び、静かでひんやりとした空気に包まれています。社殿は国の重要文化財に指定されています。白木の鳥居や、これまた重要文化財の狛犬など、アプローチから本殿まで、清らかな空気に満ちていました。この日は建国記念日ということで、「建国まつり」の主催者が神事に参加していました。

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☆天岩戸神社☆
天岩戸神社は、高千穂の中心部から約7kmと、少し離れたところにあります。この神社は神話で有名な岩戸隠れの地として知られています。その神話をダイジェストで言うと、こういうことです。

「太陽の神・アマテラスが、スサノオノミコトの悪行に耐えかねて、岩屋戸(洞窟)の奥に隠れてしまった。太陽の神が隠れてしまったので、世界は暗闇になってしまった。困った八百万(やおよろず)の神が天安河原に集まって相談した結果、岩戸の前で宴会をすることにした。その宴で、天鈿女命(アマノウズメノミコト)が胸元もあらわに面白おかしく舞ったことで盛り上がったところ、アマテラスが岩戸を少し開けた。そのとき、手力雄命(タヂカラノオノミコト)がアマテラスを外に連れ出し、この世に光を戻した」

社務所で申し込めば、その岩戸のあったという場所を見学することができます。と言っても、天岩戸は、遥拝所から見て、細い岩戸川をはさんで対岸のがけ下。そこは神域とされていて、神官も立ち入ることができません。案内役の神官の説明を聞いても、それがどこなのか、はっきりと特定することはできませんでした。でも、うっそうと茂る木々、切り立った崖、静けさの中で聞こえる川のせせらぎが、この地をスピリチャルなものにしています。

社殿は西本宮のみ。境内には立派なオガタマ(招霊)の木が立っています。高千穂の夜神楽で使われる鈴の形は、このオガタマの木の実を模して造られたと言います。常緑樹で、品の良さを感じさせてくれます。もうひとつ、古代銀杏の木が立っていて、こちらは非常に珍しいのだそうです。このような貴重なご神木があるのも、由緒ある神社の重要な構成要素のひとつではないかと思います。

天岩戸神社

天岩戸神社から歩いて10分弱、先ほどの神話で、八百万の神が打ち合わせをしたという、天安河原に向かいました。透き通った岩戸川、高千穂峡でも見た柱状節理の岩の横を通ると、この地の神秘性が増してきます。そして、鳥居のある洞窟に突き当たります。それが天安河原です。鳥居の周りには無数の石積みがあり、霊感のない自分にとっても、ここはとても霊の強い場所ではないかと思われました。

天安河原

☆国見が丘☆
標高513mの丘にあります。やはり高千穂の中心から10分余りでしょうか。駐車スペースはありますが、小さな売店が一軒、頂上に碑が立ってベンチが点在しているほかには、とても静かでのどかな場所でした。ここからは高千穂の町や阿蘇山など、360度見渡すことができます。10月〜11月頃の早朝には雲海が見渡せると言う、絶景の地です。

国見ヶ丘の名前の由来は、神武天皇の孫の建盤竜命(たていわたつのみこと)が九州統制の折、この丘から周囲を眺めたという伝説にあります。確かに、ここから日の出を見たら、絶景かも。元旦の朝は初日の出を見ようと、多くの人が訪れるのだそうです。天孫降臨の地と言われる神話が生まれるのも不思議ではないと思いました。
(参考:http://www.komisen.net/shinwa.htm)


天岩戸神社は、伊勢神宮や、熊野三社がそうだったように、原生林と切り立った崖や岩、透き通った水といった、人間の力ではなしえない圧倒的な自然のそばにあります。神社と自然崇拝には密接な関係があることが、この神話の里でも証明されたように思いました。そんな環境の中に身をおくだけで、心洗われるような気持ちになりました。


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夜神楽で神遊び@宮崎・高千穂

2007/02/10
「神話の里・高千穂」のひとつの大きな特徴が高千穂の夜神楽です。天岩戸(あまのいわと)に隠れた天照大神を外に出すために天鈿女命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前で調子良く面白く舞ったのが始まりだとされています。国の重要無形民俗文化財に指定され、毎年11月末から2月まで、高千穂町内の19の地区で行われます。その地区の氏神様を神楽宿に招き、収穫感謝・鎮魂儀礼・豊穣余祝などの祈りをこめて、夕方から翌朝まで三十三番の神楽が奉納されます。この日は、高千穂夜神楽の最終日。高千穂の中心街から10kmあまり離れた上田原(かんたばる)地区で行われました。節分と立春を過ぎているため、この日の夜神楽は「春告祭」と呼ばれるそうです。

夜神楽が行われることはわかっているものの、具体的な行き方や開始時間がわからないまま、町に着きました。とりあえず高千穂駅に行き、お土産屋さんにさしてあったパンフレットを参考に現地へ行くことにしました。お店のお姉さんは、「近くに行けば、看板が出ているはず。もう始まっているかもしれないし、明るいうちに下見をしておいた方がいいわよ。面白くなるのは深夜になってからだし...」とアドバイスしてくれました。

会場(神楽宿と言います)は、国道325号線から少しはずれたところにありました。看板はたったひとつなので、見逃すとわかりません。駐車場は乾いた田んぼ。でも少しだけぬかるみが残っています。晴れててよかった。雨の日の場合はセダンだと出られないかも。でも、あぜ道を走るので、大型車は不向き。入口には「熊野権現神社」の幟が2本立っています。夜神楽ができるように民家を改装してました。建具を外して、開けっ放し、完全なオープンカフェ状態です。中央の部屋に大きな祭壇が設けられて、その前で神楽ができるように注連縄で「神庭」(こうにわ)というゾーンをつくり、天蓋を下げていました。夜神楽が行われる間、この神庭は神聖な空間と考えられ、女性が入ることは厳しく禁じられているということです。中央の部屋の正面の土間には小さめの緑の祭壇がありました。そこに手足をしばられた猪が横たわっていました。ちょっとびっくり。

高千穂夜神楽の祭壇

最初に訪ねた時は午後3時半ごろ。まだ少しずつ準備をしているような感じでした。夜神楽のスタートが午後5時半であること、翌朝9時過ぎまで続くことなどを確認して、とりあえず会場を離れました。夜神楽に入る前に食事・防寒などの準備をするためです。

再び訪れたのは午後6時前。受付で「ご神前」(現金のこと)を渡して、中に入りました。すでに夜神楽は始まっていて、多くの見学者でいっぱいでした。畳に座れるスペースは、神庭の周囲に4畳縦列と縁側くらい。当然のように立ち見です。やはりカメラオヤジはいいポジションをキープしてました。(その情報収集力と行動力は敬服に値しますが、周りの見学客を顧みずにカメラを振り回して視界をさえぎるのは、カメラマンとして失格だと思うのですが、気づかないものでしょうか?)。立ち見ゾーンには暖がとれるように炭が置かれてます。近くにいると暑すぎるくらい。

夜神楽は、午後5時半から翌朝9時半すぎまでの約16時間、33番の神楽を「ほしゃ殿」が代わる代わる舞います。「ほしゃ殿」とは、神楽を舞う人のことで、奉仕者という意味から来ているそうです。夜神楽が33番なのは、観音様が33の化身により人々を救うという考え方から発しているそうです。

さて、夜神楽はまだまだ序盤でした。神様をお迎えし、その場を祓い清める舞が奉納されていました。5番終わったところで、神事・直会(なおらい)があります。直会は、降臨された神々と住民が一体になる食事の儀式で、カッポ酒(焼酎)と煮物をいただきます。見学者や、儀式が終わってから「ふるまい」としてお裾分けをいただくことができました。後で、うどんや善哉なども振る舞っていただきました。会場の気温は外気と一緒でとても寒いので、非常にありがたかった!

1番ごとの解説は他にゆずるとして、夜神楽の特徴や印象をまとめると、こんな感じです
・神楽には、神面をつけて踊る「面神楽」と、面を着けない「素面舞」に分かれる。「面神楽」の方が動きが多彩で劇的。
・神楽によって、鈴・榊・御幣・太刀・弓矢など、手に持つものが異なり、それがその神楽の願いや性格を表す。
・神楽1番につき、登場する「ほしゃ殿」は2人〜6人?くらい。「ほしゃ殿」は白い着物に白い袴姿。
・「ほしゃ殿」は小学生くらいから還暦を越えたくらいの人まで、およそ20人がローテーションのように登場する。
  (でもこれだけの数の踊りを覚えて、マスターするのは大変だと想像します)
・「ほしゃ殿」は、次の演目の準備や、太鼓や笛の演奏、「ふるまい」の手伝いなど、ステージに上がらない間も忙しい。
・一番多いリズムは「ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ、ドン」。バリエーションは多くない。

最初は、供の舞が多いのですが、徐々にベテランが入ってきて、神楽の内容がしまってきます。深夜1時過ぎには、見学客がクラッカーを鳴らして、銃声を表現し、その結果として、(事前に準備された)猪が収穫として出てくる、という派手な場面もありました。

高千穂夜神楽

自分は午前2時を過ぎたところで寒さと眠気が限界に達して、宿に帰りました。慣れている地元の人たちや、気合いの入った見学客は、まだしっかりと残っていました。翌朝、9時過ぎに再合流。最後の2番を拝見しました。実は、最も肝心の「岩戸五番」を見ることはできませんでした(早朝だったもので...)。この岩戸五番こそ、天照大神が隠れている天岩戸を探り当て、天鈿女命が舞うシーンがあって、これこそ高千穂の夜神楽のハイライトなのです。残念!これはまた別の機会に挑戦しようと思います。

終わったのは、午前9時42分。「上田原神楽、バンザイ!」と万歳三唱してめでたく終了しました。天蓋にさがっていた切り絵を一枚いただき、お土産にしました。地元の方々の神楽にかける思いの強さや強靭なスタミナが印象に残りました。まさに「神話の里」ならではの夜神楽でした。


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日本のルーツを探る旅(1)熊野詣

2007/02/06
2月6日、年に一度のお燈まつりにあわせて、神倉神社に近い熊野速玉大社と熊野那智大社に行くことにしました。1月に熊野本宮大社に行っているので、これで熊野三社すべてをお参りしたことになります。まさにインスタント熊野詣! この日はウイークデーのど真ん中で、会社で取れる休みはたった一日。日帰りでしかも夜には神倉神社に行かなくてはなりませんので、時間配分を気にしながらの行程となりました。

ということで、最短で目的地に着くために、大阪からの往路はJRの特急「オーシャンビュー」で紀伊勝浦へ。さすが、その名の通り、白浜から紀伊勝浦までの車窓風景は、美しい海、リアス式海岸や、立ち並ぶ奇岩など、魅力のある景色が続きました。進行方向右側の窓側席がベストポジションです。9時22分発の特急で、12時30分の到着です。これが最短というのもなあ、という印象ですが、紀伊半島の地形は、海岸以外、山・山・山…鉄道や自動車が高速で走れる平地がほとんどないのです。昔、地理で教わった「日本は山がちな国土」という表現がピッタリなところです。

紀伊勝浦からはレンタカーを借りました。もちろん、カーナビつき。深夜に大阪に戻るので、乗り捨てです。


☆熊野那智大社
紀伊勝浦から車で15分、熊野那智大社は山を少し上がったところにあります。「この先通行止め」と書かれた、みやげ物店のあざとい看板に見事にひっかかって、吸い込まれるように有料駐車場に入りました。

熊野那智大社は那智の滝を祀る神社です。滝と神社の間には400段を超える石段があり、一度に両方を見ることはできません。まずは石段を下り、那智の滝を見に行きました。

那智の滝は幅13m、落差133m。断崖絶壁を一気に流れ落ちる様は迫力満点!日本の三名瀑と言われるだけのことはあります。滝口には注連縄が張られているところに、滝を神として崇める、この地の特徴がくっきりと現れます。

熊野那智の滝

さらに300円の拝観料を払い、お滝拝所に上がると、さらに滝に近づけます。そこからは、滝つぼに虹がかかっているのが見えました。

今は岩肌が露出していますが、かつては滝の周りにも原生林が生い茂っていたといいます。想像するにつけ、自然の厳しさ、雄大さが伝わってきます。熊野信仰と自然崇拝が一体であったことをひしひしと感じます。

滝から熊野那智大社へ向かいます。ここの石段473段を上がるのは、健脚でないときついです。那智大社のすぐ隣には、天台宗のお寺、那智山青岸渡寺があります。本堂は1590年に創建された桃山様式の建築で、国の重要文化財です。那智大社とあまりにも隣接してるので、ここが神仏習合の地であることがわかります。

那智大社は、本宮大社とは違って、朱色の社殿が鮮やかです。お参りをして、熊野詣の必須のおみやげ「午王神符」を購入しました。社殿の向かいには休憩所があって、標高500mから紀伊勝浦の町を見下ろすことができます。

境内には、樹齢約850年の樟(くすのき)があります。太くて立派で強い生命力を感じさせます。なんと地面と接する部分が大きな空洞になっています。護摩木を購入し(300円)、願い事を書いて奉納すれば、中を通ることができます。もちろん、入ってみました。まるで胎内体験!(実際のところ、そんなのわかりませんが)少しは巨木の生命力をいただくことができたかもしれません。


☆熊野速玉大社
那智大社からは車で30分くらい、午後3時30分頃に着きました。お燈まつり当日で混んでいるかと思いきや、観光客の姿はそんなに目立ちませんでした。ただ、参道でまんじゅうを売っていたおばちゃんに「これから混むから、車はそのまま(参拝客用)駐車場にとめておいたほうがいいよ」とアドバイスしてもらいました。(確かにその通り、後で駐車スペースを探す車を何台も見ました)

神門の手前には樹齢約1000年というナギの木がありました。存在感以上の、生命力を感じさせます。社殿は、那智大社と同じく鮮やかな朱色です。それほど広くありませんが、由緒ある神社ならではの清らかな雰囲気がありました。早速ここでも「午王神符」を購入。これで熊野三社の「牛王神符」をそろえて持つことができました!

参拝をおえて、境内を出ると、「お燈まつり」に参加する上り子たちがパラパラと町に出てきていました。いよいよ、年に一度のビッグイベントが始まろうとしていました。

熊野三山は、「熊野本宮大社:来世の救済」「熊野那智大社:現世の救済」「熊野速玉大社:過去の救済」に色分けされます。この三社に詣でることで心と体がよみがえり、人間本来の美しい姿に戻るとされています。中世から続く熊野詣を、電車とレンタカーを使って巡れば、2日で回れます。神社のもつ清らかな雰囲気と、周囲の豊かな自然の中に身をおくことで、日本人が古くから持っていた自然を尊敬する心を感じ、安らかな気持ちになりました。


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