大化の改新のきっかけは...けまり祭@奈良・談山神社

2007/04/29
談山(たんざん)神社は、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が蘇我入鹿を打倒するために打ち合わせをしたという「大化の改新」談合(打ち合わせ)の地です。だから「談」山神社なんですね。御祭神は藤原鎌足。非常にユニークな歴史を持った神社です。

2人の出会いは、飛鳥の法興寺(現在の飛鳥寺)で行われた蹴鞠会でのこと。つまり、談山神社で行われる蹴鞠祭はその由来にかかわる伝統行事です。日本史の重要な転換点となった場所に、この機会に行ってみることにしました。

9時45分、桜井駅発の路線バスに乗ろうとすると、すでに列ができていました。なにせ1時間に1本しか走っていない路線です。おっちゃん、おばちゃんが多く、バスが満員になるほどの混雑ぶりです。飛鳥の「おんだ祭」の時に似た雰囲気。バスで20分あまり。急な坂を登っていきます。それにしても、歴史のある寺社は山奥にあることが多いですね。山奥の静けさと澄んだ空気によって、純粋な信仰を醸成しようとしているのかもしれません。昔の人は車もないのに、よくここまで登ってきたもんだと感心してしまいます。

談山神社

拝観料500円を納めて、階段を上ると、右手に鮮やかな朱色の本殿と拝殿が現れます。701年に創建したとは思えない、古さを感じさせない、極彩色。もともとは妙楽寺というお寺だったそうです。

談山神社・本殿

談山神社には「けまりの庭」があって、祭りはそこで行われます。すでに陣取りをしている人も多数いました。すでに神棚がもうけられ、鞠が枝に挟まるかたちで飾られていました。

談山神社・けまりの庭

蹴鞠の開始前に、蹴鞠保存会の人たちや地元の名士などが参加して、神事が執り行われました。蹴鞠保存会の皆さんは京都を本拠として、各地の蹴鞠イベントになると出かけていくみたいです。彼らにとっても、このお祭りは重要な祭りのようです。

蹴鞠はすんなりと始まる訳ではなく、枝にはさまった鞠を抜いて、参加者に渡す「解鞠(ときまり)」の儀式、参加者一人一人が入場して、試し蹴りをするなどの段取りがいろいろとあります。儀式の進行と合わせて、解説のアナウンスが入るのがよかったです。ひとつひとつの動作の意味がわかりました。

鞠は、シカの皮2枚を馬の革で縫い合わせたものです。蹴ったときの音は少し重めの紙風船のような感じがしました。

談山神社の蹴鞠

蹴る時のルールは、
・参加者は8人
・蹴る足は右足のみで膝を伸ばした状態で蹴ること。サッカーのリフティングとは違います。同じだったら、ブラジル代表を蹴鞠保存会に招待したくなるでしょう。
・一人が連続してタッチできるのは3回まで。
・「アリ!」「ヤア!」「オウ!」と声を出しながら蹴る。
・時間は無制限。ラリーが続くほどよいが、ミスキックをしたからといってペナルティが課されるわけではありません。

蹴鞠は技の優劣や勝敗を決するわけではないので、スポーツというよりも、社交としての要素が強いのかなと思いました。鞠を蹴る間は無心になれそうな気がします。

談山神社・けまり祭1

談山神社・けまり祭2

蹴鞠が始まって5分ほどで、早くも見物客が動き出しました。これは見に来た人たちが飽きっぽいからではなくて、時の経過とともに状況が変化して、それによって蹴り方が変わったりするものではないからなのです。だから、最初に少し見れば、あとは一緒。と判断する人が多いのでしょう。

終わった後、境内にある「恋神社」という、女の子には人気のありそうな名前の神社に行きました。本殿の横にある「むすびの岩座」をなでて、おみくじを引くとよいとのこと。結果は「吉」でした。ちょっと複雑。ま、神に頼らず、人事を尽くしましょう。

恋神社

恋神社・むすびの岩座

12時12分発の桜井駅行きのバスに飛び乗って下山しました。ちょっと急いでしまいましたが、これを逃すと次は1時間後になってしまいます。

けまり祭はどこか優雅なものでした。これがきっかけで大化の改新が始まったというのは不思議ですね。ゴルフをきっかけに商談がまとまるようなものでしょうか。それより、歴史的な場所に来たという感慨がありました。新緑が豊かで、澄んだ空気に包まれてリラックスしました。


このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

日本最古の神社:ご神体の正体@奈良・大神神社

2007/04/29
前回、春の大神祭に行って、日本最古の神社のご神体が山であること、その山には登ることができることを知りました。暑すぎず、寒すぎないうちに行ってみたいと思い、桜井市周辺でイベントの多い、この日に行くことにしました。

狭井神社の横が入口。午後2時までの入山が原則。ダッシュで向かったものの、少し遅れてしまう。午後4時までに必ず下山することを約束して、なんとか許してもらいました。感謝、感謝です。登拝料300円を払うと、鈴のついたたすきを渡されました。

大神神社・神体山登山口

入ったら、その先は神域。ビデオカメラやデジカメの持ち込み禁止。もちろん、撮影禁止。神域という意識が手伝って、背筋が少し伸びます。歩き始めてしばらくすると、わき水の横をしばらく通っていきます。あたりが少しひんやりとします。わき水の冷気と湿気が実に心地よいです。山道を歩いて少し体が温まってきたところだったので、ちょうどよいタイミングです。わき水の源流となっている小さな滝を横目にわかれると、そこから先は急坂。心拍数が上がり、少し息が切れて、汗が出てきました。

少し急いで登っていたのですが、しばらくすると、自分よりも先に登っていた人に追いつきました。これで山道に迷っても自分より遅い人がいると思っただけで、ホッとしました。登っている人たちは、若者から信心深い中年層まで、いろいろいらっしゃいました。降りてくる人とすれ違うごとに「こんにちわ」と声をかけあいますが、皆さん、ニコッといい表情されてました。ご神体の霊力がそうさせるのでしょう。結局、頂上までは35分で着きました。普通に考えると1時間くらいはかかるということですから、一気に登ったんですね。

ご神体の頂上には、お社がひとつ、その先に「興津岩倉」という注連縄のかかった岩がありました。山頂からは緑豊かな周囲の山々や桜井市の街並が見えるかと思ったら、木が生い茂って、周囲の景色を見下ろしたりすることはできません。ここは神域ですから、そういう配慮は無用ということなのでしょう。

頂上で腰を下ろしてしばらく休んだ後で、一気に山を下りました。下りは40分かかりました。腿と膝の上に力がかかります。やはり下りの方が筋力を使うせいか、下山後、足がプルプルと小刻みに震えていました。

ペットボトルに水が入っていなかったので、降りてきて喉がカラカラになっていました。さっそく狭井神社のご神水をいただきました。これがひんやりとして、飲み口がマイルドで非常にうまい! ホッと一息つきました。やっぱり山登りに水分は必要だと思っていたら、社務所の掲示に「入山後は飲食禁止」と書いてありました。結果オーライです。

大神神社・神体山登拝証

午後4時よりも少し早めに下りてきたので、ご神体ともうひとつ、春の大神祭で見られなかったもの、三ツ鳥居を見に行きました。社務所にお願いすると、拝殿の横から案内してくれました。三ツ鳥居は白木でできていて、鳥居が表彰台のように山型に重なっています。大きさはそれほど大きくありません。拝殿の正面の幅より少し広くて高い程度でした。その起源は相当古いということですが、神社でもその記録がないのだそうです。昔から地図に三ツ鳥居の記号があったのだとか。それにしては白木がきれいだけど...

神社を離れ、桜井駅に向かうバスを待つ間に、名物の「三輪そうめん」をいただきました。注文したのはちょっと太めの「釜あげ」。つけ麺のようにしていただきます。そうめんというよりも、実体はうどんでしたが、ツルツルっと入っていって、おいしかったです。

三輪そうめん(釜揚げ)

ゴールデンウイークの初めにいい体験をさせていただきました。神社の持つ清々しさの根源は、自然の力にあることが、感じられたような気がします。




このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

21世紀に生きる君たちへ@大阪・司馬遼太郎記念館

2007/04/22
大阪が誇る歴史作家、司馬遼太郎さんの記念館が、東大阪にあります。名エッセイ「21世紀に生きる君たちへ」の企画展があるということで、あのエッセイを読んで感動した一人として訪れることにしました。

司馬遼太郎記念館は、近鉄奈良線の八戸ノ里(やえのさと)駅から歩いて10分弱のところにあります。鶴橋から近鉄の各駅停車で約10分、駅の改札に記念館までの道のりを示した紙が置かれていました。駅からの歩道には、電柱ごとに「ひったくり注意!」の表示がありました。

八戸ノ里駅周辺「ひったくり注意」

どれだけひったくり事件が起きているのでしょう。確かに、東大阪は凶悪事件が最近よく起きるところですが...記念館は、そこから少しだけ住宅地に入ったところに、ひっそりとありました。

司馬遼太郎記念館 入口

そこには、司馬さんが生きていたときからあまり変わらないように保存された自宅と、その隣に安藤忠雄氏設計のコンクリート建ての記念館があります。生前、司馬さんは雑木林がお好きだったということで、自宅を囲む庭を通って記念館へ至る道は、雑木林を再現するような多様な緑に包まれています。司馬さんの書斎もその通り道から間近で見ることができます。

司馬遼太郎の書斎

記念館に入ると、地下一階、地上二階の建物は一部吹き抜けになっていて、そこにはびっしりと巨大な本棚が壁を埋め尽くします。その数、2万冊あまり。司馬遼太郎さんが書いた本の初版本や、その本を書く元になった膨大な資料などが置かれています。これらの資料を読み込んで、歴史小説を紡いでいったのですね。司馬さんの超人的な情報処理力・情報編集力がこの本棚を見るだけでわかります。

地下一階の隅っこに、本棚のないコーナーがあります。その天井には、なんと坂本龍馬のシルエットによく似た、コンクリートの「しみ」がありました。これには本当に驚きました。確かに、わずかに左ほほを見せる、あの有名な龍馬の写真のシルエットそのものと言ってもいいくらいです。これも設計段階で狙ったことなのかと思うほどですが、全くの偶然なのだそうです。ひょっとして、坂本龍馬が時代をこえて司馬遼太郎に敬意を表するために現れたのかもしれませんね。

企画展「21世紀に生きる君たちへ」では、司馬さんの原稿が置かれています。小学生にもわかるように、アフリカの原野から、ニューヨークの街角に暮らす子供にまでわかるように書いたという、名エッセイの推敲のあとを見ることができます。実に様々な色鉛筆を使っています。大胆に削られています。それを見るだけで、司馬さんが後世に伝えたいという思いの強さが伝わってきました。

閉館間際に行ったのですが、最後のビデオ上映の時間に間に合いました。そこでは司馬さんの創作の動機が紹介されていました。彼の作品はすべて22歳の自分に向かって書いた手紙なのだと言います。22歳の自分とは、学徒出陣から帰国して人生の岐路に立っていた時のことだそうです。司馬さんは「なぜ日本人は愚かな戦争をしたのか?なぜ日本人はこんなに馬鹿になったのか?」ということを考えたといいます。それには昔のことを知らなければならない。というところから、「龍馬がゆく」「坂の上の雲」「菜の花の沖」といった名作が生み出されていったのです。司馬さんの創作の動機と、著作のエッセンスがわかりやすく描かれたビデオでした。

帰宅後、「21世紀の君たちへ」や「洪庵のたいまつ」などの名エッセイが詰まった文庫本を再読して、目頭が熱くなってしまいました。何度読んでも、本当に素晴らしい文章です。


このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

美しい曜変天目茶碗@大阪・藤田美術館

2007/04/22
世界に三碗しか現存しない、曜変天目茶碗。漆黒の碗に神秘的な青い曜変と呼ばれる斑紋が現れます。一度、東京の静嘉堂文庫美術館のものを見に行ったことがありますが、小さなお茶碗に宇宙の輝きが秘められた、何とも上品な姿が目に焼き付いています。12〜13世紀に中国でつくられたものですが、なんと現代の最先端の技術をもってしても、この輝きを表現をすることはできないのだそうです。

三椀の曜変天目茶碗、いずれもが日本にあります。東京の静嘉堂文庫美術館、京都の大徳寺龍光院、そして大阪の藤田美術館。もちろんすべて国宝です。この藤田美術館の曜変天目茶碗は、5年に一度しか公開されないということですが、この春の「名碗と水墨画」展で展示されているということで、行ってみました。
参考URL:http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/fujita/yohen-tenmoku.html

藤田美術館は、JR東西線の大阪城北詰駅から歩いて3分ほどのところにあります。蔵を改装した素朴な建物でした。春と秋にしかオープンしていません。実にもったいない。アプローチから中まで、昭和初期の香りがぷんぷんと残ります。入館料500円を払って、奥に進みますが、インテリアも昔のままでした。

2階から1階の順で回るわけですが、その曜変天目茶碗は2階にありました。やはり美しい!鮮やかさは静嘉堂文庫の方に軍配を挙げたくなりますが、曜変天目茶碗がもつ妖しい光に吸い込まれそうになります。いやー、すばらしい! 瑠璃色の輝きも、口縁に縁取られた銀の覆輪も、この茶碗の上品さに磨きをかけています。惚れました。

「名碗と水墨画」展も、充実していました。室町時代につくられた菊花天目茶碗や、初代の楽長次郎がつくった黒楽茶碗、白地にほんのりと赤みがさした美しい高麗ものの沓形茶碗などなど、どれも個性と魅力にあふれています。どれも工業規格品のような整った美しさではなく、どこかいびつで不規則で、そのいびつさが茶碗の魅力になっているのでした。もちろん、掛け軸もすばらしいのですが、自分はどうしても茶碗に目が行ってしまいました。

大阪にこんな素敵な美術館があるなら、もっと大切にされてほしいものだと思いました。あまりにも素朴です。でも、変に注目を集めて、わけのわからん人が大挙して押し掛けられるくらいなら、これくらいひっそりとしていてくれたほうが、いいかもしれません。内容がよくて、大満足でした!


このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

「旬祭」で春日大社をフル体験

2007/04/21
「今年は神社巡り!」と宣言していたら、春日大社の旬祭に毎月行っているという友人がいることが判明し、連れて行ってもらうことにしました。春日大社では、旬祭は月に3回(1日・11日・21日)行われ、1000円払えば誰でもその模様を見ることができるということです。中でも21日は宮司のお話が聞ける特別な日なのです。春日大社は1200年以上昔に創建された由緒ある神社で、奈良の中心街から歩ける距離にありながら、原生林の中にあって、神社ならではの清々しい空気に包まれたところです。その春日大社の神事に参列できるとは全く知らなかったので、非常に良い機会に恵まれました。

春日大社 本殿

旬祭が始まるのは午前10時ですが、9時45分には受付を済ませておいたほうが無難です。去年できたばかりという「感謝・共生の館」へ向かいました。手水で清めた後、受付で(初めてなので)住所と氏名を書き、事前に用意した新札で1000円を支払うと「直会(なおらい)券」がもらえます。直会とは、神事の最後に参加者一同で神饌をいただくことで、要するに、神社側が用意するお食事のことです。講堂の空いた席に券を置き、神官のアナウンスに従って本殿に向かいました。この日は21日が週末にかかったこともあって、150人くらいの参列者がいました。

旬祭は本殿正面の中門で行われます。参列者はその両脇の御廊に座って、その進行を見守ります。この御廊は板張りで、正座を続けるにはちょっと痛いです。用意のいい人は、ちゃんと下に敷く毛布を持ってきていました。また、御廊は屋根はあるもののオープンエア。夏は暑く、冬は寒そう・・・そんな軟弱なことを言っては信心が足りないと突っ込まれそう。ちなみに、この日は薄曇り、気温20度というベストコンディションでした。

余計なことを考える間もなく、宮司はじめ神官が中門に現れ、旬祭が始まりました。参列者一同で、二拝・二拍・一拝ののち、神官が4棟の本殿にそれぞれ神饌・御幣をお供えします。宮司の祝詞奏上につづいて、参列者一同は事前に配られた「大祓之詞」(おおはらいのことば)を唱和します。ひらがな一音一音をハッキリと読むように、との指導がありましたが、この大祓之詞が長くて、読み間違えずにハキハキと読み続けるのは結構難しいです。続いて、2名の巫女が神楽を奉納します。巫女さんは頭に藤の花の飾りをつけて、顔を縁取りするかのような化粧がユニークでした。御幣・神饌が撤去され、最後に二拝・二拍・一拝。所要時間1時間半くらいでした。

再び、先ほどの「感謝・共生の館」に戻ると、自分の席におかゆが置かれていました。

春日大社 直会

これが直会です。宮司夫人が摘んできたという、土筆の佃煮が入ってます。おかゆには桜の花が入っていて、季節感を感じさせます。

食前食後に感謝のことばを全員で唱和します。食後のことばだけメモしました。
「朝よいに もの食うごとに 豊受の 神の恵みを 思え世の人」
唱和したのち、参列者はみな両手を合わせていました。禅宗みたいな感じです。

食後は、宮司の信仰のお話です。春日大社の宮司は葉室頼昭さん。日本有数の形成外科医として活躍された後に、宮司に就任するというユニークな経歴の持ち主です。学生時代には肺結核で生死の境をさまよったこともあるそうです。話の内容は高度ですが、わかりやすくて、とても示唆に富んでいました。

******
先日、瀬戸内寂聴さんのドキュメンタリーを見て「自分と同じだな」と感じた。彼女は「仏様が私を導かれた」と言っていた。自分も同じ。よく「なぜ宮司になったのか」と聞かれるが、神様が自分を導いてくれた。でも誰も信じてくれない。瀬戸内さんは、仏法よりも体験談をよく話す。自分も同じ。その方がわかりやすい。理屈だけでは本当のことがわからない。瀬戸内さんと自分が違うのは、弟子がいること。後世に名を残すような人は、必ずそばに優秀な弟子がいる。自分も弟子が欲しいなあ。

温故知新とは、宇宙の仕組みを知ることである。何もないところから、ビッグバンが起きて、中間子→素粒子→原子→元素と進化していく。波動が結びつくとモノになる。人間と他の動物が違うところは何か? 神の世界を表現するために、人間が生み出された。そのために手と言葉がある。言葉は波動だ。人は150億年の歴史の上に立って存在しているのに、いまの世の中は「結果」しか伝えない。知りたいのは「経過」なのに、結果=理屈しか教えない。文化は、民族の言葉である。文化は結果ではなく、経過である。だから、今は文化が伝わらない。

そのうち、日本の人口は半分以下になる。人間はどん底までいかないとわからない。我が強いからね。神様は道を示すだけ。道から外れた人は助けない。人間に「アポトーシス」(管理・調節された細胞が自殺すること)が起きて、使わない細胞が消えるように、必要とされない人はこの世から消えるだけ。

元素の周期表では、鉄は26番目。一回目のビッグバンでは、この26番目の元素までしか生まれなかった。爆発を繰り返すことで、92番目のウラニウムまで生まれた。日本人は、昔から宇宙のことを知っていた。20年に一度の式年遷宮には、新たな爆発と同じ意味がある。

小柴さんの記事を読んだ。世界で初めてのニュートリノを彼が発見したのは定年退職の2ヶ月前。光の速さで17万年もかかる遠い宇宙の物質を、偶然見つけた。実験施設のスーパーカミオカンデは鉛と亜鉛の鉱山があったところで、小柴さんは鉱夫と一緒に施設に入っていく生活を続けていた。施設の稼働時間の長い週末に、ニュートリノが飛んできたのが見つかった。平日だったら見つからなかった。これこそ奇跡だ。奇跡は何もしないで起きることはない。努力し尽くして初めて幸運が訪れる。

人間と動物の違いは何か? 動物は自分のためにしか動かない。人間は自分以外の人の為に生きることができる。動物のように生きれば、ブラックホールが待っている。神様に必要とされる人間になってください。
******

こうやって読み返すと、文脈がつながっていないようで、つながってます。宮司さんの話しぶりは非常に独特。最初、断定的な物言いはどうかなと思いましたが、表情を見ているうちに、その奥にある温かさを感じました。

お話が終わった後、もう一度本殿に行ってみると、小笠原流による百手式(ももてしき)が行われるところでした。神前での弓道の儀式です。鮮やかな衣装と、春日大社の社殿が非常に合っていました。毎日放送の夕方のニュースで放送されてました。

春日大社 百手式2

春日大社 百手式

春日大社の一日体験、非常に中身が濃くて、充実しました。ガイドしてくれた友人に感謝です。

春日大社 回廊


このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る
  HOME  NEXT