「日本一の形勝」@広島・鞆の浦

2007/05/26
江戸時代、幕府で将軍が交代するたびに、朝鮮通信使が日本にやってきてましたが、その際に必ず訪れたのが鞆の浦です。瀬戸内海の中央に位置していて、潮の流れの分かれ目にあたるため、昔は潮の満ち引きをを待つ「潮待ちの町」として多くの渡航客が立ち寄った港町です。

鞆の浦2

この町から瀬戸内海を望む眺望は素晴らしく、朝鮮通信使は「日本一の形勝地」と絶賛していました。今でも古い町並みが残されていて、なつかしい雰囲気に満ちているといいます。370年前の漁法を今に伝える「鯛網」と、瀬戸内海で最も早い花火大会があるということで、行ってみました。

鞆の浦は福山駅からバスで30分のところにあります。今回、「バスチケットつき鯛網観覧券」を事前に購入していて、本来観覧券のみで3000円かかるのが、往復のバス代込みで3000円。バス代は片道530円なので、かなりお得です。

この日は、瀬戸内で最も早い花火「弁天島花火大会」が行われるということで、堤防には場所取りのビニールシートが所狭しと敷き詰められ、屋台の搬入の車がひっきりなしに走っていました。

鞆の浦1

☆町を散策
鯛網は午後1時30分〜なので、その前後に町を散策しました。まずは、沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)→安国寺とまわります。平安時代や南北朝時代に創建された寺社で、小さいながらも歴史と風格を感じます。

沼名前神社の能舞台@鞆の浦

釈迦堂@鞆の浦・安国寺

鞆の浦の良さを感じるのは、常夜燈から太田家住宅の一帯。細い路地に町家や蔵屋敷が並びます。通りに面した格子窓がいいですね。近くには、大正モダンの建物もあって、喫茶店になっていました。(もともとは、理髪店だったようです)

鞆の浦5
鞆の浦3

坂を上って医王寺から町を見下ろしてみました。なかなか素晴らしい景観です。雑誌で見た、美しい朝焼けの写真も、この場所から撮影されたようです。

鞆の浦4

ここでは、ボンネットバスがまだまだ現役です。町によく似合ってます。
鞆の浦6

☆鯛網(たいあみ)
いま、鞆の浦で力を入れている「観光鯛網」、370年前(江戸時代)の漁法をそのまま再現したものです。この鯛網が行われる期間が5月3日〜27日。つまり、この日は最後の週末ということで、団体客も多く、2隻に300人以上の観光客が乗船しました。

鯛網の乗り場は、鞆の浦から船で5分の仙酔島にあります。仙酔島は1周6kmの小さな島で、原生林が生い茂って、海水浴場があって、温泉があって、国民宿舎がある、というコンパクトで盛りだくさんな島です。ベージュ色の岩がとても特徴的です。
鞆の浦・仙酔島

乗船前に、樽太鼓にのせて、漁師たちが大漁節を歌い、乙姫が大漁祈願の舞を踊ります。
大漁祈願の舞@仙酔島

船に乗り込んだあと、まず向かうのは弁天島。ここでも乙姫と漁師たちが大漁祈願をします。
大漁祈願@弁天島

指揮船につづいて、2隻の親船が一団となって漁場へ向かいます。鳥羽一郎の「兄弟船」でも流したくなるような光景です。
鯛網1

あっという間に網が広げられ、しばらくすると漁師たちが掛け声にあわせて網を引き上げていきます。
鯛網2
鯛網3

親船同士が近づくと、多くの鯛が上がってました。近くまで行って、写真を撮ったり、とれた鯛を買ったりすることができます。「2枚で1000円!」と威勢のいい掛け声が飛んでいました。結構たくさん取れるもんだと驚いていたら、地元の人たちは「近くの工場ができる以前は、もっとたくさん魚がとれたんだ」と言っていました。
鯛網4


最後は、弁天島周辺をぐるっとまわります。暑すぎず、寒すぎず、非常に気持ちのいいクルージングでした。
鯛網5


☆対潮楼で弁天島花火大会を観賞
平安時代(950年)に建立された真言宗の寺院、福禅寺の本堂に隣接して、江戸時代に客殿として建てられました。瀬戸内海に向けて広く窓が取られていて、ここから眺める瀬戸内海の景色は素晴らしい! かつて朝鮮通信使が「日東第一形勝」(日本一の形勝!)と絶賛し、国の名勝に指定されたのがよくわかります。江戸時代は、位の高い人間だけが入れる場所だったということです。

「日本一の形勝」

午後5時までの見学時間にギリギリ間に合うように駆け込んだら、入口で「花火を見るなら300円ですよ」と言われました。ここで花火を見られるとは知らなかったもので、その場で代金を支払い、最前列で場所取りをしました。まさにベストポジション!これはツイてる!

対潮楼@鞆の浦

花火は午後7時45分〜午後8時30分。花火は弁天島から打ち上げられます。10章構成でテンポが良く、飽きの来ない展開。写真には撮れませんでしたが、水面に投網のように広がった後で大きく爆発する花火が印象に残りました。

弁天島花火大会1
弁天島花火大会2

福山への帰り道は一本道で非常に渋滞する、ということで、花火が終わるや、ダッシュでバス乗り場へ。結構歩きました。会場から1kmはあったんじゃないでしょうか? なんとか大阪に戻ることができました。

鞆の浦は、のどかで懐かしくて暖かくて、文化の香りのするところが、非常に良かったです。町の大きさも、半日で充分に歩いて回れます。尾道から観光船で来てもいいかもしれません。瀬戸内海の美しい景色とともに楽しめました。


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モダンな日本庭園@京都・重森三玲庭園美術館

2007/05/20
京都大学の裏、吉田神社の近くに予約しないと見学できない庭があります。昭和の作庭家、重森三玲邸の庭園美術館です。最近、この庭園はシャープの液晶テレビ「AQUOS」のコマーシャルに登場して、注目を集めました。今回、5日前にメールで予約しました。

ホームページの地図を元に行ってみましたが、入口がわからずに迷ってしまい、予約していた午後3時に少し遅れました。中に入ると、すでに説明が始まっていました。書院+庭園の見学料は600円。茶室見学料を合わせると1000円でした。せっかくの機会なので、後者を選択しました。遅れてきたのに、再度最初から説明をしていただきました。感謝!

重森三玲は、画家を志して上京したものの、ライバルの才能に意気消沈。関東大震災で一旦、故郷(岡山)に戻ってしまいます。その後、京都に移り、いけばなの研究を主に、庭園史の研究をしていましたが、1934年の室戸台風で破壊された庭を修復するため、全国300ヶ所の庭を測る機会を得ました。おそらく、これが彼の人生にとって大きな財産になったことでしょう。東福寺で造園の機会を得て、作庭家としての地位を築きます。徒弟制度の厳しい時代に、このような経緯で作庭家になるというのは、非常に珍しいことではないかと思われます。ちなみに、「三玲」は芸名で、フランスの画家・ミレーにちなんで名づけられたそうです。

重森三玲庭園美術館3

さて、肝心の庭ですが、書院の前に広がっています。大きな石組と鮮やかな苔、曲線の多い砂紋と、全体的にはモダンな印象の残る庭です。重森三玲らしい、起伏の豊かな構成です。書院から眺めることで、額縁庭園にも見えます。作庭の際、大きな石はクレーンで吊り上げて塀を越したそうです。

重森三玲庭園美術館1

庭園は、中国の風光明媚な土地をイメージしたものであったり、極楽浄土の再現であったり、禅の修行の地を表現していたりするわけですが、この庭園に関しては、何をイメージしていたのでしょうか? 

重森三玲庭園美術館2

書院は1789年に建てられたもので、この界隈で唯一、社家建築の様式を今に残しています。立派な格天井と、アメリカの彫刻家、イサム・ノグチから贈られたぼんぼりのような照明が印象に残りました。

茶室・好刻庵は、1969年につくられたものです。こちらは、桂離宮の市松模様の襖、曼殊院の釘隠しなどなど、各地の建築の「いいとこ取り」になっています。下品な羅列に陥らないのが、重森三玲のコーディネート能力の高さを物語っています。

重森三玲庭園美術館4

予約しないと行けないのが残念ですが、庭の景観を守るためには仕方ない措置なのかもしれません。モダンな日本庭園を見るなら、オススメです!


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世紀の「再会」:若冲展@京都・相国寺承天閣美術館

2007/05/18
去年秋、京都で行われた「プライス・コレクション」展を見て以来、伊藤若冲や長沢芦雪、琳派など、江戸時代の日本画の美しさに魅力を感じてきました。

プライス・コレクション1

この春、相国寺で若冲の最高傑作を集めた展覧会が行われる、という話を聞き、是非行ってみたいと思いました。折りしも、その展覧会のプレオープンに行った方の話を聞いて、その思いを強くしました。

その話とは、
・相国寺の有馬管長が、25年前に承天閣美術館を建てる際に、この展覧会のために展示室を設計した。実際に見てみたら、33幅の掛け軸がびっしりときれいにかかっていて、それはそれは壮観だった。
・若冲絶頂期の作品で、とにかく見えないところにまで細かく線が入っている
・現在の若冲ブームで、休日には観覧希望者が殺到し、主催者の予想では最長で5時間待ちという事態も予想される

ということでした。これだけ面白そうな前口上があったら、行かないわけにはいきません。

もう一点。この展覧会の意義について、最も的確に表現されていたのが、パンフレットの案内文でした。
『古画の「釈迦如来像」と「文殊・普賢菩薩像」の3輻と、様々な動植物が極彩色で描かれた「動植綵絵」は、壮年の若冲が10年間を費やして描きあげ、亡き家族と自分自身の永代供養を願って相国寺に寄進した作品です。若沖の最高傑作として名高いこの作品は、明治時代に「動植綵絵」が皇室へ献納されて以来、全てが一度に展示されたことはありません』
『この展覧会は、相国寺を開いた足利義満の没後600年を記念して「動植綵絵」全幅を宮内庁三の丸尚蔵館から拝借し、「釈迦三尊像」と、そして相国寺とのおよそ120年ぶりの「再会」が実現するものです』

若冲展のポスター


若冲のことを全く知らない上司の冷たい視線を振り切って、平日の午前中に半休を取って行くことにしました。そのおかげで、当日券売り場も、入場口も、特に並ばずにスムーズに入れました。とはいうものの展示ガラスの前は人でびっしりでした。

若冲展のチケット半券

第一展示室は相国寺と若冲の関わりを示す展示が、第二展示室には釈迦三尊像と動植綵絵が展示されてました。なんと言っても、圧巻は第二展示室です。部屋に入った瞬間から、圧倒されました。3輻の釈迦三尊像を中心に、30幅の動植綵絵が半々で脇をしっかりと固めてます。

動植綵絵は鮮やかで立体的な色彩とリアルなようで大胆な構図。若冲得意の鶏や鶴、梅や雪がこれでもかと描かれてます。動物の姿勢が非常にユニークで、体の向きと首の向きがストレートになっていることのほうが珍しいのです。例えば、胴体は左に向いて立っているのに、顔は右を向いている感じ。さらに、鳳凰の羽の先にハートが入っていたり、雀の群れの中に、1羽だけ真っ白な雀がいたり、とユニークなディテールを発見するのが楽しいです。また、33幅の中には、ジョー・プライス氏が感動のあまり、男泣きしたという「菊花流水図」もありました。

対称的に、釈迦三尊像は、仏画の描き方で描かれているために、色彩はマットで均一になっています。顔は無表情。でも、自在に滑らかな曲線と、しっかり描きこまれたディテールに若冲らしさを感じます。

素晴らしいのは、その完成された計33幅の絵が、展示室の広さ、高さぴったりに収まっていることです。その壮観なこと。相国寺の管長の思いを想像するだけで、胸がいっぱいになってきました。

もちろん、No Reasonで図録を購入。2500円でしたが、内容も充実していました。
かなりの満足を感じながらも、午後出社に間に合わせるために最後はダッシュ。結局、2日後(日曜日)に再訪しました。事前に券を購入し、開館前に行くと、それほど待たずに入れました。これは美術ファンならずとも、必見の展覧会。関西にいて良かったと、しみじみ感じました。


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パワースポットめぐり@出雲

2007/05/14
出雲大社参拝にあわせて、周囲の個性的な神社やパワースポットと呼ばれる場所にも足を運んでみました。

☆神魂神社(かもすじんじゃ)
この神社は、現存する大社造の建築としては最古のもので、国宝に指定されています。1074年に建てられたのだそうです。「神魂」と書いて、「かもす」と呼ぶのが不思議です。たぶん、「神のいる場所」=「神、います」がだんだん略されてそうなったのかな?

神魂神社・鳥居

神社は緑豊かで静かな丘の上にあります。坂の下の鳥居をくぐって、急な石段を上がると、いきなり拝殿が現れます。訪れたのが月曜の朝だったためか、がらんとして人っ子一人いません。

神魂神社・本殿

拝殿の太い注連縄の下でお参りをしたあと、本殿を横から見ようと回り込んだら、その屋根の大きさと迫力にびっくり! これぞまさに大社造です。拝殿を正面から見た時には、拝殿の屋根に隠れる形で見えなかった本殿が「どうだ!」とばかりに圧倒的な存在感で迫ってきました。古くて大きな社殿は、高い樹木におおわれ、しんとした厳かな空気に包まれていました。思わず背筋が伸びる場所です。

☆八重垣神社
神魂神社から約2kmの近さにあります。境内の佐久佐女の森は、スサノオノミコトが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する際に、クシナダヒメを避難させた場所だと言われています。この地は、スサノオノミコトとクシナダヒメが新婚生活を始めた場所でもあって、彼らはこの神社の主祭神とされています。

八重垣神社・拝殿

かつて本殿には、スサノオノミコトとクシナダヒメを含む6人の神を描いた壁画がありました。今は、本殿の近くの収蔵庫で展示されています。社務所で拝観料を払うと、見学できます。これが結構カラフルで鮮やかな描写でした。

八重垣神社・夫婦椿

境内には、地面から2本の木が出て地上で1本につながる、「夫婦椿」が3本あります。これこそ「ご神徳」の現れだとして、大切にされています。

八重垣神社・鏡の池

この神社の脇の佐久佐女の森には「鏡の池」があります。ここに占いの紙を浮かべ、その上に10円玉か100円玉を置きます。15分以内に沈めば願いがすぐにかなうと言われます。それ以上かかると、願いはしばらくたってからかなうということです。自分の場合はどうだったか? ほぼ同じ時間に紙を浮かべた参拝客3人をさしおいて、なんと3分で沈んでくれました! これはうれしかったなあ。というか、願いがかなうことの方がはるかに大切ですが...

八重垣神社・占い


☆稲佐の浜
出雲大社の西側にあり、大国主命が国譲りの談判を行った場所でもあります。古代では「死の国」に最も近い場所だと考えられていました。秋、神在祭の季節には「神迎えの神事」が行われ、八百万の神はここに上陸した後、出雲大社へと向かうとされています。実際に行ってみると、繊細な砂のビーチになっていて、その一角にこんもりと小島があります。小島には鳥居とお社があって、この地がパワースポットであることを感じさせてくれました。

稲佐の浜


☆須佐神社
スサノオノミコトが亡くなった場所として、知られています。あるいは「日本一のパワースポット」という人もいます。

須佐神社

とにかく印象に残ったのは、大社造の本殿の裏に立つ、樹齢1000年以上という松。周囲7m、高さ24mあまり。その松の太い根に触れると、しっとりと暖かい。松の生命力を感じました。
須佐神社・樹齢1000年超の大松


☆龍頭の滝
出雲に向かう道の途中で看板を見つけ、立ち寄りました。「日本の滝100選」に選ばれているということですが、誰一人いません。深い松林を分け入って登ると、立派な雄滝がありました。

竜頭の滝1

滝の後ろに回りこめるので、行ってみました。なかなか見たことのないアングルです。緑の香りと、ひんやりと湿った空気が、体に染み入るように感じました。こっちのほうがパワースポットのように思えてきました。気持ちよかった!

竜頭の滝2

あまり「パワー」をひしひしと感じるほど繊細ではないのですが、豊かな自然に囲まれたときに感じる安らぎのようなものを感じました。これは都会生活ではなかなか味わえないものです。神社がパワースポットとされるのは、豊かな自然を味方につけているからだと再認識しました。


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縁結びの神様と3つのナゾ@島根・出雲大社

2007/05/14
出会いの神様の本家本元、出雲大社で、自分の誕生日に、年に一度のお祭りが行われる…この巡りあわせは神様の思し召し? と、前向きに解釈して、有給休暇を取って行くことにしました。出雲大社には一度行ってみたいと思っていたので、ちょうどいい機会でした。

出雲大社1

5月14日、出雲大社では天皇陛下の勅使を迎えて例祭が行われます。例祭は出雲大社で最も重要な祭典のひとつ。神職たちは一年に一度、例祭にしか着ない正服(せいふく)に身を包み、祭事を行います。とは言うものの、一般の人間は祭典に参加することはできず、本殿の外から見つめるのみです。ということで、残念ながら例祭を拝見することはできませんでしたので、きちんとお参りをすることに。

出雲大社:銅の鳥居と拝殿

銅の鳥居をくぐって、拝殿に向かいます。近くのツアーガイドの説明によると、この鳥居をなでると、一生お金に困らないといういわれがあるそうです。「ホンマかいな?」と思いながらも、先立つ欲望には勝てず、なでなでしてしまいました。

出雲大社には、普通の神社と異なる三つの特徴があります。
1)巨大な注連縄
銅の鳥居をくぐって、拝殿に向かうと、軒下の注連縄の大きさに驚きます。幅8m、太さ4m、重さ1.5トンはあるそうです。隣の神楽殿に行くと、注連縄はさらに大きくなります。幅13m、胴回り8m、重さ3トンにものぼります。

出雲大社の注連縄が不思議なのは、その大きさだけではなく、縄の向きが普通の神社と左右反対につけられていること。普通は向かって右側が上手(かみて)にあたるはずですが、出雲では上下が逆です。その起源や理由はわかりませんでした。昔から「そういうものだ」ということで伝えられてきているとか...


2)拍手(かしわで)は4回
普通、神社での参拝は2礼・2拍・1礼が基本ですが、出雲大社の場合は、4拍になります。その理由について、「幸せのシ=4」説や、出雲が「死(=4)の国」に最も近いため、祭神の大国主命(オオクニヌシノミコト)を丁重に祀るために4度打つ、という説などがあります。どれが正しいのか、よくわかりませんが、とりあえず、4拍してお参りします。4回もたたくと、念入りに願い事をしているように感じます。

出雲大社・本殿

3)そっぽを向く神様
実際に本殿内部を見ることはできませんが、図面が公開されていて、不思議なことに祭神の大国主命は正面ではなく左側(西)を向いています。古事記では、出雲大社の西には日本海があって、その先には「常世の国」(死の国)があったと考えられています。

大国主命

ではなぜ、西を向いているのか?「逆説の日本史」(井沢元彦・著)によると、大国主命は自らつくりあげた国をアマテラスの子孫に心ならずも譲らねばならず、激しい怨念を抱いて死んでいったのではないか。大国主命をガードするかのように、アマテラス系の「御客座五神」が南を向いています。つまり、大国主命の怨念を鎮めながら、アマテラス系の神に礼拝させるための絶妙な配置になっていると考えられるといいます。

出雲の国を譲った大国主命は「幽事」(かくりごと)の支配者となります。人間の運命や縁結びは、幽事の領分とされます。大国主命を主神とする出雲大社に、縁結びのご利益があると言われる理由は、ここにあるわけです。

そんな背景を「予習」してきたものの、せっかく出雲までお参りにきたわけですから、やはり神様と相対してお祈りをしたいものです。本殿正面から反時計回りにぐるっと回り込むことにしました。

出雲大社:十九社

本殿の両脇には、秋(陰暦10月11日?17日)に神様が住まうという十九社があります。木造のアパートのようです。ちなみに、この時期のことを、地元では「おいみさん」と言って、派手なことをほとんど行わないのだそうです。神様のいる間は、慎んだ行動をとろうという地元の人たちの了解があるのでしょう。

出雲大社2

ふと本殿の方向に振り返ると、正面からは見えなかった本殿の巨大さに気づきました。実に野太くて力強い。かつて、芸術家の岡本太郎が、その姿を見て「この野蛮の凄み、迫力、おそらく日本建築美の最高表現である」と絶賛したそうです。白木でさっぱりとした伊勢神宮とは対照的です。この出雲大社の社殿の構成は大社造と言われますが、その奥行きの深さには驚きました。

出雲大社3(本殿)

本殿の真裏に来ると、本殿の大きさがさらにわかります。近くには、スサノオノミコトを祀った素鵞社(すがのやしろ)があります。出雲は、高天原から追放されたスサノオノミコトが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して、クシナダヒメと結婚した地です。こういうお社を拝見すると、出雲に来た実感がわいてきます。背後にうっそうとした山林があって、ここがパワースポットだという人もいるそうです。

そして、本殿の西側、大国主命の正面からもお参りしました。本殿は、例祭の最中で、神官らが神饌を片づけているように見えました。

出雲大社4

丁寧にお参りをした後で、今年開館したばかりの古代出雲歴史博物館に行きました。ここには、かつて出雲大社が高さ96mの、日本一の巨大建築物だったことの証拠となるような巨大な柱(宇豆柱)の一部だけでなく、国宝の銅剣や銅鐸など、出雲に残された古代の品々が展示されていました。古事記や日本書紀をベースにした出雲の歴史についてのビデオもありました。とにかく広いので、丁寧に見ていると、この博物館だけで1日たってしまいそう。

出雲そば

帰る前に、門前で出雲そばをいただきました。薬味とつゆを3枚の器に小分けされたそばにぶっかけて食べます。ちょっと食べ方が意外でしたが、とてもおいしかった!

出雲大社5

出雲大社には、他の神社には見られない独自の歴史と慣習があります。そのルーツをさぐることは、日本の起源を探るようなもので面白いです。現場に行くと、その神秘さが伝わってくるような気がしました。


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