浦和レッズとACミランの違い@FIFAクラブW杯:横浜

2007/12/19
サッカーの世界クラブ選手権、決勝戦と3位決定戦の2試合が続けて行われました。ACミラン対ボカ・ジュニアーズのガチンコ対決に加えて、日本で最も人気のある浦和レッズが参戦するということで、2試合とも満席。貴重でユニークなダブルヘッダーを見に行くことができました。そこで見たのは、日本のチャンピオンと世界チャンピオンの間に横たわる、容易には越えがたい「壁」でした。

クラブW杯2007:3位決定戦キックオフ

席は西ゾーンの2階席の24列と上のほう。席の幅が広く、前の列との高低差もあって、非常に見やすかったです。全体のフォーメーションを見るには非常に良い席でした。

以下、決勝戦と3位決定戦を見ての感想を箇条書きで記します。

★3位決定戦:浦和レッズvsエトワール・サヘル
・結果は2対2でしたが、試合自体は単調に見えました。
・数的有利が作り出せるわけでなく、決定的なパスが出るでもなく、圧倒的な個人技で抜き去っていくわけでもないため、ハラハラ感を感じませんでした。
・個人のボールキープ力が今ひとつでした。2〜3人に囲まれると、あっという間に取られてしまいます。
・レッズは選手交代がないため、こう着状態になった試合をどう打開するかが、見ているほうからわかりにくいように感じました。案の定、結果はドローでPK戦にもつれこんでしまいました。

FIFAクラブW杯2007:3位決定戦PK

・その保守的な試合運びは、2ゴールを挙げたワシントン選手が監督批判をしながら離日したのがうなずけるような内容でした。

FIFAクラブW杯2007:3位決定戦結果

・レッズサポーターの応援は素晴らしかったです。この声援で動かない選手は、どのチームに行ってもダメではないかと思えるほどです。

浦和レッズのサポーター


FIFAクラブW杯2007:決勝前座イベント

★ACミランvsボカ・ジュニアーズ
FIFAクラブW杯2007:決勝

・パスが速く、トラップの精度が高い。糸で引くようなパスが出ていました。
・0対0でも緊張感を感じました。というのも、あと少しパスが通れば決定的なチャンスになるというところにパスを出そうとしているのがわかります。それが紙一重でカットされて通らない。そういう緊張感によって、目が離せない展開になるのです。

FIFAクラブW杯2007:決勝キックオフ

・ボールを持った選手が2人〜3人のディフェンダ−に囲まれても、ボールキープを続けられました。選手個人の局面打開力が高く、戦術もそれをベースに組まれていました。

・結局、4-2でACミランが勝ちました。
FIFAクラブW杯2007:決勝結果

・中でも。MVPに選ばれたカカの実力は群を抜いていました。ステップが細かくて、しかも走るスピードが速い。ボールキープ力も高いので、ペナルティエリアに入ると、ディフェンダーが2〜3人で囲まないとシュートに持ち込まれてしまいます。しかし、逆に周囲にパスを出されると、それで決定的なチャンスを迎えました。準決勝で戦った浦和レッズはこのパターンで点を取られました。ボカ・ジュニアーズの3点目の失点は、カバーが少なくてカカの個人技にやられていました。4点目の失点は、準決勝のレッズの失点と似たパターンです。

FIFAクラブW杯2007:決勝 ボカ側スタンド

・ボカ・ジュニアーズのサポーターも非常に熱のある応援ぶりでした。本当に地球の反対側から来たのかな?両手をテンポ良く挙げるところなど、ドイツでアルゼンチン戦を見たときの雰囲気と同じ。南米らしい熱さを感じました。

FIFAクラブW杯2007:決勝 ボカ側スタンド2

やはり、決勝戦と3位決定戦のレベルの違いを痛感しました。個人の高い能力をベースとした戦術、見ごたえがありました。ブラジルではボールを持ったときの体の動きを「ジンガ」と呼ぶのだそうです。重心を落として、体を揺さぶる動きのことです。サッカー少年のポテンシャルは、足の速さでも、キックのうまさでもなく、「ジンガ」の良し悪しで判断されます。カカの動きを見て、他のボカ・ジュニアーズの選手と比べても圧倒的な「ジンガ」の良さを感じた観客は多かったのではないかと思います。

FIFAクラブW杯2007:決勝 ミランのセレモニー

この大会は、サッカーの本場、ヨーロッパや南米から離れているため、ファンやメディアの視線の厳しさが和らぎ、ともすればコンフェデレーションズ・カップのようなエキシビションマッチのようになってしまう可能性があります。

この大会が日本で行われることは、とても貴重で、すばらしいことだと思います。が、「本物のガチンコ世界一決定戦」を見るには、日本のサッカーファンがサッカーを見る目を肥やし、大会を盛り上げ、選手に緊張感を与えていかなくてはいけない、と思いました。その意味で、レッズが3位に入ったことは素晴らしいことです。Jリーグのチームが毎年アジアチャンピオンになって大会に出場しつづけ、ACミランが社交辞令ではなく本気で「やばい」と思えるサッカーができるようになってもらいたいものです。

それにしても、16時から5時間30分、体の芯から冷えました...

FIFAクラブW杯2007:決勝 セレモニー


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抹茶挽き初体験@宇治・中村藤吉本店

2007/12/09
コーヒー好きが家でコーヒー豆を挽くように、お抹茶好きがお茶を挽くことはできないものか...と思っていたら、そういうレアな機会が訪れました。場所はお茶の本場、宇治の老舗、中村藤吉本店です。今回は、社員の方にご案内いただいて、特別に体験させていただくことができました。

中村藤吉本店

中村藤吉本店はJR宇治駅から歩いて3分ほどのところにあります。漢数字の十を丸で囲った屋号がピッタリとはまります。

早速、店内の奥座敷に通されると、抹茶挽きの道具(石臼)がありました。地元の「宇治石」でできているそうです。もう今は宇治石が取れないので、新しい石臼がつくられることはありません。もっとも、今は電動で挽いているそうですが...

抹茶挽きの石臼

円形の中心にふわっと碾茶(てんちゃ)を乗せて、反時計回りにゴリゴリと回していきます。碾茶は中心の穴に少しずつ落ちてきて、石臼にすりつぶされ、細かい抹茶になって外側に押し出されてきます。分解してみると、このようになっています。

抹茶挽きの石臼分解

単純な作業ですが、実際にやってみると、これが結構重たいのです。慣れてくるとスムーズに回りますが、それも束の間のことで、二の腕がずしりと重くなってきます。速く回しても粗く挽けてしまうし、遅いと鮮度がなくなってしまいます。しばらくすると、挽きたてのお抹茶の新鮮でさわやかな香りがしてきました。昔のお茶人は、こうやってお抹茶ができあがるまでのプロセスをじっくりと楽しんでいたのかもしれません。

お座敷の隣には、300年前のお茶室があって、そこでお濃茶とお薄をいただくことができました。このときにはすっかり昔にタイムスリップです。苦みが心地よく、背筋がしゃんと伸びます。

眺めの良い平等院支店に場所を移して、スイーツで締めくくり。オススメの「抹茶ぜりい」をいただきました。ゼリーは濃茶をゼラチン化したような感じでちっとも甘くないのですが、粒あんと抹茶アイスの甘みで、口の中で上品に溶け合いました。

抹茶ぜりい



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美しき明治の数寄屋建築@京都・廣誠院

2007/12/01
明治から昭和初期にかけての数寄屋建築は、古風なだけでなく、ちょっとモダン。基本をふまえていながら、ちょっとした意匠がシャレていて、見ていてとても面白いのです。吉田山荘や四君子苑など、わずかながら京都市内で見ることができます。この日は伝統未来塾の授業で、普段は入ることのできない明治の名建築「廣誠院」を見学することができました。日本の茶室研究の第一人者、中村昌生先生の解説つきです。

廣誠院外観

廣誠院は、木屋町二条下がる、高瀬川沿いにひっそりとありました。通常は非公開なので、看板もありません。近くには高瀬川の起点、一之船入があります。

高瀬川・一之船入

現在、廣誠院は臨済宗の寺ですが、もともとは鹿児島の門閥から官僚・軍人を経て実業家として活躍した伊集院兼常(いじゅういん・かねつね)の屋敷でした。伊集院兼常は裏千家の茶を嗜み、建築や造園にも優れた審美眼を発揮して「近世の(小堀)遠州公」と呼ばれたそうです。この建物は明治25年(1892年)頃にできたもので、彼にとって13軒目の住宅だったとか。それだけ経験を積んでいれば、洗練された建物ができそうですよね...

廣誠院の土間庇

まず目に飛び込んでくるのは、長い土間庇です。3m以上も出ています。しかも、その庇を支えるのが、実に細い丸太なのです。見ているこっちが不安になるほどの細さですが、それが全体に軽やかな印象を与えているのです。

廣誠院の庭1

軒下には見事な紅葉が広がります。日本の住宅の大きな特徴は「庭屋一列」といって、庭と住宅が一体となって空間をつくっているのが良いとされることです。屋根の中に自然があるように見えます。

廣誠院の庭2

室内に目を転じると、床柱がしぼり丸太で数寄屋風。書院でも格式ばった角柱ではないところが江戸時代と違うところです。小壁の欄間も、普通は左右に分かれるのに、ここでは一枚板の透かし彫りと、新しい試みがなされています。

廣誠院書院欄間

和室は照明が難しいのですが、このように実にモダンな工夫がされてます。

廣誠院書院の照明

茶室も宙づりになったような軽やかさ。人数制限5人までの見学です。円窓から外を眺めると、船に乗っているような気分になりました。裏千家12代又妙斎(ゆうみょうさい)の作です。

廣誠院の茶室

廣誠院の茶室の円窓

表に出て、庭から建物を眺めます。眼下の池は、高瀬川から水をひいています。細長い石橋が絶妙です。

廣誠院の庭と建物

最後に、中村先生のお話で印象に残ったメモの抜粋です。
・明治から昭和にかけては大工の技術が発展した時代です。この時代の数寄屋の名建築は、電動工具に慣れた今の大工では建てられません。もし技術があったとしても、建ぺい率や耐震、防災上の規制などで難しいのです。戦後、何千万円出しても買えないような材料が使われた建築が古いというだけで無惨にも壊されてきましたが、近年、ようやく文化庁がその価値に注目し始めました。

・名建築は、教養豊かな富豪が、建築家を介在させず、職人と直接コミュニケーションしながら建てたケースが多いですね。南禅寺界隈にも名棟梁・北村捨次郎が関わった別荘などがあります。

廣誠院の庭3

「普請道楽」の結晶は素晴らしい! 知性と資本の融合が形になって現れています。これが現代の建築技術ではつくることができないなんて、実に残念です。戦後、ニッポンの建築界はゼネコンばかりが栄えて、技術を引き継ぐことを忘れてしまったのでしょうか。経済合理性の末に文化が廃れるなんて、現代ニッポンの問題そのもののように感じます。

*廣誠院は事前に封書で申し込んで認められれば参観可能だそうです。


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