ニッポンの宝物を鑑賞@京都&奈良

2008/10/26
肌寒さを感じはじめたこの日、天気はあいにくの雨...こんな日は美術館や博物館に行くのが一番です。京都国立博物館で開かれている「蒔絵展」と、奈良国立博物館で開かれる恒例の「正倉院展」のダブルヘッダーを慣行しました。いずれも、日本の宝物と呼ぶにふさわしい品々が並んでいました。

1)「蒔絵展」@京都国立博物館
蒔絵とは、漆の樹液と金属粉で文様を表現する工芸技法です。大陸に由来し、日本に伝わったのは平安時代です。大きく発達したのは、豪華絢爛な桃山時代のこと。以降、江戸時代から明治時代にかけて需要が伸びたことで、さらに技術が発達し、日本から海外に献上する最も貴重な贈り物になりました。

中国がCHINAと呼ばれるようになったのは、陶器の美しさが評判を呼んだためです。同じように、日本がJAPANと呼ばれるようになったのは、蒔絵の美しさがヨーロッパに認められたため。その美しい蒔絵の入った漆器の代表的な作品が勢揃いしたのが、この展覧会です。普段は蒔絵と縁のない生活をしていますが、京都のある美術館の館長さんがオススメされていたこともあって、行って見ることにしました。

蒔絵展@京都国立博物館


そんな評判の良い展覧会なら、さぞかし混んでいるだろうと戦々恐々としていたら、それほどでもありません。去年の狩野永徳展のフィーバーぶりを考えると、大変な違いです。ところが、これは見に行く人間にとってはツイていると考えた方がいいでしょう。

入ってみるとすぐわかりますが、展示品のラインナップが、質量ともに充実しているのです。日本最古、平安時代の国宝の蒔絵から、桃山時代、秀吉とねねが育てた高台寺蒔絵、江戸の鎖国時代に、オランダとの交易などから、ヨーロッパの上流階級に渡った蒔絵まで揃っています。

ハプスブルク家最後の皇女、マリア・テレジアは「私はね、ダイヤよりも蒔絵よ」と言ったくらいに、蒔絵を好んだそうです。およそ50点のコレクションは、末娘のマリー・アントワネットに引き継がれます。あのヴェルサイユ宮殿の黄金の間は、蒔絵の合う空間にしたい、という思いからつくられたというのです。蒔絵はフランスやドイツ、北欧の王室に広まります。これらの品々の多くが、今回の展覧会のために修復され、一同に介して展示されるのです。

どれも素晴らしいものばかりですが、中でも印象に残った作品は、
・パリ万博以来の展示となる、蒔絵の「おまる」(仏・ヴェルサイユ宮殿美術館)
・日本国外に献上された蒔絵の三大傑作「ファン・ディーメンの箱」「マザラン公爵家の櫃」(後者は、この展覧会のために4年かけて修復したそうです)
・マリー・アントワネットが好んだという、芝を束ねた形の「黒主蒔絵香合」

江戸時代に、海外で取引された蒔絵は、特に海外向けに作られたものではなく、通常の日本のマーケットで販売されていたのだそうです。ということは、江戸時代の蒔絵市場がいかに充実していたかがよくわかりますね。見応えがあって、歴史もよくわかる展覧会でした。


2)第60回正倉院展@奈良国立博物館
こちらは、奈良時代に、日本にやってきた、あるいは当時の技術でつくられた宝物の展示です。正倉院展はファンがとても多く、デイタイムに行くよりも、開館直後か閉館間際に行く方が、待ち時間も少なく、スムーズに見学できます。ということで、今年も閉館1時間半前に発売される「オータムレイトチケット」を利用して、通常料金の3割引で入ることにしました。期待通り、長蛇の列の後ろにつくことはありませんでした。

こちらで印象に残った品は、
・白瑠璃碗(ササン朝ペルシアから伝わったガラスの品。透明感を保っていることがスゴい!)
・人面型のヤシの実。ヤシの実の真ん中に大きな穴を口に見立てて、周囲に目と鼻が描かれています。

この展覧会のすごいところは、「国宝」とか「重要文化財」がなく、そのすべてが国宝級の貴重なコレクションになっていることです。これが後々の日本にどういう影響を与えたのかを考えるのも面白いですね。


奈良時代のお宝と、桃山時代以降のお宝。こういった品々を見ると、日本の伝統工芸の細やかさ、出来上がる品の質の高さを実感します。日本人のものづくり魂をひしひしと感じる、よいダブルヘッダーでした。
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だんじりガチンコ対決(後)@岡山・久世(くせ)祭り

2008/10/25
重さおよそ3トンのだんじりを激しくぶつけ合う、久世祭りの「だんじり喧嘩」。この日は午後7時30分から、久世の商店街の中心にある「三村呉服店」前の広い道路を会場にして始まります。午後7時10分頃に会場に着くと、臨時に設けられた立ち席はすでに一杯。だんじりがぶつかり合う場所には規制線が張られていますが、その周辺も見物客で一杯で、熱気に満ちていました。

久世祭りが始まったのは、元禄4年(1691年)、つまり江戸時代です。御神輿を担ぎながらぶつけ合うのが伝統でしたが、現在のような舟形のだんじりになったのは、大正時代中期だということです。

午後7時30分、ほぼ時間通りに、道の両脇を上下(かみしも)に分けて、それぞれから一台ずつだんじりが登場して喧嘩が始まります。だんじりに乗った男たちが、押し手に「行けー!」と威勢よく指示をすると、すごい勢いでだんじりが中心に向けて突進していきます。

久世祭り:だんじり喧嘩7


ドン!という衝突音とともに、見物客からはどよめきが、だんじりに乗っている男たちからは歓声が上がります。2台の衝突の激しさと双方のパワーバランスがとれていると、良い「喧嘩」ができているように見えました。

久世祭り:だんじり喧嘩2


大きな衝突の後、だんじりが少し引き下がって、中衝突、小衝突を繰り返します。小衝突では、「せーの!」「ドン!」「せーの!」「ドン!」と、呼吸の合う餅つきのように調子がでるときもあります。テニスのように長い衝突のラリーが続くと、男たちは恍惚とした表情を浮かべていました。

久世祭り:だんじり喧嘩3


久世祭り:だんじり喧嘩4


喧嘩は一組13分間。上4台、下5台が交替で出てきます。同じ組み合わせが2回対戦することはアンコール(というのが最後にありました)以外でありませんでした。だんじりには半鐘と太鼓のお囃子が乗っていて、耳が痛くなるほどの音量で調子を合わせます。喧嘩直前、だんじりの勢いがつくと同時に、お囃子のスピードも上がります。すると、会場のボルテージも上がるのです。

久世祭り:だんじり喧嘩5


だんじりは周辺を流れる旭川の交通手段であった高瀬舟を模してつくられています。そのため、衝突部分は舟形に尖っています、へさきの長い方を後ろにして、短くて先端が尖っていない部分同士をぶつけ合うのです。

久世祭り:だんじりの衝突部


舟の先端同士がぶつかれば、バランスが悪くなります。このために、多くの人間がだんじりのコントロールにあたります。中でも重要な役割が、だんじりを後ろでコントロールする「てぎ師」です。だんじりは衝突後、大きく向きを変えられてしまうことがあります(観客が巻き込まれる場面も)が、「てぎ師」はそれを抑える役割をも担っています。

久世祭り:「てぎ師」


久世祭り:「てぎ師」2


衝突部分は、常に多くの若者が取り囲んでいて、全く見えませんでした。この人たちのことを「とっさき」と呼び、常に危険と隣り合わせにいることから、祭りの一番の花形なのだそうです。

久世祭り:だんじり喧嘩6


この喧嘩、今は勝ち負けがなく、制限時間いっぱいまで、ぶつけ合われます。勝敗、すなわち競技性がないので、喧嘩の終盤のテンションが少し下がっていました。それでも、他の地域には見られない、だんじりの激しい衝突と、耳をつんざくような鐘の音が響きわたり、情緒たっぷりのお祭りでした。

久世祭り:だんじり喧嘩1


この日、夜10時過ぎの気温は13度。すっかりカラダが冷え込みました。
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だんじりガチンコ対決(前)@岡山・久世(くせ)祭り

2008/10/25
重さおよそ3トンのだんじりを激しくぶつけ合う、勇壮な「だんじり喧嘩」が、毎年10月下旬に岡山県真庭市の久世祭りで行われます。神輿を激しくぶつけるお祭りは過去に二度(灘のけんか祭りと、先週の生石神社の秋祭り)見たことがありますが、だんじり同士をぶつけ合うのを見たことはありません。いったいどういう激しさなのでしょう?

岡山県真庭市は、岡山から車で北に向かうこと一時間半、鳥取県と県境を接しています。お祭り終了予定時間が事前に読めなかったことと、帰りの足が公共交通機関では不安なこと、翌日の予定なども考慮して、レンタカーで日帰りすることにしました。

大阪から中国自動車道で最寄りの久世ICまで2時間半ほどかかります。お祭りの前に、真庭市で有名な樹齢1,000年の「醍醐桜」を一目拝見(これがすごい山の上にあるのです)しました。
醍醐桜@岡山・真庭市


桜が咲く頃には、大変な混雑になるのが、容易に想像できる、味わいの深い木の表情ですね。
醍醐桜2@岡山・真庭市


さて、祭りの会場もよくわからないまま、午後2時すぎに久世に着きました。JRの駅に行っても祭りのパンフレットなど一枚もありません。駅前にとまっていたタクシードライバーに聞くと、駅の正面の道を歩いて、国道を渡った先のあたり、ということでした。早速、車に乗って向かってみると、その場所はアーケードの商店街で、だんじりが子供たちによって曳航されていました。

結局、この地区のランドマークである「旧遷喬尋常小学校」の校舎裏に駐車して、会場に向かうことにしました。この校舎は、明治40年に完成して、平成11年に国の重要文化財に指定されました。風格のある校舎です。
旧遷喬尋常小学校校舎


この校舎に併設された、久世エスパスセンターという文化施設の受付で、久世祭りのパンフレットをようやく発見しました。これでようやく久世祭りのスケジュールや、イベントの行われる場所がわかりました。やっとこれでホッとしました。
久世祭りスケジュール


久世祭りの地図


まずは、祭りの会場を散歩します。会場近くの住宅には、このような「俄留」と書かれたお札があちこちに張られています。「がる」ではなくて「にわかどめ」と読むそうです。その上についたマークのだんじりの町家に寄付をすると、お礼としてもらえるそうです。
久世祭り:俄留


祭りには出店がつきものですが、こんな珍しい商売を発見!
久世祭り:かめすくい


ミドリガメをすくうそうです。
ミドリガメすくい


商店街の端を越えた先で、だんじりが出番待ちをしてました。鉦の音が辺りに響き渡ります。
久世祭り:だんじり待機


午後3時、「五社御祭礼」が始まりました。付近の5つの神社(五社)それぞれの神職と神輿が、商店街を通り抜け、先ほどの旧遷喬尋常小学校のグラウンドまで練り歩きます。
久世祭り:五社御祭礼1


神輿は一直線には進まず、蛇行したり、行ったり来たりします。面白いのは、観客から神輿に向かって小銭を投げていたこと。チャリーンという音が所々で聞こえてきました。
久世祭り:五社御祭礼2


神輿の後ろに、だんじりが登場します。子供たちが曳航します。
久世祭り:五社御祭礼3


舟形のだんじりの前後の甲板で、化粧をした長襦袢姿の若者が「ホイサ!ホイサ!」と掛け声をかけながら大騒ぎしています。ビールや酒を大量に飲んでいるようで、テンションが高く、しかも泥酔状態。
久世祭り:五社御祭礼4


列の最後には、女性だけのだんじり(華だんじり)も登場しました。さらにテンション高いです。
久世祭り:華だんじり


御祭礼の締めくくりは、旧遷喬尋常小学校のグラウンドにて「五社祝詞」。
久世祭り:五社祝詞


この神事が終わるのが午後5時30分。次の「だんじり喧嘩」まで、しばらく休憩です。
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見どころ満載!生石神社の秋祭り

2008/10/19
「日本三奇」のひとつ、巨岩「石の宝殿」が鎮座する生石(おうしこ)神社。その秋祭りは、播州のお祭りらしく勇壮で華やかなものでした。なにせ見どころが多いのです。

祭りが行われたのは、本殿から左に坂を下りたところにある、土ぼこりの舞う広場です。すぐ近くの斜面に腰掛けて、全体像を見ることもできます。

午後1時すぎ、まず登場したのが、厳かな表情の能楽師たち。広場の隅に立つ能舞台で「お面掛け」という神事が行われます。
生石神社秋祭り:お面掛け神事のスタート


「お面掛け神事」は江戸時代初期から伝わる神事で、五穀豊穣と人々の安泰を祈願します。この日登場したのは、観世流能楽師の松本章延さん。翁(おきな)の面は柔和な笑みを浮かべていますが、このときばかりは、能舞台の周辺は厳粛な空気に包まれていました。
生石神社秋祭り:お面掛け神事


つづいては「赤囃子」(あかはやし)と呼ばれる神事。今度は赤いお面をかぶった男が3人登場しました。この3人は神の警護役の猿田彦に扮したものです。
生石神社秋祭り:赤囃子


ほどなくすると、若い氏子たちが、お面の男たちをはやしたてます。すると、男たちは竹の棒で若者を追い払います。結構すごい迫力です。男たちはお面をかぶっているせいか、身動きがあまり自由ではありませんでしたが、この神事は神の強さを示すものだそうです。
生石神社秋祭り:赤囃子の猿田彦


次はお待ちかね、神輿の練り合わせです。担ぎ手は「黄」(年長者)と「赤」(若手)の二手に分かれ、「ヨ〜イヤサ〜」の掛け声とともに場内を一周します。
生石神社秋祭り:神輿練り合わせ1


生石神社秋祭り:神輿練り合わせ2


黄色い鉢巻をした男たちが担ぐ神輿には少毘古那命(すくなひこなのみこと)が、赤い鉢巻の男たちが担ぐ神輿には大穴牟遅命(おおなむちのみこと)が、それぞれ乗っているとされます。神輿を左右に大きく揺らす「汐かき」も披露されました。
生石神社秋祭り:汐かき


この二つの神輿は激しくぶつけあいます。グシャッという音がします。この激しさは、灘のけんか祭りに通じるものがあります。
生石神社秋祭り:神輿練り合わせ3


このような神輿の激しいぶつけ合いは、神功皇后が朝鮮征伐の際に神輿に付いた苔を落とそうとしたという逸話が由来なのだそうです。何度も練り合わせるうちに、ぶつかる側の神輿の角はポッキリと折れてしまいます。
生石神社秋祭り:折れた神輿の屋根


いよいよ、巨大な屋台の練り合わせです。曽根八幡宮の秋祭りで見たような、巨大な屋台が一台、堂々と出てきます。
生石神社秋祭り:屋台1


生石神社秋祭り:屋台2


重さは2トンを越えるのだそうです。練り子たちの「ヨ〜イヤサ〜」の掛け声は迫力満点!
生石神社秋祭り:屋台3


練り子の掛け声に合わせて、小学生も応援してました。
生石神社秋祭り:屋台に合わせて応援する小学生


神輿の練り合わせの合間には、獅子舞が3演目、披露されました。
生石神社秋祭り:獅子舞


「竹割り」も行われます。ここは曽根天満宮と違って、3カ所同時です。
生石神社秋祭り:竹割り1


生石神社秋祭り:竹割り2


太い竹に男たちが登っていきます。
生石神社秋祭り:竹割り3


生石神社秋祭り:竹割り4


曽根天満宮の竹割りと違うのは、竹が割れるまで何度も打ちつけることです。これが竹が割れる瞬間。
生石神社秋祭り:竹割り5


竹が割れると2つ折りか3つ折りかして、もう一度激しく地面に打ちつけます。
生石神社秋祭り:竹割り6


こうして、盛りだくさんなお祭りは、エンディングに近づいていきます。その前に、祭りの余韻を噛みしめるかのように、もう一度神輿の練り合わせ。
生石神社秋祭り:最後の神輿練り合わせ


広場に置かれていただんじり、屋台の順に退場していきます。
生石神社秋祭り:だんじりの退場


16時30分、広場から「ヨ〜イヤサ〜」の掛け声が遠ざかると、祭りはおわります。播州各地で行われるお祭りの要素がいろいろと入っていて、見応え満点でした。
生石神社秋祭り:エンディング

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「日本三奇」のフシギ@兵庫・生石神社

2008/10/19
「生石」と書いて「おうしこ」と読む、すごい名前の神社が、兵庫県高砂市にあります。この神社の創建はなんと西暦97年。しかも御神体が「石乃宝殿」と呼ばれる建物の形をした巨大な岩なのです。誰がどうやって造ったのかがわからないため、「日本三奇」のひとつに数えられます。これは一度は見に行きたい!ということで、秋祭りの行われるこの日に、行って見ることにしました。

場所は大阪からおよそ1時間、JR山陽本線・宝殿駅から、徒歩20分ほどのところにありました。突然、きりたった岩肌が視界に開けてくるので、びっくり。石切り場みたい。

生石神社周辺の石の崖


鳥居から境内を見上げると、驚くほど急な階段になってました。健脚なら、登るべし!
生石神社入口


登った先に現れるのは、本殿です。
生石神社社殿


さらに進むと、お目当ての「石の宝殿」があります。拝観料100円。
生石神社:石の宝殿入口


注連縄の掛かった巨大な「石の宝殿」が目の前に迫ってきます。敷地が狭いので、全体像が見られるような写真を撮るのはほとんど無理です。
生石神社:石の宝殿1


それにしても、切断面がピシッと整ってます。西暦97年に、石を真っ平らに切る技術があったのでしょうか...その大きさは、幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2m!重さは推定で500〜700トンと言われます。デカイ!山を削って造ってはみたが、どうやって運ぶのか、誰もわからなかったのではないかと想像します。画面には現れませんが、石の下は底の浅い池のようになっています。
生石神社:石の宝殿2


本殿横の階段を上っていくと、ようやく全体像らしきものが見えてきます。頭頂部の細かい石や、松が自然に生えています。神社の方針として、「自然の摂理のままにしておく」ということです。
生石神社:石の宝殿3


記念に、社務所で石の宝殿の蓋置きを購入しました。石の宝殿の全体像を知るには、ちょうどいい感じです。昔、江戸時代の茶人・川上不白が、大阪で何度も茶会を開いたときに、この地を訪ね、石の宝殿をかたどった、この蓋置きをつくったのだそうです。
生石神社の蓋置き


「生石神社」の語源が、本殿脇の坂を降りた先の鳥居にあります。「生石子」(おいしこ)と書いてあります。「生石子」は石が生まれるところ、という意味なのだそうです。
生石神社脇の鳥居


巨岩の迫力と、深い歴史、それに不思議な成り立ちに圧倒されます。面白い場所があるものですね〜。
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