年に一日しか上陸できない島@宗像大社沖津宮現地大祭

2009/05/27
宗像大社の神域として、婦女子の上陸が禁じられ、男性でも年にたった一日しか訪れることのできない島、沖ノ島。福岡県宗像市からおよそ50kmの沖合にあります。この日、宗像大社から上陸を許された、200人余りの男たちが、島内の沖津宮(おきつぐう)で行われる現地大祭に参加します。自分もその一人として上陸することができました。

宗像大社沖津宮現地大祭は毎年5月27日に行われます。1905年5月27日、沖ノ島のすぐ近くで日露戦争の日本海海戦が繰り広げられ、日本軍はロシアのバルチック艦隊を破りました。その様子を、神官のお仕えとして働いていた男が目撃し、その様子を日誌に書き残していたことが(「坂の上の雲(8)」などで)知られています。現地大祭は、この海戦の戦没者慰霊の意味合いもあるようです。


さて、ここからは、貴重な1日の記録です。前日の説明会で、宗像大島の漁港に、午前7時集合、午前7時30分の出発と決められました。前日に渡されたチケットに記された名前の船の近くに集まって、神職が点呼をとりました。こちらが、今回の旅でお世話になる漁船です。
宗像大社沖津宮現地大祭:えびす丸?


前日に渡されたライフジャケットを着て乗船します。海が荒れると激しく船酔いするかもしれない、と注意されていたので、空いていた船底部分に寝ることにしました。外の景色は見られませんが、揺れが少ないことを優先しました。

船が出港したのは、予定より10分早い、午前7時20分。地鳴りのようなモーター音と揺れを背中に受けて、この船のスピードを感じました。目を閉じて、じっとすること一時間。モーター音が小さくなったと思ったら「着いた!」という声が聞こえてきました。日本国旗と海軍旗が共に掲げられていました。海軍と沖ノ島の関係を感じさせます。
沖ノ島1


到着時刻は午前8時20分。事前の案内では2時間かかるということでしたが、この漁船の能力が高く、波が穏やかだったおかげで、あっという間に着きました。船着き場のすぐ近くには、社務所があります。
宗像大社沖津宮社務所


社務所の横には、沖ノ島の上陸心得が書かれた看板が立っています。
沖ノ島上陸の心得


さて、その心得に則って、さっそく禊(みそぎ)です。スッポンポンで肩まで海中に浸かります。沖ノ島:禊


ちょっとひんやりとしましたが、耐えられないほどではありませんでした。持参したタオルで全身を拭いて、社務所の脇の水道で水を汲みます。後ほど沖津宮でお祓いを受けると、ご神水として持ち帰ることができます。

そして、沖津宮へと向かいます。石段は強い波風を受けてきたせいか、削れてなだらかになっていました。
宗像大社沖津宮への鳥居1


鳥居の扁額の字に歴史を感じます。
宗像大社沖津宮への鳥居2


沖津宮に至るまで、素朴な鳥居が3基ありました。
宗像大社沖津宮への鳥居3


宗像大社沖津宮への鳥居4


宗像大社沖津宮への鳥居5


10分ほど歩くと、沖津宮の社殿に着きます。一人ひとりが、ゆっくり丁寧にお参りしていました。
宗像大社沖津宮社殿


現地大祭の開始予定時間、午前10時まで少し時間があったので、周囲を散策してみました。頂上へ至る道の途中は、このように緑で覆われる場所もありました。
沖ノ島の自然1山道


沖ノ島からは、一木一草たりとも持ち帰ってはいけないせいもあって、古来の自然が残っていると言われます。
沖ノ島の自然2


植生は照葉樹林に属しているということもあって、大きな葉の植物が目立ちます。
沖ノ島の自然3


沖ノ島の自然4


巨大な岩も数多く見られました。沖ノ島では、4世紀から10世紀にかけて、このような大きな岩の上や岩陰で祭祀が営まれてきました。このような岩陰から遺跡が見つかり、そこで見つかった遺品が国宝や重要文化財になります。「海の正倉院」のルーツはこういう場所にあるわけです。
沖ノ島:巨石


沖津宮社殿に参拝者が続々とやってきました。午前10時を待たずして、現地大祭が始まりました。
宗像大社沖津宮現地大祭


現地大祭は、30分もかからずに滞りなく終了しました。あいさつに立った宮司さんが「日本古来の信仰がそのままの形で残る、この島の様子を目に焼き付けて、多くの人に語ってほしい」と話されました。

この後、船着き場では直会(なおらい)が行われるということですが、もう少し島を散策しようと、島の頂上を目指すことにしました。枯れ葉でふかふかとした山道を歩いて行きます。
沖ノ島:頂上への道1


頂上への道は原生林の中を進みます。思ったよりも整備されていました。
沖ノ島:頂上への道2


とは言っても、一か所だけ、すべりやすい岩をのぼる必要があります。
沖ノ島:頂上への道3


沖ノ島にも、ドコモのアンテナが立っているのには驚きました。バリ3です。
沖ノ島:頂上への道4


午前10時55分、沖津宮社殿から30分足らずで頂上に着きました。海抜240m。灯台があります。周りは見渡す限りの海。お天気にも恵まれて、爽快な気分です。
沖ノ島:頂上からの眺め1


島の緑、岩の白さ、海の青さ...色彩が深く、くっきりとしていました。
沖ノ島:頂上からの眺め2


船着き場も見えます。
沖ノ島:頂上からの眺め3


頂上には10分も滞在せずに、すぐに下山しました。船着き場までは30分ほどかかりました。
沖ノ島:頂上への道5


船着き場では、直会が終盤を迎えていました。残された料理を少しずついただきました。地元の漁師さんによる、アジやイワシの煮付けがドーンと大皿に載っています。コクがあって、唐辛子が効いてピリッとしてます。
宗像大社沖津宮現地大祭の直会1


その煮汁にそうめんを入れたもの。そうめんのさわやかさと煮汁のコクのハーモニーが素晴らしく、癖になる味でした。
宗像大社沖津宮現地大祭の直会2


食べ終わるか終わらないかのうちに「出港時間は12時とします」というアナウンスがありました。いやー、慌ただしい! 社務所の脇で水をくんでお祓いをうけたり、社務所で御朱印をいただいたり(自分は御朱印帳を持ってこなかったことを後悔しました。とは言っても、一枚紙でいただき、後日、貼付けました)、残り時間でやり残したことのないように、せかせかと動き回りました。
宗像大社沖津宮社務所でお祓い


沖ノ島を出たのは12時05分。帰りは少し波がありましたが、それでも宗像大島に着いたのは13時10分でした。自分が乗った船は一番早かったのです。うれしいことに、船酔いの心配は杞憂に終わりました。午後は時化るかもしれない、という話でしたので、出発が早まったのかもしれません。

宗像大島から神湊(こうのみなと)への船は定刻14時40分発でしたが、帰路につく現地大祭参加者であふれることから、その20分前に臨時便が出ました。柔軟な対応です。神湊から宗像大社辺津宮に立寄り、無事に戻って来たことに感謝のお参りをしました。

年に一日というか、ほぼ半日の上陸。時間のない中で、目一杯、見られるものを見てきました。手つかずの原生林に、巨大な磐座...そこにひっそりと建つ社殿、そして全裸で海水に浸かる禊。日本人の信仰の原点をまさに体感することができ、少し背筋が伸びる思いがしました。
宗像大社沖津宮社殿2
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年に一日しか立ち入りできない島:宗像大社沖津宮現地大祭前夜

2009/05/26
玄界灘に浮かぶ孤島・沖ノ島は、およそ12万点もの国宝や重要文化財が出土した「海の正倉院」と言われ、宗像大社の神域として立ち入りが厳しく制限された島です。その制限とは、
1)古例により、婦女子の上陸が禁止されている。
2)神職を除く一般の男性も年に一度の沖津宮現地大祭を除いての上陸は禁止されている。
  上陸の前に、全裸になり、海に浸かって禊(みそぎ)をしなければならない。
3)御神水以外は、一木一草一石たりとも持ち帰ってはいけない。

つまり、一般の日本人男性が沖ノ島に上陸するには、毎年5月27日、この島にある沖津宮で行われる現地大祭に参加するしかありません。このお祭りに参加できるのは、事前に申し込み、宗像大社から許可の出た200人だけ。70歳以上の渡島も、原則禁止されています。

年に一日、200人の男性だけが立ち入り可能な島、沖ノ島。今年、初めて上陸の許可をいただくことができました。前夜までの動きをまとめてみました。


○申し込み○
電話で宗像大社に問い合わせたのが3月20日頃でした。住所・氏名・年齢、それに「沖津宮現地大祭資料希望」と記した葉書を送ってほしい、ということでした。数日後、現地大祭参拝要項と申込用紙、それに前夜の宿泊地となる宗像大島の民宿リストが送られてきました。申込用紙には通し番号があって、200番台でした。遅れてはいけないと思い、すぐ申込用紙を記入して発送しました。

参拝許可の葉書が届いたのは4月中旬。今年以外に参拝のチャンスはそんなにないと思っていたので、とてもうれしかったです。参拝要項によると、現地大祭の前日(5月26日)18時に、宗像大島にある宗像大社中津宮で手続きをしなくてはなりません。ということで、すぐに宗像大島の民宿を予約しました。もちろん、個室などないので「一名、相部屋」での予約です。


○参拝前日○
15時に福岡空港に到着。そこから宗像大島へのフェリー発着港となる神湊(こうのみなと)までの往復にはレンタカーを利用しました。。最寄のJR東郷駅から神湊波止場までの路線バスは1時間におよそ1本しか運行されていないために、行き帰りの行動に大きな制約が出ると考えたからです。神湊まで、車で1時間あまり。宗像大島に向かう船の出航時刻、17時10分まで少しだけ時間があったので、宗像大社神宝館に立寄り(とは言っても、ここも16時30分に閉館してしまいます)、沖ノ島から出土した国宝の品々を拝見しました。神湊では、波止場の近くにコインパーキングがあって、24時間で1100円でした。

宗像大島に向かう船のデッキは、明日の現地大祭に向かうであろう人たちで一杯でした。一旦、宿に荷物を置いて中津宮に向かうと、この人たちも同じ場所に向かって歩いていました。

宗像大社中津宮


中津宮では、整理番号別に受付されていました。200名募集ということでしたが、実際には250番まで番号が振られていました。沖津宮奉賛会費2万円を納めると、記念品の入った紙袋をいただきました。記念品の中身は、こんな感じ。細長い紙袋の中には餅が入っていました。
宗像大社沖津宮現地大祭記念品


18時過ぎ、太鼓の音が響きます。沖津宮現地大祭宵宮祭が始まりました。明日の沖ノ島への渡航の安全と現地大祭の成功を祈願します。
宗像大社沖津宮現地大祭宵宮祭


宵宮祭は20分もたたずに終わり、その後は明日の現地大祭にあたっての諸説明が行われました。全般的な説明と、乗る船ごと(計7隻の船に分乗します)にわかれての説明がありました。漁船に乗る人には、オレンジ色のライフジャケットが渡されました。宗像大島から沖ノ島までの渡航時間は2時間。大丈夫かな...28年間来ていて、沖ノ島に渡れなかったのは2回だけと教えてくれたベテランの方もいらっしゃいました。

説明が終わると、流れ解散。各自、宿に向かいます。自分が宿泊した民宿の相部屋には、今年69歳(つまり、来年になると行けなくなってしまう)の神職の方やお坊さん、出版関係者とカメラマン、ある日突然神社の魅力に魅せられた20代男性など、年齢層も動機も様々な人たち。全員共通していたのは、今回が初めてということでした。夕食の時には、神社にまつわる様々な話をしました。なんだかオフ会のような感じすらしてきます。

夕食後、宿の人に翌日の昼食のお弁当の依頼をしました。翌日は、午前7時集合、7時30分出発予定。早くも22時には消灯となりました。生活リズムが合わず、急には寝られませんでした。明日は、穏やかな波でありますように...
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2時間クイック松江観光

2009/05/24
ホーランエンヤの櫂伝馬踊りを見終えて、出雲空港に向かうバスの時間(16時05分@松江駅)までの2時間弱を、急ぎ足で観光してみました。

まず、向かったのは、松江城。全国に12ある天守閣のひとつで、国の重要文化財に指定されています。天守閣としては6番目に古く、1611年に出雲の領主・堀尾吉晴が完成させました。

松江城


内側を上がって行くと、5階が最上階。360度展望ができるのは珍しいのだそうです。こちらは松江市街を見下ろした景色。
松江城最上層からの眺め


城を降りた先に、フォトジェニックな景色がありました。時代劇の撮影ができそう。
松江城下の石垣の道


松江城の周囲を取り囲むお濠。とにかく余計な広告がないのが、風情をかもして良いですね。
松江城のお濠


歩いておよそ10分ほど、茶室「明々庵」(めいめいあん)に着きました。江戸時代後半に、茶大名として知られる松江第7代藩主・松平不昧(ふまい)好みに仕上げられた茶室が見られます。入口からのアプローチが美しく、アドレナリンが上がります。
松江・明々庵露地


明々庵は、茅葺きの厚い屋根が最も大きな特徴です。
松江・明々庵の茅葺き屋根


茶室は、至ってシンプル。
松江・明々庵にじり口


明々庵のすぐ近くで、抹茶をいただきました。入口で入場料を支払うときに、抹茶代を合わせて支払えばいけます。ほっこりとしました。
明々庵の抹茶


15分ほど歩いて、島根県観光物産館へ。ここでお土産を買いました。雑誌の手みやげ特集で紹介されていた「鮎うるか」を購入。後日、いただいてみたところ、日本酒のアテには最高でした。

松江駅前へはタクシーで移動。駅前の出店で名物「しじみカレー」をいただきました。普通のカレーライスにしじみの味わいが乗って、さっぱりとした味でした。写真を撮る暇もありませんでしたが、見た目は普通のカレーライスとほぼ一緒です。

一気に名所をまわってめまぐるしかったのですが、お城と茶室はとても落ち着く雰囲気でした。余計な広告や看板が視界に入らず、音声もBGMなどなく静か。松江の魅力は、こういう落ち着いた環境にあるのではないかと、短い時間ながら思いました。
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12年に一度の祭り:ホーランエンヤ@島根・松江

2009/05/24
12年に一度という、実にレアなお祭りが、5月に松江で行われると聞きました。その名は「ホーランエンヤ」。独特の名前からは、どんな祭りなのか想像もつきません。調べてみると、およそ360年の歴史を誇り、華やかな船行列が見られる「日本三大船祭り」のひとつとされます。これは面白そう!

ホーランエンヤは、正式には松江城山稲荷神社式年神幸祭と言います。1648年、当時の藩主・松平直政が、大凶作の危機を救うために、松江城山稲荷神社の御神霊を、阿太加夜(あだかや)神社に移して、五穀豊穣を祈願させたのが始まりとされています。ちなみに「ホーラ!」「エンヤ!」という掛け声がホーランエンヤの呼び名の由来なのだそうです。以来、祭りは10年から12年ごとに行われ、今年で34回目を迎えます。祭りは5月17日の渡御祭、20日の中日祭、24日の還御祭の3日に分かれていて、華やかな船行列が見られるのは渡御祭か還御祭。自分の都合に合わせて、還御祭に行くことにしました。

ホーランエンヤ:幟


さて、当日、午前9時35分から、船行列の出発地、阿太加夜神社に近い意宇川で、その日最初の櫂伝馬(かいでんま)踊りが披露されます。市の中心から10キロ近く離れているので、人込みが少なくて見やすいだろうと思ったのですが、残念ながら松江駅からの公共交通機関や特別なバスはありませんでした。近くの小学校などに特設駐車場ができて、そこからシャトルバスが出ていたようですが、レンタカーすらしていない自分には無縁でした。

ということで、午前9時過ぎに、松江駅から徒歩10分ほどのところに流れる大橋川に向かいました。ベストな鑑賞スポットはないかと見回すと、河原にはゴザが敷かれて、早くも場所取りをしている人の姿が見られました。この時間ならゴザの一部に場所取りができましたが、橋から俯瞰したほうがいいかと思い、近くの橋へ。すると、橋の欄干に三脚をくくりつけたカメラオヤジがズラーッと並んでいました。が、その列の切れ目、橋の中心付近になんとか場所を取ることができました。ただ、船団がやってきて櫂伝馬踊りが始まるまで、3時間弱も待たなければいけません。なんだか張り込みみたい。

船団がやってくる予定時間が近づくにつれて、川には人だかりができました。後でタクシーの運転手に聞いたら「松江にこんなに人がいたんだ!」と逆に驚いていました。

ホーランエンヤ:大橋川岸の観客


この日の天気は、あいにくの雨。しかも気温は17度とやや低め。体が冷えきった頃に、ようやく船団がやってきました。これが御神霊を運ぶ、神輿船。
ホーランエンヤ:神輿船


つづいて、大きくて華やかな櫂伝馬船が登場しました。
ホーランエンヤ:櫂伝馬船1


櫂伝馬船には、およそ50人が乗り込んでいます。
ホーランエンヤ:櫂伝馬船2


船の舳先(へさき)に、剣櫂(けんがい)と呼ばれる踊り手が掛け声に合わせて踊ります。動きは、剣を突き出すなど、男性的。
ホーランエンヤ:剣櫂1


音頭取りは、船の中心に立って、両手を腰にあてて大声を出します。それに合わせて、櫂掻(かいかき)と呼ばれる漕ぎ手10数人が一斉に漕ぎます。
ホーランエンヤ:音頭取りと櫂掻


船の後方、艫には、采振(ざいふり)という踊り手が踊ってます。こちらの踊りは新体操のようにしなやかで女性的。そのすぐそばには、太鼓のお囃子が4人ほど並んでいました。
ホーランエンヤ:采振(ざいふり)


以上が、櫂伝馬船の構成です。剣櫂と采振の踊りが櫂伝馬踊りとされます。遭難しかけた神輿船を助けた馬潟の漁師が喜びのあまり櫂を持って踊ったというのが始まりだということです。華やかな衣装と白塗りの化粧で、まるで歌舞伎みたいです。祭りの主役とも言える踊り手は、15歳までの少年しかできないそうです。12年に一度ということは、この役につけることは、とても貴重な機会だと言えそうです。
ホーランエンヤ:剣櫂2


5艘の櫂伝馬船は、橋と橋の間を、およそ1時間かけて、大きくゆっくり2周します。大橋川では、計3か所を2周ずつすることになります。それぞれの櫂伝馬船の違いをはっきりと認識する時間もなく、次の場所へと移動してしまいました。
ホーランエンヤ:櫂伝馬船3


最初に確保した橋の上のスペースから移動して、今度は大橋川の岸の人垣の間から見物。
ホーランエンヤ:櫂伝馬船4


大橋川の2か所目は、川の幅が狭くて、より近くで見られるのだそうです。場所取りも、ここのほうが早く埋まっていました。櫂伝馬船が近くを通るたびに、地元の人を中心とした見物客から熱い拍手が送られていました。
ホーランエンヤ:剣櫂3


櫂伝馬船のうち一艘だけが、花笠をかぶった「招き」を乗せています。小学校低学年限定の役どころだそうです。
ホーランエンヤ:招き(花笠姿の少年)


川岸で見ると、グラウンドレベルで野球を見ているような感じで、乗船している一人一人をはっきりと見分けることができました。
ホーランエンヤ:音頭取りと櫂掻2


櫂伝馬船の動きは、どの場所でもほぼ同じでしたので、午後2時過ぎに見終えました。午前の場所取りから、すっかり体が冷えきってしまいました。かえすがえすも、雨だったのが残念でした。

でも、最も残念な思いをしたのは、12年に一度の祭りのために準備を進めてきた関係者だったであろうことは想像に難くありません。踊り手のかつらや衣装、船を用意するには、相当の費用がかかるでしょうし、囃子と音頭と踊り手、漕ぎ手の動きを一致させるには、それなりの時間をかけた練習が必要だったでしょう。おそらく祭りに参加した人たちは、見物客以上に冷えきった身体を奮い起こしていたことでしょう。それでも、こういう大変な思いをすることで、伝統は受け継がれていくのかもしれません。
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はじめての葵祭@京都御所&糺の森

2009/05/15
京都三大祭りのひとつ、葵祭。京都に何度も行っているのに、一度も見たことがありませんでした。「最も優雅な祭り」と言われる理由は何か、実際に行ってみることにしました。

葵祭は、時代祭と同じように、昔の装束を着た人たちによる長い行列を鑑賞します。事前に京都新聞のホームページでリサーチすると、京都御所と糺(ただす)の森で見るのがおすすめだということでした。そこで、行列のスタート地点、京都御所に、スタート時間(午前10時30分)に合わせて向かうことにしました。

午前10時すぎ、平日にもかかわらず、すでに「黒山の人だかり」と言っていいほどの観客が、地下鉄丸太町駅から京都御所に向かう歩道にあふれてました。その人込みをかきわけて、京都御苑に入っていきます。広い参道に着くと、時代祭と同じように、行列の通る道の両脇のベストポジションには観覧席が設けられていました。今更、観覧席をとっても良い位置では見られませんので、そのすぐ後ろから見ることにしました。
葵祭:会場引き絵


京都御所の会場の中心には、解説担当のセンセイが壇上に上がっています。ここから、会場全体に行列の説明が聞こえるようになっています。この近くに場所をとりました。
葵祭:解説者@京都御所


葵祭の起源は、なんと今から1400年以上前の西暦567年と伝えられます。五穀豊穣を願って、4月の吉日に祭礼を行ったところ、それまで激しかった風雨がおさまり、その結果、願いが成就したことに端を発しています。西暦819年には国家的行事になったのだそうです。「葵祭」という名前がついたのは、江戸時代(1694年)になってからのことです。牛車から勅使の衣冠まで、葵の葉で飾るようになったからだそうです。

すぐに、行列の先頭がやってきました。この行列を「路頭の儀」と呼び、葵祭のハイライトとされています。総勢500名あまり、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の王朝行列のスタートです。まず最初にやってきたのは、騎馬隊です。
葵祭:勅使1


つづいては、山城使(やましろのつかい)。
葵祭:勅使2


検非違使尉(けびいしのじょう)。
葵祭:検非違使尉


御幣櫃(ごへいびつ)。上賀茂、下鴨の両神社にお供えするものが入っています。
葵祭:御幣櫃(ごへいびつ)


牛車(ぎっしゃ)。御所車(ごしょぐるま)とも呼ばれます。
葵祭:牛車


勅使(ちょくし)。天皇の使いで、この行列で最高位。会場内では「斎王代よりも重要なヒトです」と解説されていました。
葵祭:勅使


和琴(わごん)。
葵祭:和琴


ここからは、行列は「斎王代列」のパートになります。まずは、命婦(みょうぶ)。女官のことです。
葵祭:命婦


続いては、葵祭の主役「斎王代」(さいおうだい)。斎王代とは、伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王(=斎王)の代理のこと。今では市内在住の未婚の女性が選ばれるということですが、裏千家の茶道教室に通う名家のお嬢様がご指名されるようです。十二単の重さのためか、マネキンのように固まっていました。
葵祭:斎王代


このあとも、女官の列が続きます。衣装の色はひとりひとりすべて異なるそうです。さすが呉服産業が充実している京都らしい趣向です。
葵祭:女官2


駒女(むなのりおんな)。斎王付きの清浄な巫女のことです。
葵祭:女官1


女嬬(にょじゅ) 。食事をつかさどる女官。
葵祭:女嬬(にょじゅ)


締めは牛車。前を進む牛車よりも、飾りが華やかです。
葵祭:牛車2


行列は例年よりもゆっくりと進んだそうで、すべて通り過ぎるまでにおよそ50分かかりました。こうやって写真で見ると盛りだくさんですが、目の前で何かアクションがあるわけではないので、静々と砂利を踏みしめる音と、解説音声があるのみ。単調にも見えましたが、静かに行列が進むところが、平安王朝の雅な特徴を表わしているのかもしれません。

これで終わり?という印象があったので、京都御所と並んで鑑賞スポットとされる、下鴨神社の参道、糺(ただす)の森に行ってみました。こちらは広さがないので、見物客の混雑度がとても高いです。ところが、写真にしてみると、とても風情があるのです。
葵祭:糺の森3


葵祭:糺の森1


葵祭:糺の森2


こうやってみると、葵祭の行列を見るなら、事前に行列の解説を用意して、糺の森で場所を確保するのが、ベストな鑑賞法ではないかと思いました。
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