吉兆本店(高麗橋吉兆)初体験!

2008/05/31
吉兆は日本の料理界をリードする料亭です。グループ会社の船場吉兆の不祥事で、最近はイメージが低下していますが、料理や器、しつらいなど、総合的に見て日本で最も質の高い料亭のひとつです。今回、伝統未来塾の授業で、一見さんでは入ることのできない吉兆本店(高麗橋吉兆)を見学し、昼食をいただくことができました。そこで見えてくるのは、料理と茶の湯との密接な関係です。

建物の外観。昭和12年(1937年)茶道具商・児島嘉助の店舗兼住居として、当時の数寄屋造りの第一人者・平田雅哉氏によって建てられました。
高麗橋吉兆・外観


吉兆の創業者・湯木貞一氏の手に渡り、高麗橋吉兆としてオープンしたのが昭和24年(1949年)です。ここが吉兆だとわかるような大きな看板はなく、玄関の右上に小さな表札がありました。
吉兆本店の表札


まずは、お食事。1階の新座敷にていただきました。
高麗橋吉兆1階「新座敷」


しつらいは、5月らしく、端午の節句にちなんだ、兜です。
高麗橋吉兆しつらい「兜」


釘隠しは紅白の梅です。
釘隠し「紅白の梅」


吉兆と茶の湯の関係は、創業者・湯木貞一氏が22歳の頃にさかのぼります。16歳から料理の修業に明け暮れ、ひととおりのことをマスターした湯木氏は自分の進むべき道に閉塞感を感じていました。ところが、ある日、茶人大名・松平不昧の茶会記を見て、「目からウロコが落ちた」そうです。器やしつらいに、日本の細やかな四季が表現されていたのです。そんな茶の湯の世界と日本料理を融合させる(旬の料理に器をあわせて出す)こと。これが湯木氏の新たな目標になりました。後年、湯木氏は、「世界の名物、日本料理」をアピールすることが、自分のライフワークだと語っています。

高麗橋吉兆(吉兆本店)の建物も、そんな湯木氏のライフワークを体現したような中身になっていました。駆け足で見たので、写真と記述がずれている可能性がありますが...

1階の廊下に中庭があります。手すりが寝殿造りの特徴を現していて、雅な空間を演出しています。
高麗橋吉兆1階廊下


1階の中庭


1階・火灯窓のある「袋の間」
高麗橋吉兆1階「袋の間」


欄間はなんと一枚板でできているのです!
袋の間の欄間


「袋の間」欄間2



1階・霞棚のある「鈴の間」。床の間の市松模様が、なんともモダン。
鈴の間


鈴の間のしつらい



1階・井筒の間。
井筒の間


井筒の間の棚


井筒の間の軒先


1階・茶室「容膝軒」。広さは5畳台目です。
容膝軒1


容膝軒2


蹲(つくばい)からは湧き水が出る演出になってました。
容膝軒のつくばい



2階・能舞台がある広間「残月の間」。役者さんがお客に見られないような通路も設けられているそうです。
残月の間1


残月の間2


残月の間3


釘隠しは「澪つくし」
釘隠し「澪つくし」



2階・人形の間。ショーウインドーのようなケースが大胆です。
人形の間1


人形の間2


人形の間3


欄間のバックについた照明も、ユニークです。
人形の間4


2階・天神を祀る「手習いの間」。釣り釜がかかります。
手習いの間1


手習いの間4


天神様はこちら。
手習いの間2


手習いの間3


2階・平安朝の「蔀(しとみ)の間」。床の間左手の手すりに雅な演出。
蔀の間1


蔀の間2


蔀の間3


蔀の間7


襖の引き手がおしゃれ!
蔀の間6


でも、引き戸かと思ったら、開いたり。
蔀の間5


市松模様の衝立がダイナミック!
蔀の間4


これだけの部屋を一度に見られるのは、とても珍しいとのこと。きちんと床の間も飾られていて、この授業のために準備されていたことがわかります。素晴らしい!

建築の専門家は「照明の置き方が大胆だ」と驚いてました。侘びと、雅と、モダンがギリギリでせめぎ合う空間。究極の普請道楽ぶりに、ため息をつくばかりでした。
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Comment
素敵ですね。
重要文化財か美術館のよう。。
うっとりです。

澪つくし会員のかたでもなかなか入れない本店。。

初めて観ました。

目の保養ありがとうございました。





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