12年に一度の祭り:ホーランエンヤ@島根・松江

2009/05/24
12年に一度という、実にレアなお祭りが、5月に松江で行われると聞きました。その名は「ホーランエンヤ」。独特の名前からは、どんな祭りなのか想像もつきません。調べてみると、およそ360年の歴史を誇り、華やかな船行列が見られる「日本三大船祭り」のひとつとされます。これは面白そう!

ホーランエンヤは、正式には松江城山稲荷神社式年神幸祭と言います。1648年、当時の藩主・松平直政が、大凶作の危機を救うために、松江城山稲荷神社の御神霊を、阿太加夜(あだかや)神社に移して、五穀豊穣を祈願させたのが始まりとされています。ちなみに「ホーラ!」「エンヤ!」という掛け声がホーランエンヤの呼び名の由来なのだそうです。以来、祭りは10年から12年ごとに行われ、今年で34回目を迎えます。祭りは5月17日の渡御祭、20日の中日祭、24日の還御祭の3日に分かれていて、華やかな船行列が見られるのは渡御祭か還御祭。自分の都合に合わせて、還御祭に行くことにしました。

ホーランエンヤ:幟


さて、当日、午前9時35分から、船行列の出発地、阿太加夜神社に近い意宇川で、その日最初の櫂伝馬(かいでんま)踊りが披露されます。市の中心から10キロ近く離れているので、人込みが少なくて見やすいだろうと思ったのですが、残念ながら松江駅からの公共交通機関や特別なバスはありませんでした。近くの小学校などに特設駐車場ができて、そこからシャトルバスが出ていたようですが、レンタカーすらしていない自分には無縁でした。

ということで、午前9時過ぎに、松江駅から徒歩10分ほどのところに流れる大橋川に向かいました。ベストな鑑賞スポットはないかと見回すと、河原にはゴザが敷かれて、早くも場所取りをしている人の姿が見られました。この時間ならゴザの一部に場所取りができましたが、橋から俯瞰したほうがいいかと思い、近くの橋へ。すると、橋の欄干に三脚をくくりつけたカメラオヤジがズラーッと並んでいました。が、その列の切れ目、橋の中心付近になんとか場所を取ることができました。ただ、船団がやってきて櫂伝馬踊りが始まるまで、3時間弱も待たなければいけません。なんだか張り込みみたい。

船団がやってくる予定時間が近づくにつれて、川には人だかりができました。後でタクシーの運転手に聞いたら「松江にこんなに人がいたんだ!」と逆に驚いていました。

ホーランエンヤ:大橋川岸の観客


この日の天気は、あいにくの雨。しかも気温は17度とやや低め。体が冷えきった頃に、ようやく船団がやってきました。これが御神霊を運ぶ、神輿船。
ホーランエンヤ:神輿船


つづいて、大きくて華やかな櫂伝馬船が登場しました。
ホーランエンヤ:櫂伝馬船1


櫂伝馬船には、およそ50人が乗り込んでいます。
ホーランエンヤ:櫂伝馬船2


船の舳先(へさき)に、剣櫂(けんがい)と呼ばれる踊り手が掛け声に合わせて踊ります。動きは、剣を突き出すなど、男性的。
ホーランエンヤ:剣櫂1


音頭取りは、船の中心に立って、両手を腰にあてて大声を出します。それに合わせて、櫂掻(かいかき)と呼ばれる漕ぎ手10数人が一斉に漕ぎます。
ホーランエンヤ:音頭取りと櫂掻


船の後方、艫には、采振(ざいふり)という踊り手が踊ってます。こちらの踊りは新体操のようにしなやかで女性的。そのすぐそばには、太鼓のお囃子が4人ほど並んでいました。
ホーランエンヤ:采振(ざいふり)


以上が、櫂伝馬船の構成です。剣櫂と采振の踊りが櫂伝馬踊りとされます。遭難しかけた神輿船を助けた馬潟の漁師が喜びのあまり櫂を持って踊ったというのが始まりだということです。華やかな衣装と白塗りの化粧で、まるで歌舞伎みたいです。祭りの主役とも言える踊り手は、15歳までの少年しかできないそうです。12年に一度ということは、この役につけることは、とても貴重な機会だと言えそうです。
ホーランエンヤ:剣櫂2


5艘の櫂伝馬船は、橋と橋の間を、およそ1時間かけて、大きくゆっくり2周します。大橋川では、計3か所を2周ずつすることになります。それぞれの櫂伝馬船の違いをはっきりと認識する時間もなく、次の場所へと移動してしまいました。
ホーランエンヤ:櫂伝馬船3


最初に確保した橋の上のスペースから移動して、今度は大橋川の岸の人垣の間から見物。
ホーランエンヤ:櫂伝馬船4


大橋川の2か所目は、川の幅が狭くて、より近くで見られるのだそうです。場所取りも、ここのほうが早く埋まっていました。櫂伝馬船が近くを通るたびに、地元の人を中心とした見物客から熱い拍手が送られていました。
ホーランエンヤ:剣櫂3


櫂伝馬船のうち一艘だけが、花笠をかぶった「招き」を乗せています。小学校低学年限定の役どころだそうです。
ホーランエンヤ:招き(花笠姿の少年)


川岸で見ると、グラウンドレベルで野球を見ているような感じで、乗船している一人一人をはっきりと見分けることができました。
ホーランエンヤ:音頭取りと櫂掻2


櫂伝馬船の動きは、どの場所でもほぼ同じでしたので、午後2時過ぎに見終えました。午前の場所取りから、すっかり体が冷えきってしまいました。かえすがえすも、雨だったのが残念でした。

でも、最も残念な思いをしたのは、12年に一度の祭りのために準備を進めてきた関係者だったであろうことは想像に難くありません。踊り手のかつらや衣装、船を用意するには、相当の費用がかかるでしょうし、囃子と音頭と踊り手、漕ぎ手の動きを一致させるには、それなりの時間をかけた練習が必要だったでしょう。おそらく祭りに参加した人たちは、見物客以上に冷えきった身体を奮い起こしていたことでしょう。それでも、こういう大変な思いをすることで、伝統は受け継がれていくのかもしれません。
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はじめての葵祭@京都御所&糺の森

2009/05/15
京都三大祭りのひとつ、葵祭。京都に何度も行っているのに、一度も見たことがありませんでした。「最も優雅な祭り」と言われる理由は何か、実際に行ってみることにしました。

葵祭は、時代祭と同じように、昔の装束を着た人たちによる長い行列を鑑賞します。事前に京都新聞のホームページでリサーチすると、京都御所と糺(ただす)の森で見るのがおすすめだということでした。そこで、行列のスタート地点、京都御所に、スタート時間(午前10時30分)に合わせて向かうことにしました。

午前10時すぎ、平日にもかかわらず、すでに「黒山の人だかり」と言っていいほどの観客が、地下鉄丸太町駅から京都御所に向かう歩道にあふれてました。その人込みをかきわけて、京都御苑に入っていきます。広い参道に着くと、時代祭と同じように、行列の通る道の両脇のベストポジションには観覧席が設けられていました。今更、観覧席をとっても良い位置では見られませんので、そのすぐ後ろから見ることにしました。
葵祭:会場引き絵


京都御所の会場の中心には、解説担当のセンセイが壇上に上がっています。ここから、会場全体に行列の説明が聞こえるようになっています。この近くに場所をとりました。
葵祭:解説者@京都御所


葵祭の起源は、なんと今から1400年以上前の西暦567年と伝えられます。五穀豊穣を願って、4月の吉日に祭礼を行ったところ、それまで激しかった風雨がおさまり、その結果、願いが成就したことに端を発しています。西暦819年には国家的行事になったのだそうです。「葵祭」という名前がついたのは、江戸時代(1694年)になってからのことです。牛車から勅使の衣冠まで、葵の葉で飾るようになったからだそうです。

すぐに、行列の先頭がやってきました。この行列を「路頭の儀」と呼び、葵祭のハイライトとされています。総勢500名あまり、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の王朝行列のスタートです。まず最初にやってきたのは、騎馬隊です。
葵祭:勅使1


つづいては、山城使(やましろのつかい)。
葵祭:勅使2


検非違使尉(けびいしのじょう)。
葵祭:検非違使尉


御幣櫃(ごへいびつ)。上賀茂、下鴨の両神社にお供えするものが入っています。
葵祭:御幣櫃(ごへいびつ)


牛車(ぎっしゃ)。御所車(ごしょぐるま)とも呼ばれます。
葵祭:牛車


勅使(ちょくし)。天皇の使いで、この行列で最高位。会場内では「斎王代よりも重要なヒトです」と解説されていました。
葵祭:勅使


和琴(わごん)。
葵祭:和琴


ここからは、行列は「斎王代列」のパートになります。まずは、命婦(みょうぶ)。女官のことです。
葵祭:命婦


続いては、葵祭の主役「斎王代」(さいおうだい)。斎王代とは、伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王(=斎王)の代理のこと。今では市内在住の未婚の女性が選ばれるということですが、裏千家の茶道教室に通う名家のお嬢様がご指名されるようです。十二単の重さのためか、マネキンのように固まっていました。
葵祭:斎王代


このあとも、女官の列が続きます。衣装の色はひとりひとりすべて異なるそうです。さすが呉服産業が充実している京都らしい趣向です。
葵祭:女官2


駒女(むなのりおんな)。斎王付きの清浄な巫女のことです。
葵祭:女官1


女嬬(にょじゅ) 。食事をつかさどる女官。
葵祭:女嬬(にょじゅ)


締めは牛車。前を進む牛車よりも、飾りが華やかです。
葵祭:牛車2


行列は例年よりもゆっくりと進んだそうで、すべて通り過ぎるまでにおよそ50分かかりました。こうやって写真で見ると盛りだくさんですが、目の前で何かアクションがあるわけではないので、静々と砂利を踏みしめる音と、解説音声があるのみ。単調にも見えましたが、静かに行列が進むところが、平安王朝の雅な特徴を表わしているのかもしれません。

これで終わり?という印象があったので、京都御所と並んで鑑賞スポットとされる、下鴨神社の参道、糺(ただす)の森に行ってみました。こちらは広さがないので、見物客の混雑度がとても高いです。ところが、写真にしてみると、とても風情があるのです。
葵祭:糺の森3


葵祭:糺の森1


葵祭:糺の森2


こうやってみると、葵祭の行列を見るなら、事前に行列の解説を用意して、糺の森で場所を確保するのが、ベストな鑑賞法ではないかと思いました。
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スリル満点の獅子舞@今治:継ぎ獅子

2009/05/10
人の肩の上に人が立ち、さらにその上に獅子頭をかぶった子供が立って、3mを越える高さで獅子舞を演じる、というスリル満点の伝統芸能「継ぎ獅子」が、今月、今治市内の各地で行われます。ETC休日割引がスタートして、しまなみ海道にも適用されること、しかも天気予報もバッチリという、絶好の機会に行ってみることにしました。

継ぎ獅子は、江戸時代に巡業でやってきた伊勢の太神楽がルーツで、そもそもは2人で行われていたのだそうです。それが、氏子同士の競い合いや、より神に近づきたいという人々の思い、農作物がより成長するようにという五穀豊穣の祈願などによって、より高い継ぎ獅子が行われるようになったということです。

この日「継ぎ獅子」が行われるのは、今治の中心部にある鳥生三島神社と、中心部から少し離れた多摩川地区の豫中(よなか)神社です。このうち、開始時間の遅い豫中神社に行くことにしました。尾道でレンタカーをして1時間余りで着きました。

豫中神社入口


午前10時30分過ぎ、豫中神社の春の例大祭が始まりました。巫女さんの神楽姿がとても清らかでした。
豫中神社:神楽


続いて、本殿に向かって3度、つがいの獅子舞が奉納されます。巨大な背中に、踊りの順を待つ男たちが合わせて10人近く入っています。
継ぎ獅子:本殿突入


太鼓から発せられるテンポの良い3拍子に乗せて、激しく鈴を鳴らしながら、2つの頭が勢い良く動きます。踊り手も太鼓に合わせて「ハイ、ハイ、ハイ!」と調子良くお囃子をつけます。
継ぎ獅子:豫中神社本殿前


そののち、獅子は、本殿から境内に少しずつ進んできます。
継ぎ獅子:豫中神社本殿前2


その後、小さな男の子たちが大人たちによって、獅子頭をつけられていきます。そして、あっという間に、継ぎ獅子が始まりました。3人の男が土台をつくり、中心の男の肩に、男が立ちます。それを後ろから支えます。向かい側に大人の肩の上に子供が立っています。
継ぎ獅子:スタート


2段が完成したところで、子供が受け渡されます。まず、子供は2段目の男の肩の上に立ち、舞い始めます。このように3人が縦に連なると「三継ぎ」、4人の場合は「四継ぎ」となります。

最初は、子供の足を持って支えますが、バランスが取れると、その手を離します。見ている方がヒヤヒヤしてきます。
継ぎ獅子:3段完成(手放し)


つづいて、2段目の男の腹巻き?に足を入れて、バランスを取ります。
継ぎ獅子:3段(腹巻き)


今度は、2段目の男が、子供を持ち上げます。プロレスの技みたい。ここで場内から拍手がわき起こりました。
継ぎ獅子:3段(持ち上げ)


もう一度、2段目の男の方の上に子供が立ちます。またしても、手放し!
継ぎ獅子:3段(手放し・再び)


子供はさらに2段目の男の頭上に立ちます。ひゃー、スゴい! 子供が乗ってから3分近くが経過して、土台の中心が震えてました。両脇の男たちが必死で支えます。これは大変です。
継ぎ獅子:3段(頭上)


ゆっくりと継ぎ獅子が解かれると、再び、テンポの良い3拍子に乗せて、つがいの獅子舞が始まりました。
継ぎ獅子:獅子舞


獅子舞は境内の階段を下りて、踊りながら鳥居へと進みます。
継ぎ獅子:獅子舞2


子供が獅子を手なずけるような演出が加わりました。
継ぎ獅子:鳥居前での舞


鳥居の前には、2基の神輿が置かれていました。この前で、再び巫女さんのお神楽がありました。
継ぎ獅子:境内前の神輿


再び、継ぎ獅子です。今度は3組による披露です。またしても、手放し。
継ぎ獅子:3組(1)


そして、2段目の頭上での舞。ホント、よく落ちないものです。
継ぎ獅子:3組(2)


締めの獅子舞。と、その上に子供の姿が...餅つきの演技だそうです。
継ぎ獅子:餅つき


すると、お餅やお菓子がばらまかれました。地元の人たちを中心に、事情を良く知る地元の観客らは、スーパーの買い物用ビニール袋を大きく広げて、おこぼれにあずかろうとしていました。
継ぎ獅子:餅まき


こうして、祭りは大きく盛り上がったところで、12時20分ごろ、終わりました。

さて「継ぎ獅子は、この豫中神社でおしまい」と思っていたら、福山に向かう途中の、大三島の道の駅のイベントでも観ることができました。こちらは、3継ぎが完成したあとで、土台が360度回転すること、
継ぎ獅子:道の駅1


さらには四継ぎの瞬間を見ることができました。さすがに、すんごい迫力です。見ている方は、子供が落ちないか、土台の人たちが重さに耐えきれるのかと、ハラハラし通しです。
継ぎ獅子:四継ぎ


とにかくダイナミックで、テンポがよく、ビジュアルに富んだ伝統行事でした。継ぎ獅子を披露する人たちのバランス感覚にひたすら感心し、また、土台で支える人たちの必死の形相が脳裏に焼き付きました。「あれほど顔を真っ赤にして、全身をふるわせて耐えることってないなぁ」と、自分に甘い最近の日々をちょっと反省しました。
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六斎念仏踊り@京都・吉祥院

2009/04/25
毎年4月25日と8月25日、京都・吉祥院天満宮で、六斎念仏(ろくさいねんぶつ)踊りが披露されます。六斎念仏とは、鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。歴史ある念仏踊りが、どういうものなのか、実際に行ってみることにしました。
吉祥院六斎念仏1


仏教では毎月8・14・15・23・29・晦日を六斎日と呼び、この日は悪鬼が現れて人を惑わす日として、正午からは食事を取らないで事を慎むべきだとされます。六斎念仏踊りは、平安時代に空也上人が、仏教を広めるために踊った念仏踊りが起源だと言われています。25日に開催されるのは、この日が天神さんの日だからでしょう。

京都・吉祥院天満宮は、JR京都線西大路駅から南へ15分ほど歩いたところにあります。雨上がりの境内は少しぬかるんでいました。

開始時間は、午後8時。太鼓の合図とともに、六斎念仏踊りが始まります。まずは、浴衣姿の男たちが太鼓を持ち上げながらたたきます。
吉祥院六斎念仏2


続いて、子供たちによる「四ツ太鼓」。小さい子から順にたたいていきます。叩き方に特徴があって、ドン・ドン・ドドドンというのがメインのリズムになっているように聞こえました。年長の子になると、テンポが一気に上がります。
吉祥院六斎念仏3


子供による演奏、続いては、2人が向き合ってたたきます。これまた、年長の子になると、テンポが上がりました。
吉祥院六斎念仏4


続いては、獅子舞の奉納。緑の獅子が活発に動きます。
吉祥院六斎念仏5


再び、浴衣姿の男たちによる、太鼓演奏。今度は舞台を大きく使って、アクションも大きくなりました。
吉祥院六斎念仏6


獅子舞は胴体が朱色になり、顔も姿も大きくなりました。
吉祥院六斎念仏7


獅子舞のアクションも大きくなりました。何度も倒立したりして、結構動きが激しいのです。
吉祥院六斎念仏8


クライマックスは土蜘蛛(つちぐも)と獅子。歌舞伎のような派手なアクションです。
吉祥院六斎念仏9


終了時間は、午後9時15分頃でした。「六斎念仏」と言うけれど、念仏がほとんど聞こえてこなかったのが、ちょっと残念でした。

後で調べてみると、六斎念仏にもが様々なバリエーションがあって、10数団体が公演をしているのだそうです。吉祥院は、能や歌舞伎の要素が入った「芸能系」というカテゴリーに分けられるそうです。素朴ながらも、最後には見せ場もあって、面白く観ることができました。
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水口曳山祭・宵宮@滋賀・甲賀市

2009/04/19
滋賀県甲賀市に、祇園祭とよく似た、大きな曳山が登場するお祭りが、春に行われているという情報を聞いて、行ってみることにしました。

そのお祭りとは水口(みなくち)曳山祭。水口は東海道53次の50番目の宿場町として江戸時代に栄えましたが、その中期、享保年間に、町民の力によって生み出されました。かつては30基あまりが活躍したということですが、今年登場したのは16基です。


祭りの最寄駅は、近江鉄道・水口城南駅。JR草津線の貴生川から乗り換えて1駅です。祭りのタイムスケジュールがわからないなか、宵宮なのでと午後6時に着くと、駅の近くの露店は地元の家族連れで賑わっていました。
水口曳山祭1


その近くに、曳山を収める倉庫があり、そのうちの3カ所で、倉庫前に曳山を出して、笛と太鼓と鉦による演奏が行われていました。祇園祭に比べると、圧倒的にテンポが速いのが特徴です。水口囃子と呼ばれるそうです。
水口曳山祭2


さらに歩くと、お祭りの中心地、水口神社がありました。落ち着いた佇まいの神社です。
水口神社境内


境内では地元のお酒「笑四季」がふるまわれていました。口あたりがよく、おいしいお酒でした。さらに奥ではお抹茶もいただけます。
水口神社境内でふるまい酒


午後6時25分ごろ、一台の曳山が境内に引かれてきました。曳山の大きさは、幅3.4m、高さ5.7m、奥行4.8m。ハイエースよりも大きく、迫力があります。
水口曳山祭:大池町の曳山


このあと何かイベントがあるかというと、そうでもなさそう。ということで、付近に点在する曳山巡りをすることにしました。観光協会主催でスタンプラリーをやってましたが、それには参加しませんでした。曳山のある各地区では、祇園祭の宵山と同じように、倉庫の前に曳山を出して、そこで演奏をしていました。
水口囃子1


水口囃子2


それぞれの曳山の置かれた場所が結構離れていて、16台すべてを見ることはできませんでした。ただ、それぞれの曳山の特徴が違ったり、参加者の年齢構成やらチームワークによって、テンポの速さ、ハーモニー、音の強弱など、地区ごとに演奏内容に違いが出たりしていました。
水口囃子3


全体を見てみると、水口祭の宵宮と、祇園祭の宵山は、よく似ていることがわかりました。夜の街で幻想的に光る提灯、特徴のあるお囃子、そして大きな曳山。翌日の例大祭に行けないのが残念でした。
水口曳山祭3


このお祭りに直接関係することではありませんが、こういう曳山(山鉾と読んだり、屋台と読んだりするところもありますが)が登場するお祭りは西日本がほとんどで、愛知県から東にはあまり見られません。それがなぜなのか、不思議になってきました。
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